不知火の後悔-sidestory-


 頭領となるべく風間と初対面を果たした翌月の事だった。


 不知火は、父親と共に日向の里へ足を運んでいた。不知火の父親と日向の主は仲の良い友であったのだ。


「よく来たな。待っていたぞ」
「久し振りだなぁ…… ああ、匡を連れて来たぞ」


 匡と呼ばれた少年。それが後の不知火の幼き頃の姿である。


「おお、匡か? 大きくなったな。そうだ、娘を紹介しよう。引っ込み思案な娘なんだが、匡…… 悪いが相手をしてやってくれ」


 この日向で生まれた主の娘は、恐らく鬼の中では一番の美しさを持つと言われている。しかし、女の好みというのはそれぞれであり、不知火はあまり興味を持っていなかったのだが――。


「失礼致します…… お久し振りです、姶羅です」


 その部屋に入って来た、四、五歳くらいの小さな姶羅は、子供だとは思えないほどの美貌を持った娘だった。


「生まれた後に顔を見に来たが、これはまた…… 美しくなったな」


 不知火の父親が唸り声を上げながら感嘆している。自分の親がこのような幼子に見惚れているのを呆れながら、不知火もまたその娘に見入っていた。


「匡兄さまとお呼びすればよろしいのですか?」


 言葉使いも丁寧で卒がないのだが、ただ一つ―― 不知火が気に入らなかったのは、この美しさにして、地味な姿であった。


 姶羅の父親が言うには、傍に仕える乳母がかなり厳しい女らしく、彼女は毎日のように怒られているらしい。


「今更、乳母を辞めろとも言えないからなぁ…… あれは姶羅を日向の女主に押し上げる為に必死なんだ」


 姶羅の父親は大きな溜め息を吐くと、外で遊んできて良いと許可を出してくれた為、不知火と姶羅はだだっ広い庭へと足を運んで行った。


「匡兄さま、何して遊びます?」
「何でもいいぜ! 木登りでもすっか?」


 不知火の遊びの提案に、姶羅が頭を撓らせた。


「姶羅は登れません……」
「登れねぇって…… てめぇは鬼だろ?」
「乳母が登っちゃいけないって…… 女はしとやかでいろって言うんです」


 悲しそうに大きな木を見上げている姶羅は登りたいのか、少しもじもじとしている。


「んじゃぁ、内緒で登るか?」
「で、でも…… 乳母に見つかったら匡兄さままで怒られちゃう」


 姶羅は自分の事よりも不知火が怒られるのを怖がっている。その不安を消し去るかのように、不知火が両口端を吊り上げて豪快に笑った。


「大丈夫だって。俺は怒られ慣れているからな。つい数日前も風間の里で長老に説教を食らったところだ」
「何で、説教を……?」
「ああ、それは言いたくねぇ…… っていうか、それは置いといて登ろうぜ」


 不知火が姶羅に手を差し伸べると、姶羅は美しい顔の上に笑顔を乗せて大きく頷いた。


「は、はいっ!」


 そして二人は木に登り、太い枝の所に腰を下ろして下を眺めた。その場所からは遠くの方にある町が見える。


「あの町は何なんでしょう?」
「知らねぇのか? あれは人間が住む町だ」
「知りませんでした。この屋敷から出た事もないですから……」


 不知火の言葉に返事をしている姶羅の長くて艶のある髪の毛が上空の風に乗って舞い始める。その髪の毛からは何ともいえぬ良い香りがして、不知火はその香りに酔いしれそうになっていた。


 姶羅はこの日向の里からは出た事がない。それはどこの里の女鬼でも同じ事なのだが、この姶羅は日向の主にとっては特別な娘であったようだ。


 日向の姫は美しいと日の本の鬼の中では有名ではあったが、誰一人としてその姿を見た事がない。あるとすれば、西の里の風間か不知火あたりであったのだが、それもかなり幼き頃の記憶であり、今回の不知火が姶羅の姿をしっかりと確認したようなものであった。


 女鬼は容姿が美しくて肌も透けるように肌理細やかな為、人間の男に狙われやすく、それを懸念した姶羅の父親はこの屋敷の中に閉じ込めて大事に育てているのだそうだ。


「一度でいいから、あの人間たちの住む町へ行ってみたいな……」


 その方向から風が流れてきて、少しでも人間たちの匂いを感じたいのか、姶羅がクンッと鼻を揺り動かした。


「一度でいいから行ってみたいか…… んじゃぁ、大人になって外に出られるようになったら連れて行ってやるよ!」


 不知火がそう言った時、肩のところに微妙な重さが圧し掛かってきた。横を振り向いてみると、そこにはスヤスヤと眠る姶羅の姿があった。


 可愛らしいな――


 不知火は姶羅が落ちないように身体を支えながら、姶羅が行った事もないと言う遠くの町並みを眺め続けていた――。




 不知火の父と姶羅の父は日向と不知火の里を行ったり来たりで顔を合わせていたが、姶羅が不知火の里に来た事は一度もなかった。その為、父親が日向に行く時は必ず不知火も後ろを付いて行ったのだった。


