薩摩街道-瀬高宿→原町宿→南関宿→間の宿肥猪→山鹿宿



 羽犬塚宿を出立した風間と千鶴は、瀬高宿へと向かって歩いて行った。


 筑後川と矢部川に挟まれた田園地帯を歩き続け、瀬高宿へと入って行く。


 海鼠壁の土塀、土蔵造りの家が建ち並ぶ間の道を歩いていると、風間がご機嫌な様子で緋色の瞳を左右に動かしている。


「どうしたんですか?」


 風間の動きに対して疑問を持った千鶴が聞いてみると、風間は舌なめずりをしながら蛇行歩きを始めた。


「ここは、酒蔵が多いのだ」


 酒の事になるとこうも浮かれ足になってしまうのか? と言うくらい、風間の歩みは軽さを見せていた。


 矢部川を渡った所で二人は昼休憩を取る事にした。


 今回の昼飯は握り飯と沢庵だけで、千鶴の顔にはありありと不満の色が浮かび上がっていた。


「虚しい……」
「贅沢を言うな。作って持たせてくれるだけでも有り難く思え」
「これでは足りません。千景さんのも頂いて良いですか?」


 風間は、腹の虫をクークーと鳴かせながら悲しそうな声音で頼み込んでくる千鶴を暫く見つめ、その視線を握り飯の方に向ける。


 握り飯の具材は、鰹と梅干、そして昆布である。千鶴は、それらを見つめている風間が微かに笑ったような気がした。


「何…… 笑っているんですか?」
「笑ってはおらん。そうだな…… 俺は一口程で良いからくれてやらんでもないが……」


 風間はそう言うと、その握り飯の一つを取り、千鶴に差し出した。


「食え……」


 何か魂胆がありそうな予感がしたが、千鶴の腹の虫が握り飯を急かし始めていた為、それに思い切り齧り付いた。


 口の中で白飯の甘さが広がった瞬間、千鶴は風間に顎を掴まれて噛む事ができなくなってしまう。


 互いの唇が重なり、風間の舌が千鶴の口内へ忍び込むと、中の白飯を少し掬い取り出した。


「やっぱり! 何かあると思いました!」
「一口程でいいと言ったであろう?」
「わざわざ面倒臭い食べ方をしなくてもいいじゃないですか!」
「ギャーギャーと喚くな。俺の握り飯をくれてやったのだ。その礼くらいしてもらわんとな」


 顔を真っ赤にさせながら残りの握り飯を風間から取り上げた千鶴は、ブツブツと文句を言いながら食べていた。


「もう…… 陰険男……」






 昼休憩を終えた二人は再び歩き続け、原町宿へと入って行った。


 茶屋で少しの休憩をした風間と千鶴は、この地で伝え受け継がれている【場要川・源平最後の決戦の地】へ辿り着いた。


 壇ノ浦で滅び、生き残った平家の者たちが九州へ落ち延びたが、源氏の追討の手は緩まずに攻め続けられ、大宰府、筑後で敗れて、とうとうこの地で最後の決戦を試みたのだ。その時、この要川は多くの血で朱に染まり、足の踏み場も無い程に屍が散乱していたそうだ。この光景を見た者たちは、この要川を【血波川】と呼び、この最後の決戦で果てた平家を弔う為に平家塚を建て、要川の上流には平家七人の女官が身を投げて果てたという七霊の滝と女官たちを祭る七霊宮があると言う。


「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
 おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者つひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ……」


 風間が囁くような声で平家物語の冒頭を紡ぎ出すと、千鶴の脳裏には様々な思い出が蘇ってきた。


 祇園精舎の鐘の音は何時も音が違う 沙羅双樹の花は人が死ぬように白い色に変わるそうだ 立派な人間も常に立派でいられる訳ではない まるで春の夜に見る夢のように 一瞬で終焉を迎える 力のある者もいつかは敗れ去る時がある 風で簡単に飛ばされてしまう塵のように――


 千鶴は、土方とのある日の会話を思い出していた――。


 もしかしたら、長くて幸せな夢を見続けているんじゃねぇかってな――


 その時、優しい春の風が千鶴の頬を撫でるように吹き去って行った――。


 風間は少し寂しげな表情を浮かばせていた千鶴の肩を自分の方に引き寄せながら空を見上げた。


 春の青空が二人を暖かく包み込んでいる。


 満開を過ぎ出した桜の花弁が、寄り添っている二人の周りに小さな渦を作り出し、春が奏でる風に合わせて舞い踊り続けていた。


 暫くの間、その場所で佇んでいた二人ではあったが、再び歩みを進めて南関宿へと向かって行った。


【南関御茶屋】で休憩をした二人。このお茶屋は、嘉永五年に完成した建物で、鬼瓦や釘隠しが細川家と関連があるそうだ。参勤交代時には大名行列がこの地を通り、藩主たちはこの御茶屋で宿泊や昼休憩を取っていた。薩摩に匿われていた風間たちもこのお茶屋をよく利用するらしい。


