薩摩街道-出水宿→阿久根宿→向田宿→串木野宿→市来宿
→伊集院宿→鹿児島宿→西の里到着 【完結】



 二人は【鬼坂(おんざか)】と呼ばれる、心臓破りの坂を歩き、阿久根宿へと向かって行く。


 西へ進み続けると、鬱蒼とした道脇に数多くの石が積み上げられている所があった。


「これは何ですか?」
「三百塚だ。文禄二年に島津家第七代忠辰の遺骨を守って朝鮮出兵から帰国した出水の将士達が、既に天領となった出水五万石を目の当たりにし、愕然とした。戦争時の不首尾の為、秀吉の怒りをかった出水の地には、彼らの帰る場所はなかったのだ。彼らは主君忠辰の遺骨を丁重に葬った後、その近くで主君の後を追うように切腹して殉死した。多数の殉死者があった為そう呼ばれるようになったらしい」
「確かに不首尾はあったかもしれませんけど、そこまで酷い事をするなんて……」


 朝鮮出兵から戻って来た兵士達は、天領となってしまった出水の地を見てどう思ったのだろうか? 愛する妻や子供の顔も見ずに命を絶ったのだろうか? 悲しみが胸に込み上げてくる。千鶴は静かにしゃがみ込むと手を合わせ、瞼を閉じた。


 日が西に沈みかける頃、二人はようやく阿久根宿に辿り着いた。ここでもまた、風間家の別邸があると言う。不思議に思った千鶴が風間に聞いてみた。


「何故、人間の住む所に千景さんの別邸があるんですか?」


 風間家の別邸の中に入りかけた風間が千鶴の方を振り向き、再び別邸の方へと視線を戻した。


「我ら鬼は力があり俊敏だ。薩摩に匿われていた頃の大名たちはその力を利用する為に鬼にこのような屋敷を宛がい戦わせてきた。庇護されていた俺たちが強く否の言葉が出せないのを分かっていたからな」


 佐敷の別邸もそうだったが、この阿久根の別邸もまた新しいままであまり使われてはいないようだった。


「このような屋敷は今では必要ないのだが、お前と西の里に着くまでは置いておこうと思ったのだ」
「身体を休める為ですか?」


 千鶴が当たり前の事を聞いてみるが、風間は自分の首をやんわりと横に振った。


「それもある、が…… 西の里でお前と生活をするというのがよく分からなかったのでな。一度か二度試してみたいと思っただけだ」


 風間はその後に


「普通に生活をするという事が分かったような気がする」


 と、千鶴に笑いかけていた。


 最近の風間は派手ではないがよく笑うようになっていた。それが千鶴自身のお陰と言えるのかは分からないが、彼なりに自分の本当の姿を知らないうちに見せ始めているのかもしれない。


 庭の大きな木の葉が風に揺れて葉擦れを起こし、大きな音を立てた。


 不気味で暗い夜。それでも家の中はほんのりと明かりが灯っていて、そこに心許せる者が待っていてくれていると思えば心安らぐものだ。しかし、風間にはそのような経験が一度もないと千鶴に言った。


 風間の話を黙って聞いていた千鶴が背中を優しく押し、その仕草に驚いた風間が後ろを振り向いた。


「何をしているのだ?」
「今夜は何の御飯にしますか? 薩摩料理で食べたい物はあります?」


 初めて風間の寂しい過去を教えてもらった千鶴だが、心を慰めるのは食べ物しか考え付かない。しかし、そのような些細な事が風間にとっては嬉しいものだったようだ。


「ふっ…… 普通の女ならば抱き付いて口付けをしてくるものだが、お前は食い物に走るのか…… まあ、それも悪くはないな。腹が減っては戦は出来ぬとも言う。腹が大きくなると自然に心にも余裕というものが出来る」
「今、千景さんの心には余裕がないのですか?」


