喧嘩の内容を変更した二人-sidestory-


 只今、二人は喧嘩中。
 それはとってもつまらない理由から始まった。
 千鶴が屋敷の庭師である男と少しだけ会話した事に風間が気分を害したのだ。
 裏切り行為だ、浮気だなどという言葉を吐き出す風間に対して、最初は我慢をして黙って聞いていた千鶴の堪忍袋の緒もとうとう切れてしまった。
 自分には話す相手も自由にならないのかと怒鳴り口調で伝えると、
「お前が話していい男は俺と天霧、そして不知火だけだ」
 と言葉を返してくる。
 千鶴はまだ、この屋敷に来てから一年も経っておらず、鬼の暮らし、特にこの西の里の風習などの奥深くを知らない為、相模や屋敷の者たちに尋ねる事が多かった。千鶴が身を置く屋敷の奥深くは、まるでかつての江戸城の大奥のようで、使用人は全て女である。しかし、庭木の手入れなどは男たちの仕事であり、一週間に一度は千鶴の暮らす屋敷の奥深くに風間や天霧、不知火以外の男がやって来るのだが、その時に、千鶴が見た事のない花が庭に咲いていた為に質問をしたのであった。それをたまたま屋敷に戻って来た風間が目撃してしまったのである。そして、そこから夫婦喧嘩が始まってしまった。
 この二人が喧嘩をするのはこれが初めてではない。この屋敷に千鶴が嫁入りしてから一年も経ってはいないが、喧嘩はその日にち以上の数を熟していた。その喧嘩を全て目の当たりにしている天霧と相模にとって、この二人にそれがあるととても困るのである。
 千鶴の部屋から相模が姿を現し、天霧のいる部屋まで小走りで移動する。
「九寿、千鶴さまから千景に言伝ですよ」
「またですか? 今朝から数えると既に五十は超えていますよ。いい加減に仲直りをして欲しいものですね」
「恐らく、この喧嘩は今日いっぱいは続くでしょうよ。いつもそうではありませんか」
「分かってはいますが…… で、千鶴さまからの言伝は何なのです?」
 天霧が言伝の内容を尋ねてみると、相模は大きな溜め息を吐き出した。
「今夜は銚子、何本をおつけしますか…… ですって」
「はあ…… それだけですか?」
「それだけですよ。私はちゃんと伝えましたからね。千景にちゃんと聞いて、また連絡をお願いしますよ」
 相模はそう言うと天霧のいる部屋を出る。その途中で独り言なのだろうか、小さな呟きを起こしていた。
「全く…… 足腰の弱くなっている老婆をこき使うなんて……」
 いや、百歳にはなっているがまだまだ元気ではないですか―― と言いたい天霧ではあったが、それを言うと天霧と相模との間もこじれてしまって屋敷の中が纏まらなくなってしまうと考え、ここは黙る事にした。
「千鶴さまは西の里の風習を覚えるのに出羽さましか頼れる方がいませんからね……」
 相模も千鶴に対して怒ってはいない。彼女は風間に対して怒りを感じているのである。
 庭木を手入れしに来た風間の一族の男に花の名前を尋ねたとていいではないかと、先日からその文句ばかりを言っている。
 男鬼は妻になった女鬼を過保護すぎる程に大切にはするが、千鶴に対する風間の愛情は異常ではないかと天霧は考える事があった。
 いや、異常とかいうものではなく、風間が一人の女に対してあれ程に執着をするとは思ってもみなかったのである。
「以前から女は子を生む為の道具だなどと言っていましたからね……」
 この西の里に戻って来てからの風間の変わりように驚きつつも、つい今しがた、相模が伝えてきた事を風間に聞きにいかなければと、その場から立ち上がる天霧であった。
「酒……? ふん、今宵は十本ほど浸けておけと伝えろ」
 風間のその言葉を聞いた天霧が今度は小さな溜め息を吐き出した。この内容での口伝えが数十回は行われるだろう。
 先ほど独り言のように放っていたが、確かに相模は元気ではあっても老婆である。千鶴の部屋から天霧のいる部屋まではかなりの距離があり、老婆である相模に何往復もさせるわけにはいかない。天霧はそう考えると、風間に向かって言葉を発した。