「立派な御茶屋ですよねぇ……」


 千鶴が上品な茶菓子を一口で食べながら辺りをキョロキョロと見回し、その横では風間がさり気なく自分の茶菓子を千鶴の方に差し出していた。


「江戸の頃は大名たちが頻繁に利用した茶屋だからな」


 風間と会話をしながら、千鶴の口の中には風間が差し出した茶菓子がもう一つ放り込まれていた――。


「さて、今日はここで泊まるとするか……」


 外を見てみると、日は既に西の山に隠れようとしていた。


 二人はこの茶屋の部屋に案内してもらったのだが、その部屋に入った瞬間、千鶴の感嘆するような唸り声が響いた。


「す…… 凄いですね……」


 豪華絢爛とはいかないが、上質の材料を使い、細かい細工の施された家具類が飾り立てられている。


 布団も厚みがあり、寝心地が良さそうであった。


 風呂にも入らせてもらったが、湯殿は桧風呂で広々としていた。


「千景さんの家に着く前に檜風呂を堪能できるわ」


 千鶴はそう呟くと、桧の良い香りのするその風呂に長々と浸かっていた。そして、部屋に戻る途中に不思議に思った事があった。それは、今夜の宿泊者が風間と千鶴しかいなさそうな感じだったのだ。


 部屋に戻った千鶴が風間にその事を話してみると、このような茶屋には一般の客は泊まれないと言う事だった。


「でも、時代も変わって大名もいなくなった今、誰でも泊まる事ができるんじゃないんですか?」
「ふん、大名という名が消えたとしても、この日の本での彼らの身分は上の位なのだ。そやつらがこの茶屋を利用するに決まっておるだろう」


 外見は変わっても中味は変わってはいない――


 風間はそう言って酒を呑んでいた。


 千鶴が窓から空を仰ぎ見ると、春の月が潤いのある光りを地に落としていて、風呂から上がったばかりの千鶴の白い肌もそれによって光り輝いていた。


 あはら屋に 寝て居てさむし 春の月


 水の北 山の南や 春の月


 何故だろうか? 今日は土方の事ばかりを思い出す。


 彼の豊玉発句集には春の月を題材にした歌が多かった為だろうか――?


 千鶴が夜空に浮かぶ月を眺めながらその歌を小さく呟いていると、いつの間にか風間が隣にまで歩み寄っていた。


「何だ、その下手糞な歌は……」


 いきなり傍で言葉が掛けられ驚いた千鶴だが、風間の顔を見てふんわりと微笑んだ。


「土方さんの俳句ですよ。上手だとは言えないかもしれませんけど、素朴で親しみを覚えます。この春の月のせいでしょうか? 土方さんの事が思い出されちゃって…… 月が似合う方でしたから……」
「春の月か……」


 風間は小さく呟くと、千鶴に甘辛い香りのする口付けを施してきた。その口付けは優しさではなく嫉妬のような激しく荒々しいものだった。唇を離した時の風間の表情は、何かに苛立っているような感じさえ受ける。


「どうしたんですか?」


 不思議に思った千鶴が問い掛けてみると、風間は千鶴の瞳を食い入るように見つめてきた。


「お前の中に土方がいるのだろう? 追い出さねばならんな」
「思い出しただけですよ、嫉妬してるんですか?」
「そうかもしれん……」


 欄干で激しく口付けを交わす二人。その間に風間の手によって静かに障子窓が閉められ、その障子窓からは二人の影がぼんやりと映し出される。そしてその影はいつの間にか崩れ落ちて消え去っていた――。




 翌朝、南関御茶屋を出た二人は山鹿宿へと向かって歩いて行く。しかし、昨夜の風間の愛撫の行為はかなり激しかった為、千鶴の身体は節々に痛みを生じていた。


「千景さん酷いです。あんなに無茶苦茶しなくても……」


 激しい口付けの愛撫だけでも快楽を感じていた千鶴が文句を言いつつ顔を赤らめている。


「ふんっ! お前が俺以外の男の顔を思い浮かべているからだ」
「思い浮かべたんじゃなくて、思い出しただけですよ!」
「同じだ!」
「もうっ!」


 言い合いをしながらも風間の手はしっかりと千鶴の腰に回されており、身体を支えながら歩いてくれている。捻くれた言葉とは裏腹の優しい仕草に、千鶴は内心嬉しさを感じるのだった。