 千鶴が風間の背中を押すのを止めて前に回りこみ、顔を覗き込んだ途端に雲に隠れていた月が顔を出し、黄金の光りが二人を包み込んだ。


 千鶴が風間の首にそっと腕を絡ませていくと、風間も千鶴の身体をそっと包み込んだ。


「西の里に着いたら、私はいつでも千景さんの帰りを待っていますよ」


 千鶴が背伸びをしながら風間の耳元で優しく囁く。それが、風間には一瞬、


 お帰りなさい――


 と言われたような気がした。


「温かい明かりのついた屋敷で、いつまでも千景さんの帰りを待っています」


 千鶴の囁きの言葉に応えるように、風間が強く抱きしめる。


 いつまでも抱き合っている二人を、空から降り注ぐ月明かりが静かに照らし続けて見つめていた――。


 翌日、幸せそうな二人は阿久根宿の別邸を後にして向田宿に向かって歩いて行った。


「あと何宿通ったら西の里に着くんですか?」


 少し怪しい影を潜めている灰色の空を見上げながら、千鶴が風間に問い掛けた。


「あと五宿だな」


 あと少しで西の里に到着する。初めての土地で不安も少しはあるが、今握っているこの手はそのような不安さえも取り除いてくれる。千鶴は風間の手を強く握り締めて先を歩いて行った。


 向田宿を過ぎ、串木野宿へと入った二人は、薩摩揚げの店へと入って行った。


 薩摩揚げとは、魚肉のすり身に塩・砂糖などで味付けし、形を整えて油で揚げたもので丸形・角形など形は様々である。


「美味しい! これは食べた事がないです!」


 薩摩揚げを初めて口にした千鶴が満面の笑みを浮かばせている。


「薩摩揚げの由来については諸説があるのだが、この薩摩地方が発祥で、島津藩が琉球との交易・侵攻の過程で、沖縄県の揚げかまぼこである付け揚げを持ち帰ったことが始まりであるとも言われているらしい。酒の摘みにも合うからな」


 風間は薩摩揚げの説明をすると、目の前にある酒を呑みながらそれらを口に放り込んでいた。


 薩摩揚げを腹いっぱいに溜め込んだ二人は、店を出立して市来宿へと歩いて行った。


 市来宿も通り過ぎた二人は【薩摩焼】で知られる美山を通る。


 薩摩焼は、第十七代薩摩藩主島津義弘が慶長三年に朝鮮から陶工約八十人を連れ帰り、そのうち四十人余りが串木野の島平に着船した。そのご慶長八年に串木野から美山に移住し、島津藩の庇護のもとで開窯したのが薩摩焼の始まりだそうだ。【白もん】と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と【黒もん】と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれるらしい。


 千鶴は、黒もんと呼ばれている陶器の一つである【黒ヂョカ(茶家)】を手に取った。素朴な味を見せるその土瓶は焼酎を飲む時などに使われるらしい。光沢があり使いやすそうなそれに千鶴の心が欲の音を立てた。


「千景さん、買って良いですか?」
「お前が焼酎を呑むのか?」
「千景さん用ですよ」


 千鶴はふんわり笑うと、その土瓶を店主に渡した。


 荷物はかなり多くなっている為、千鶴は丁寧にそれを包みに仕舞いこんで、再び風間と共に歩き出した。


 二人は黙々と先を歩いて行き、雨が降り出す頃には伊集院宿へと到着する事が出来た。


 この薩摩は火山が多く存在しており、温泉があちらこちらに湧き出ている。


 この宿場では旅籠に泊まった二人は、ゆっくりと温泉に浸かり疲れを流していった。


 風間が部屋に入ると、千鶴は既に布団の中で静かな寝息を立てている。明日には西の里に着くだろう。ようやく千鶴と共に歩んで来た旅を終えようとしている。


「今宵も楽しませてやろうと思ったが…… 里に着くまで我慢するとしよう」


 風間は千鶴の横に入り込み、湿り気を帯びて螺旋状に広がりを見せる漆黒の髪を撫で上げた後、深い眠りへと落ちていった――。


 翌朝、早くに目覚めた千鶴は既に用意を終えていた。今日でとうとう西の里に到着するのだ。思えば、江戸からこの薩摩まで長い道のりだったのだが、歩き終えようとする今では、短かったような感じもした。


 風間がゆっくりと支度をしていると、背後で千鶴がポツリと呟いた。


「もう少し旅を続けていたかったなぁ……」


 ドタバタとした旅だったが、それはそれで楽しかったのだ。風間が千鶴の方を振り向いて笑いながら言葉を紡いだ。


「仕方あるまい。歩き続ければ終わりがくるのだ、諦めろ。それにこれ以上旅をすれば、天霧の頭の中から噴火が始まるぞ」


 そうだ、西の里では天霧が風間の帰りを今か今かと待っている。風間にしかできない仕事は山のように積まれている事だろう。風間はその光景を想像しながら苦笑いを浮かばせていた。