「十本は許されないと理解されていますよね?」
 天霧のその問いかけに、風間が細めた両目の中から緋色の瞳を鈍く光らせた。
「酒を大量に飲まんと、怒りが収まらん」
「この間の喧嘩の時のように酒の力を借りて、千鶴さまと仲直りをするのですか?」
 この喧嘩の前のそれの時は、自分の我が儘を押し通して銚子を十本ほど用意させた風間。それを全て飲み干し、喧嘩中の千鶴を無理やり布団の中へ引っ張り込んで喧嘩に終止符を打ったのである。
「酒で酔った事がない風間が、あの時はそのような振りをしていたような気がするのですが……」
「俺とて酔う事はある」
「見た事がありませんね」
「一度、不知火と共に飲んで酔った事がある」
「それは酒を初めて飲んだ時の事でしょう」
 そう―― 風間が酒に酔ったのはその時以来で、今までどれ程の酒を飲んだとしても、酒臭くなるくらいで素面の状態であった。
「銚子は五本ほどという内容を出羽さまに伝える事にします」
 天霧がそう言って風間の前から立ち上がると、
「十本ほどだと言ったであろう」
 と、風間は自分の放った言葉から一切引こうとはしない。しかし、この後の千鶴の返事の言葉は決まっている。
 絶対に五本なのである――。だから、天霧は風間に再び伝えた。
「五本にしておきましょう」
 それでも風間は自分の我が儘を押し通そうとする。
「十本にしろと相模に伝えておけ」
 その言葉を聞いた瞬間、天霧の堪忍袋の緒もとうとうぶち切れてしまった。その場に立ち上がったままの状態で、目の前に座っている風間を見下ろす。そして、落ち着いた声音ではあったが怒りの感情を含んでいる言葉を吐き出した。
「お二人が喧嘩をされるのは結構。喧嘩をするほど仲が良いともいう言葉がありますからね。しかし、それによって迷惑を蒙っているのは出羽さまと私なのですよ。それに使用人たちも皆…… 特に風間と天霧の一族である男鬼たちは、千鶴さまと普通に会話ができないのを残念に思っているのです。風間家の妻となった千鶴さまは、この西の里の風習などを理解するのに必死。そのような中で、この里の者たちの言葉は、それを理解するのにとても役立つのです。風間、あなたはこの西の里を良くする為に何をしますか? 一族の者たちと話し合い、そこでどうするかを判断するでしょう? 何も会話をせずに自分の治める里を良くする事ができない事を風間が一番よく理解しているはずです。花の名前が分からないから庭木に詳しい男に聞いた。それは普通に暮らしている中で日常的な会話ではありませんか。そのような小さな事でいちいち怒りを起こす風間は、西の里の頭領しての器が小さいのではありませんか?」
 天霧から皮肉とも取れる言葉を受けた風間がごくりと喉を鳴らす。今まで頭領として賛美はされてきたが、このように貶されたのは初めて―― いや、初めてではなかった。天霧からは数えきれない程の貶し言葉を受けているが、このように頭領としての器などについてのそれは今回が初めてであった。
「それに出羽さまも……」
 天霧が話を続けようとした時、いきなり襖が開いた。そこには顔を真っ青にさせて慌てている様子の千鶴の姿があった。それでも喧嘩の途中であるからか、風間が、
「どうしたのだ? と、千鶴に伝えろ」
 と、千鶴がすぐ目の前にいるというのに、わざわざ天霧に口伝えを命令してくる。しかし、慌てている千鶴は、今までの喧嘩などどうでもいいようで、天霧が風間の言葉を伝える前に口を開いた。
「千景さん、大変なんです! 相模さんが……!」
 すると、今まで喧嘩を意識していた風間もそれを忘れてしまったかのように千鶴に直接問いかけた。
「相模がどうしたと言うのだ?」
「腰が痛いと言って倒れてしまって……」
 天霧の部屋から出て行く時に相模は何と言っていたか?
 足腰の弱くなっている老婆をこき使うなんて――
 そう愚痴っていたはずだ。
 まさか、あの時から調子が悪かったのか――?
 天霧は千鶴の横をすり抜けるようにして部屋を飛び出していた――。