 林の道を通り、緩やかな上下のある道を歩き続けた二人は南関宿と山鹿宿の中間にある間の宿、肥猪(こえい)で昼休憩を取った。


 千鶴が重箱を開けてみると、その中から春の香が鼻を擽った。


 筍を使ったものばかりではあったが、その筍は柔らかくこりこりとした食感である。


「成長したらあんなに堅い竹になるのに、筍は何でこんなに柔らかくて美味しいんでしょうね?」
「竹の・子、だからだろう?」
「へっ!?」


 風間の言っている意味が分からずに、千鶴が顔を覗き込んでみると、


「何だ?」


 と言って睨み付けてくる。


「竹の子供だから柔らかいのだろうと言ったのだ。生き物も、子供の時は肌も柔らかいだろう。それに、馬肉や猪の肉も子供の時期の方が柔らかくて美味いのだぞ」


 風間の説明の言葉に深く頷いた千鶴。


「確かにそうですよね。私も今よりも子供の時の方が肌も柔らかくてふにゃふにゃしていたような気がします」
「ああ、言い忘れた……」
「何をですか?」


 千鶴は自分の二の腕をぷにぷにと摘みながら風間の言い忘れた言葉に耳を向ける。


「子供もだが、女の肌も柔らかくて美味そうだな」


 千鶴の摘んでいた指の動きが止まる。


「それって…… 太っているって事ですか?」
「誰が太っていると言った? 女の肌は柔らかいと言ったまでだ」
「肉がついているから柔らかいと言いたいんでしょう!?」


 最近また少し太りだした千鶴にとっては、風間の言葉が嫌味に聞こえてしまい、声を荒げて怒り始める。そんな千鶴に対して楽しそうに笑いながらからかい続ける風間であった。


 二人は【白坂】を歩き続け、その下り道に差し掛かった所で、六本松の大木の下で少しの休憩をした。この松の大木は、この長い坂を歩いて来た旅人の目印であり、休憩をする場所であるらしく、何人かの旅人たちもその松の木陰で汗を拭い取っていた。そして、和仁川を渡り小高い森を越えた二人は【光行寺】に辿り着いた。


 この寺は、参勤交代の藩主の【お茶所】として使用され、長い道中の休憩所として腹切坂を上下する一行が一時かごを止めて労を癒したり、ご機嫌伺いの庄屋等から民情を聞いた所だという。


「腹切坂はしんどいんですか?」


 未だに身体の節々が痛む千鶴が不安げな表情を浮かべて風間に聞くと、風間が小さく頷いた。


「そうだな……」


 その返事を聞いた千鶴はがっくりと肩を落としていた。


「案ずるな…… 俺がしっかりと支えてやっているではないか」
「抱いて飛んで下さい」
「断る、お前は以前より重い……」
「酷い……」


 二人は、そのような会話をしながら腹切坂へと向かって歩いて行った。


 この【腹切坂】は急坂であり、参勤交代の道中の中でも屈指の難所と言われていたそうだ。腹切坂と呼ばれるようになった理由は、「人を殺して諸国を逃げ回った西国の武士が、仇を狙う若い武士から逃げられないと悟り、坂の途中で切腹した。」「壇ノ浦で敗れた平氏の落人が、この地で切腹した。」などがあるが、「広い台地(原)の端(切り)にあたる」事から名付けられたともいわれているそうだ。


 その難所を何とか越えた二人は再び歩き続け、ようやく山鹿宿へと辿り着いた。


 土蔵造りや白壁の家の間を歩き、時折酒蔵の所で風間が立ち寄ったりしながら先を歩いて行くと、そこに【八千代座】という芝居小屋があった。そして、この山鹿宿は温泉も湧き出ており、長旅を続けて来た旅人たちで賑わっている。


「今日はここで泊まる。芝居を見て温泉に浸かってゆっくりするか」


 風間の言葉に千鶴の身体中から嬉しさがこみ上げてきた。


「本当ですか!?」


 江戸にいた頃でさえも滅多に芝居小屋などに行かなかった千鶴にとっては、本当に久し振りの娯楽である。もうすぐ芝居が始まるらしく、客たちがどんどんその小屋へと入って行くのを見た二人もそのまま人の波の中に紛れ込んで行った。




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