 二人は伊集院宿を出立し、鹿児島宿へと歩いて行く。その宿場からはかなり離れてはいるのだが、山里奥にこれから千鶴が過ごす事になる西の里があるらしい。


「長いようで短い旅でしたね」


 千鶴が西の里があるという方向に視線を向けながら歩き続ける。勿論、彼女の小さい手は風間の手にしっかりと繋がれていた。


 鹿児島宿を通り過ぎ、鹿児島城(鶴丸城)の前を通る。


 この鹿児島城は、江戸時代初期に島津氏によって築かれた城である。島津家の家紋が鶴丸の紋である為に鶴丸城とも呼ばれている。


 二人はその城を見ながら先を進んで行った。


 町を歩き続け、次第にその町並みから外れた道を歩き始める。少し峠のような道であるが、風間に言わせると静かに隠れて暮らすにはこのような場所が一番適していると言う。


 頭上の木々の間からは可愛らしい小鳥の鳴き声が響き渡り、千鶴の内耳に流れ込んできた。


「さあ、着いたぞ」


 風間が後ろから付いて来る千鶴に振り返って言葉を掛け、千鶴が目の前に広がる景色を見つめた。


 山々に囲まれた小さいが、のんびりとした雰囲気の持つ集落が千鶴の視界の中に飛び込んで来る。もう、耕作の時期に入る為か、田畑では何人もの人影が見えた。


「さて、帰るとするか」


 風間が千鶴に手を差し伸べると、その大きな掌に千鶴の白く小さな手がそっと乗せられた。


「千景さんの屋敷ってどこですか?」


 仲良く歩きながら千鶴が聞いてみると、風間が顎でその方向をしゃくった。


「あそこだ。全く…… 情報が早いな。天霧が門の所で立っているぞ」
「えっ!?」


 風間が舌打ちをしながら文句を垂れ始め、驚いた千鶴も目を凝らして見てみると、確かに、まだ先にある門の所に小さな(近くに行けば大きいのだろうが)鬼の影が見える。


「怒られます?」


 千鶴が不安げな表情を浮かばせながら心配をすると、風間はフンッと鼻を鳴らして胸を反り返らせた。


「あやつに負けるような俺ではない。しかし、説教ぐらいなら聞いてやっても良いがな」


 二人が歩く先々では、田畑を耕している鬼たちが笑顔で出迎えてくれている。小さな子供も千鶴に駆け寄って来て可愛らしい小花の花束を手中に収めてくれた。


 ようやく風間家の屋敷の前に到着した二人は叱られる事を覚悟していた為か、天霧の顔を見て驚きを隠せなかった。


 天霧にしては珍しく満面の笑みを二人に向けており、心を落ち着かせてくれるような優しい言葉を掛けてくれた。


「風間、千鶴さま、お帰りなさい。お疲れになったでしょう」


 説教はなさそうだ。風間がほっとしていると、千鶴は既に天霧の前に立って会話を始めていた。それを見た風間の表情に陰りが走り、そのまま千鶴と天霧の所まで歩み寄ると、千鶴を乱暴に抱き上げて屋敷の中へと入って行った。


「おやおや、風間は千鶴さまにかなりのご執心のようですね」


 天霧が苦笑をしながら、風間と千鶴が入って行った方向を優しい眼差しで見つめていた。


「ちょ、ちょっと…… 何するんですか?」
「全く、少し目を離した隙に男と話を始めおって……」
「男って、天霧さんじゃないですかぁ!」
「煩い! 仕置きだ!」
「ええぇぇぇっ!?」


 風間は千鶴の額に軽く口付けを施すと耳元に唇を近付けていき、小さく囁いた。その言葉に千鶴が顔を真っ赤にさせながらも嬉しそうに笑う。


 初めて風間の口から出て来た言葉――


 それは千鶴がこの道中で一番に聞きたい言葉であった。


「よく来てくれたな…… 千鶴、愛しているぞ……」
「私も愛していますよ、千景さん……」


 二人のドタバタ旅は終わったが、これからの生活も変わりがないような気がする。しかし一先ず―― 



 二人の旅はこれにてお終い――


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