西の里のある余興は大人気-sidestory-
愛しているとは言葉で言ってくれない風間。しかし、その代わりに態度では示してくれる。
「お前は何もしなくていい」
「屋敷の中でのんびりと過ごしていればいいのだ」
「外には出るな。大人しくしていろ」
それが風間の愛の言葉である。が、それが時には窮屈に感じる時もあった。
頭領の妻は里の者たちの事も気にかけていなければならない。その頭領である風間の妻になった千鶴には、里に住む老いた者たちを見舞う事も日課になっていた。
「天霧さん……」
天霧の姿を見つけた千鶴が静かに声を掛けながら手招きをする。その姿を見た天霧が静かに頷いた。
「気を付けて行っていらっしゃい」
老いた者たちを見舞う千鶴には相模が付き添いをしてくれる為、一人にはならない。それに里の中を歩き回る一族の者たちも千鶴の動向を監視してくれる為に心配をする必要はないのだが、これが風間に知られると、この屋敷の中では二人の追いかけっこが始まるのだ。
今日もそのような光景が繰り広げられそうな予感がすると考えていた天霧の元へ風間がやって来た。
「おい天霧。千鶴はどこへ行った?」
「千鶴さまですか? さて、屋敷の中にいらっしゃるのではありませんか?」
「部屋にもおらん。それにあいつの好む勝手場にも見に行ったがいなかった」
そして風間は天霧を睨む。
「何か隠しているだろう?」
こういう事は過去に何度もあったが為に、風間には既に天霧の誤魔化しはきかない。天霧は仕方なく、千鶴が頭領の妻としての役目を果たしに行っていると伝えた。
「そのような事は相模にやらせればいいだろう」
「老いた者を見舞うのは頭領の妻の仕事ですからね。仕方のない事です」
「ふん! あいつは何もせんでいいのだ。迎えに行って来る」
と、いつもこうして風間が千鶴を里の中からこの屋敷へと無理矢理連れ戻して来るのだ。しかし、その後が大変なのである。
「老いた者たちを見舞うのは私の仕事です」
「相模にやらせればいい」
「だから、これは相模さんの仕事じゃないんですったら! それに相模さんだって老いた者の一人に入るんですよ? 本当ならば、ここで私の世話をするのではなくて、家でのんびりと過ごし、私の訪問を待つ身じゃありませんか!」
「ふん! 相模は長生きをするし元気だ。だから見舞わんでいい」
それを聞いた相模が風間の頭を軽く叩いた。
「全く、それが幼い頃から世話をしてきた者への言葉だとは信じられませんね」
相模に叩かれた個所を撫でながら風間が即答をした。
「俺は事実を伝えたまでだ」
そして逃げる千鶴を追いかけ始めた。
「これは頭領の妻としての仕事ですけれど、私の楽しみでもあるんですから邪魔しないで下さい!」
「老いた者の世話よりも、この俺の世話をしろ!」
「してるじゃありませんか!」
「しておらん! 俺が仕事で疲れて帰って来た時にはすぐに出迎えろ」
「そ、そんな…… いつ帰って来るかも分からないのに無茶を言わないで下さい」
この二人の口喧嘩。実は天霧を挟んでのやり取り。
天霧の背後に隠れるようにして言葉を放つ千鶴と、まるで天霧に文句を言っているように目の前で天霧の背後に隠れている千鶴に言葉を放つ風間の姿がある。この光景は、風間の屋敷の中でなかなかの評判となっていた。
「また、やってるよ……」
「天霧さまも可哀想だけど、何か面白いねぇ」
以前までの風間ならば考えられないこの光景は里内にも噂となり、これが始まり出すと、何故だか屋敷内が里の者たちで溢れかえる程になる。
これで困るのが天霧。
天霧は威厳ある男で里内では知れ渡っているのに、この二人が言い合いやこのような喧嘩を始めると、どうしても動揺を起こしてしまうのだ。
天霧を挟んでの喧嘩が原因なのかもしれない。二人に挟まれて前後から言い合いが始まると、自分は避けたいのにそれができなくてオロオロとしてしまうのである。
「ほら、天霧さまも困ってらっしゃるよ」
「あんな天霧さまは初めて見るよね……」
「怖いと思っていたけど、あんな風に戸惑う時もあるんだ」
「天霧さま、頑張れ!」
と、子供たちからもそのように言われて、時には応援の言葉まで頂いてしまう。
初めは天霧から少しの距離を保ちながら言い合いを始める二人。しかし、それが過熱すると、徐々に天霧に迫るように距離を縮める風間の顔はすぐ目の前にくる。そしてついには肩越しに言い合いを始めるのだ。
これだけで終わればまだましな方だ――
天霧はこの先に起こるであろう出来事を予想しながら大きな溜め息を吐き出した。
「千景さんは、いつもそのように捻くれた言葉しか出してくれないんですもの。私に屋敷の中でいて欲しいなら、ちゃんとした言葉で伝えるべきです」
「ちゃんとした言葉だと? 俺はしっかりと己の意思を伝えているぞ」
風間の顔が更に天霧の方へと近寄る。
風間から香る匂いは別に嫌いではない。この時代の男としては身だしなみや匂いを気にする男である。だから、近寄られても顔を背けたくなるような男臭さはないのだが、天霧とて男である。
女が好きだ――
それも千鶴のように可愛らしい女ではなく、できれば千姫の護衛をしている君菊のように色っぽい方が好みである。
「伝えていませんったら!」
天霧がそのような事を考えている間に、二人の言い合いは天霧の顔と肩辺りに息がかかる程の近さになっていた。
「では、どのような言葉を言えばお前は気が済むのだ? 満足をするのだ?」
「そ、それは……」