 その間に不知火は姶羅を好きになっており、誰にも取られたくない衝動に駆られてしまい、自分と同じくらいの歳の男たちの前で姶羅の事を【鬼姫】と呼び、


「別嬪だが、かなり怖い女だぞ!」


 と、言い触らしていた。幼い子供の考えそうな事を不知火はしていたのだ。


 あの風間にもそうは伝えてみたのだが、その時の風間は毒薬を身体に慣らしている途中であり、寝込んでいた為、不知火はうんうんと唸り続けて苦しんでいる風間の枕元で【鬼姫】【怖いぞ】を囁き続けていた。


 ある日、その企みが姶羅の乳母の耳に入る事となってしまう。


 不知火は頭ごなしに叱られ続け、その横では怯えたように泣く姶羅がいた。まだ大人になっていない不知火には、姶羅が自分のした事に傷ついたのだと思い、しょんぼりとしてしまっていた。


「おい、いい加減に止めろ!」


 叱られている最中に、背後から制止の声がした為振り向いてみると、姶羅の父親が仁王立ちで乳母を睨み付けていた。


「子供にそのような叱り方をして良いとおもっているのか!? お前のやり方は少し度が過ぎるな」


 そう言って不知火の前に歩み寄ると、いきなり頭をくしゃくしゃっと鷲掴みに撫で回してきた。


「匡、有難うな。ああ言って姶羅を守ろうとしてくれたんだろう?」


 そうではない――
 自分のものだけにしたかったんだ――


 そう言いたかったが、姶羅の父親は勘付いたのか、不知火に、


 言うな――


 と目配せをしてきた。


「姶羅、お前も幸せな娘だな。お前たち女鬼は、こうやって守ってくれる男を選ぶんだぞ」


 そして、大きな声で笑いながら二人を愛しそうに見つめてくれていた。


 そんな日向の主も今は亡き者となってしまい、厳しかった乳母も亡くなったのだそうだ。


 あの時、日向の主は不知火の事を褒めてくれていたが、不知火は姶羅の泣き顔が忘れる事ができず、次第に日向に赴かなくなっていた。


 姶羅が日向の女主になり会合にも顔を出し始めた時には懐かしさが込み上げてきたが、彼女に対しての気まずさがあり、挨拶もできずにいた。そして、知らない間に姶羅の視線を受け続ける事になるのだが、それは不知火にとって辛い仕打ちのように感じた。


 風間は、


「お前に惚れているのだろう」


 などと言ってはいるが、不知火にとっては恨みの視線にしか思えなかった。


 姶羅の名は【鬼姫】と知れ渡っており、本当の名を知る者は数少ない。それは不知火によって日の本中の鬼たちの記憶に残されてしまったのだ。


 そんなある日の事。不知火が仲間と談笑をしていた折、彼らから鬼姫が不知火の事を好きそうだからどうだ? と言われ、不知火がそれに対して否定の言葉を出した瞬間、姶羅が襖を壊して雪崩れ込んで来た。その後ろには風間がおり、不知火たちにこう伝える。


「この女、お前たちの話を盗み聞きしていたぞ」


 何故盗み聞きしたのかを冷静になって聞いてみれば良かったのに、頭に血が上ってしまった不知火の口からは知らぬうちに姶羅への貶し言葉が飛び出していた。


「俺は綺麗な女は苦手だが、盗み聞きする女はもっと苦手だ!」


 それからだった――


 姶羅の不振な行動が始まり出したのだ。それも女ばかりを狙い、共通点と言えば全て不知火と話をした後の女であった。


 そして先日、高杉の妻であるまさと談笑した後に、不知火は告白をした。


「俺は鬼だが一緒にならねぇか?」


 と―― しかしまさの返事は否だった。


 理由は心を突き刺される思いの言葉だった。


 不知火は恐らく自分を愛してはいない、高杉の妻だからそう思ってしまっただけだ。高杉と自分を重ねたのだと――。


 まさは、高杉にはおのうという愛人がいるが、彼女と同じくらい高杉を愛している――
 この気持ちは変わらず、変わらない気持ちを持った女と一緒にいるべきではないと――


 そして最後に、


「不知火さんには好きな方がいるのでしょう? 逃げてはいけませんよ」


 見透かされていた――


 不知火は苦笑をしてまさの家を後にした。


 その後だった。まさが浚われたと知ったのは――


 浚った相手は分かっている。


 姶羅だ――


 しかし、一人で乗り込む勇気がない不知火は風間に書状を送った。


「俺が逃げてなけりゃ、あいつもあんな事をせずに済んだのかなぁ……?」


 後悔先に立たず――



 そのような言葉もあったような気もするが、不知火の心の中は悔やみ切れない気持ちが溢れかえりそうな程になっていた。


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