「全く、出羽さまも悪ふざけが過ぎますよ」
 布団の中で楽しそうに笑う相模を見ながら大袈裟に溜め息を吐く天霧。
 相模の容体が悪いと信じ込んだ天霧が千鶴の部屋に入った時、相模がこちらを向いて片目を瞑っていたのだ。勿論、天霧は何事だろうと尋ねてみる。
「出羽さま……?」
 すると、相模が人差し指を唇にそっと当てた。
 耳を澄ますと、遠くから数人の慌てて走って来る足音が聞こえてくる。それが近づいてくると、今まで普段の表情を見せていた相模がいきなり苦しそうにそれを歪ませた。そして、風間と千鶴が部屋に入って来た途端に、苦しそうな声音を部屋の中に響かせる。
「おお、痛い、痛い!」
「相模さん、大丈夫ですか!?」
「相模、とうとうあの世に逝くのか?」
「千景さん! 縁起でもない事を言わないで下さい! 相模さん、どこが痛いのですか?」
 千鶴が風間を窘めた後に相模を支えるようにして両手を添えると、
「腰ですよ…… 今朝から屋敷中を走り回っていましたからね……」
 と、風間と千鶴の喧嘩の為にこうなったような言い方を始めた。それを聞いた千鶴が申し訳なさそうにして静かに謝罪の言葉を投げかける。
「相模さん…… 私たちのつまらない喧嘩のせいでこうなっちゃったんですね。本当に申し訳ありません」
 すると風間が、
「そうだ。お前があの庭師の男と会話さえしなければ、相模がこのような事にならずに済んだのだ」
 などと、喧嘩の原因は全て千鶴の責任だと言うような言い方をする。それを聞いていた千鶴の表情に怒りが起こり、それを見た相模が再び苦しそうな声音を上げた。
「ああ…… 痛いっ!」
「相模さん! 天霧さん、お医者さまを呼んで下さい!」
 千鶴が天霧に医者を連れて来るように頼んでくる。それを聞いていた相模が苦しそうな声音はそのままに、こう言った。
「医者は霧島にして下さいな……」
 風間の幼い頃からの主治医である霧島が屋敷に呼ばれて相模が休んでいる部屋に入って行く。そして、診察が終わったのか、出て来た瞬間に風間の頭を強く叩いていた。
「霧島、何をする?」
「全く、頭領ともある男が、一人の老婆をも大切にできんとは情けない事じゃ」
 霧島が言うには、やはり相模は二人の喧嘩で口伝えをしていた時に腰を痛めてしまったのだそうだ。元気そうに見えても既に百歳に近い老婆であり、無茶をさせすぎたと感じた二人は顔を見合わせると、無言の仲直りをしたのであった。


「口伝えによる喧嘩がなくなったのはいいのだけれど……」
 あの時から数か月が経ち、二人がまたまた喧嘩をした。それも天霧や相模から見れば本当につまらない理由である。しかし、この時からの二人の喧嘩の内容は変更されていた。
 無言で部屋を出る千鶴が風間の目の前に紙を一枚落としていく。それを拾った風間がその中身を見て大きく鼻を鳴らすと、文机の方に向かって歩いて行った。

 そう、二人が喧嘩をする時には口伝えをしてもらうのではなく、文による会話に変更していたのだが、それは口伝えよりもかなり長引く喧嘩になっており、天霧や相模は二人がいつ仲直りをするのかと心配になるのであった――。


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