千鶴が天霧の背後で、天霧の着物を弄繰り回し始める。それは長い事行われる為に、二人の言い合いが終わった後のその個所はいつもよれよれ――。
はあ―― これでまた、着物を一着棄てる事になるな――
と、天霧が自分の着物の心配をしていると、
「あ、愛しているから…… だから屋敷の中に閉じ込めておきたい程に愛しているのだ…… って感じで言って欲しいんです」
背後で呟く千鶴の言葉を聞いた天霧が、両目を上方に上げて空(くう)を見つめた。
これでまた、風間と天霧の一族から冷やかされてしまう――
千鶴の言葉を聞いた風間が呆れたように鼻を鳴らす。
「全く、そのような言葉を出さねばお前は納得をせんのか?」
「納得をするとかしないとかじゃなくて…… 女ならいつも言って欲しい言葉なんです!」
風間の身体が更に天霧の方へと近寄った。その距離、既に胸と胸が引っ付いている程に狭まっている。そのような二人の姿を見物していた相模が静かに吹き出しながら笑っている。
「出羽さま……」
天霧が笑っている場合ではないと伝えようとするが、相模の手がそれを制止する。彼女はその先を楽しみにしているのだ。いや、楽しみにしているのではない。
面白がっている――
目の前と背後の風間と千鶴は既に二人の世界に入っていて、周りの状況も見えていない。
そう、見えているならば、風間とて目の前の天霧に口付けをするような位置にまで自分を近寄らせないだろうから。
「では、お前は俺がそう言えば屋敷の中に閉じこもるのだな? 決して無断で外には出んと約束できるのか?」
風間の唇が天霧のそれに当たるくらいの距離まで狭まった。それを見ていた周りの仲間たちの間から大爆笑が起こる。
「そ、それを言ってくれれば、外出する時には絶対に千景さんに伝えます」
「ほう…… それは真か?」
「は、はい……」
この会話は天霧を挟んで行われている。
天霧の背後には千鶴はいるのだが、天霧の大きな身体にすっぽりと隠れてしまっていて姿が見えない。だから、ある角度によっては風間と天霧が愛し合っているように見えるのだ。
「こりゃ、いい! 面白い!」
「ぷぷっ! 何か芝居を見ているようだね」
今、風間と天霧は見つめ合っている状態。風間の雰囲気に異様さを感じた天霧が一応尋ねてみる。
「風間…… 今、目の前に誰がいるのかを理解していますね?」
しかし、風間からの返事はない。これは完全に天霧を千鶴と間違っている。
「千鶴…… 今から一度しか言わん。よおく聞いておけ」
始まった――
天霧は風間の視線から顔を背けるようにして宙を仰ぐ。しかし、その顔は風間の両手によって元に戻されてしまった。
「千鶴…… お前の肌がかなり荒れているように感じるが気のせいか?」
風間の両手は天霧の両頬に添えられている。天霧は髭を蓄えている為に、風間の添えている掌にそれが当たるのだ。
仲間内から更なる大爆笑が起こる。
「風間…… あなたの愛する妻である千鶴さまは私の背後におりますよ」
天霧が自分を落ち着かせながら風間に伝えるが、風間は天霧の頬から自分の両手を離そうとはしない。それどころか、
「長時間、外に肌を晒していたからこうなるのだ。だから俺は外には出るなと言ったのだ。今や人間の暮らす地では外の国から得た代物で空気も汚れてきていると聞く。いくらこの里が人間の暮らす地から離れているとはいえ、空気は目に見えん。きっと風の中に紛れ込んでこの里にも流れ込んでいるのであろう」
などと、愛しているという言葉をどれだけ紡ぎたくないのか、千鶴を外に出さない為の言い訳がましい言葉を次々と吐き出している。
天霧と風間の顔が更に距離を狭める。その動きを見ていた周りの仲間たち。男たちは大爆笑をしながら見物し、女たちは黄色い叫び声を上げながら両手で顔を覆ったりしていた。
「風間…… 我に返って下さい。目の前にいるのは千鶴さまではなく私、天霧ですよ」
しかし、風間は溜め息を吐き出して更に顔を近付けてきた。
二人の距離は既に限界まできている。
「やはり、お前は俺からあの言葉を言わせたいようだ。仕方あるまい…… 千鶴、俺はお前を……」
風間の唇が天霧のそれに軽く触れた。それを見た仲間たちが歓声を上げる。
「やった……」
「うおっ…… 見てしまった……」
「やだ…… 男同士のあれを初めて見たわ……」
風間と天霧が軽い口付けをしているとは知らない千鶴は、未だに天霧の着物を弄繰り回していた。
「千景さん、早く言って下さいよ……」
軽い口付けを交わした後、風間が我に返る。
「天霧…… 何故に俺の前にいる……?」
「ですから…… 私は申し上げましたよ…… あなたの目の前にいるのはこの私だと……」
そして二人が同時に顔を背けて唾を吐き出す。その間も千鶴は天霧の着物を弄繰り回しながら、風間からの愛の言葉を待っていたのであった――。
これは年に何度も繰り返されるものであり、西の里の仲間内では大層人気のある見世物となったのだが、その後にはいつも、千鶴は納得しないままで終わるのである。
「もう…… 結局は愛してるって言ってくれないんだから……」
いつになったらあの言葉をまた言ってくれるのだろうか?
風間が毎日その言葉を紡げば、天霧も迷惑をこうむる事はないのに――
相模は皆と共に涙を流して笑いながらも、この余興がまた行われる事を願うのであった――。
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