不知火の嘆き-sidestory-
忍びの鬼から江戸から西の里へ向かっている風間からの文を手渡された天霧が眉を顰めた。
「また金の催促ですか?」
「いや、金には困っていなさそうだったからそれは違うと思うぜ」
忍びの鬼はそう言うと、天霧の前から姿を消して行った。
「お前の策略に腹を立てて、早々には帰らん! なあんて文面じゃねえのか?」
珍酒と艶めかしい女鬼の忍びにまんまと騙された不知火が、風間の仕事に視線を落としながら喉奥を鳴らす。文から不知火に視線を移した天霧がニヤリと笑った。
「不知火が仕事を引き継いでくれていますからね。別に風間に早く帰ってもらわなくても構いませんよ」
「うわっ、酷い家老だな」
「まあ、早く帰って来てもらいたいのが本音ですがね。私にはもう二つほどの心配事があるんです」
「心配事って何だよ?」
不知火が怪訝な表情を浮かべる。天霧は手の中にある風間の文を開きながら話し出した。
「先ず一つは千鶴さんがあの雪村家の生き残りであり、純血を重んじる鬼たちの間では是が非でも手に入れたい希少で価値のある女鬼です」
不知火が仕事の書類から目を離して天霧の方に身体を向けた。
「狙っている奴がいるって事か?」
その問い掛けに天霧が深い頷きを見せた。
「ええ、まだはっきりと確認ができていませんから、それが出来次第、風間には伝えるつもりです」
「例えば、どこの鬼だよ?」
不知火の言葉に天霧が溜め息を吐いた。それは風間に伝えるのを躊躇しているようにも思える。
「例えば……ですか。過去に風間が懇意にしていた男を不知火は覚えていますか?」
「まさか……戸隠(とかくし)か?」
「ええ、その通りです。少し調べてみたら彼の情報の中に雪村千鶴という名があったんですよ」
天霧の最後の話に不知火が喰いついた。
「千鶴を狙ってるって事か?」
「いいえ、違います。いや、狙っていないと言えば嘘にはなるでしょうが……どうも戸隠は幼い頃の千鶴さんを知っているそうなのです。風間はあのような男ですから、己が興味のないものは記憶から抹殺していて覚えていないのでしょうが、実は風間も幼い頃の千鶴さんに会っているのですよ」
「風間と戸隠はいつの頃からか仲違いみたいな感じになって疎遠になったよな? それの原因に千鶴が関係しているのか?」
不知火の問い掛けに天霧が大きな溜め息を吐いた。
「おおいに関係があったんですよ。しかし今はまだそれをあなたに話す時ではない。追々、話します。さて、それともう一つの心配事ですが……」
天霧はそう言うと、不知火に仕事をしながら話を聞けとでも言うように顎をしゃくった為、不知火は慌てて書類の方に身体と顔を向け直すと筆を持った。
「もう一つは風間の女関係の事ですね。ほとんどの女鬼は、風間が遊び程度の付き合いしかしていないと納得をしているのですが、一人だけ厄介な女がいたのです。その女が忽然として消え失せたと耳に入ったもので、千姫と南雲薫に助力を頼んで捜索中なのですよ」
「千姫は分かるが、何で南雲薫に助力を頼むんだよ?」
不知火は手の中にある筆を動かしながら問い掛けると、
「その女は南雲家の実子で、南雲薫の義理の姉に当たる者なのですよ」
と、天霧から返事を受け取った。しかし、その女が何故に厄介なのかという事を知りたい不知火は筆を動かしていた手を止めて天霧の方に再び顔を向けた。
「風間はその女と付き合っていたのか?」
すると、天霧は首を左右に振った。
「いいえ。遊び程度に近付いてきた女ならば付き合ったのでしょうが、あの女は風間の妻の座を狙って、己の親まで巻き込んで恋文を送ってきたり、西の里にまで押しかけてきたのですよ。その時に風間はきっぱりと断りを入れたのですが、かなり執拗な女でした。その後の南雲家は南雲薫が頭領の座につきましたが、その時からあの女の姿が消えてなくなったらしいのです」
南雲薫は千鶴の実兄であり、南雲家の頭領の座を奪う為にその一族を皆殺しにしたという噂がある。不知火はその皆殺しにした中にその女が入っているのではないかと天霧に問い掛けたところ、これもまた首を横に振って否定をしてきた。
薫に聞いたところ、その女は殺さずに、薫の計画に協力をしてくれた男鬼に与えたと言うのだ。しかし、その女を連れ去った男たちは山の奥深くで死体で見つかり、その中に女の死体はなかったと言う。
「つまり、どこかで生きているかもしれないって事か……」
「ええ、それも風間と戸隠が仲違いをして別れた同日にそれがあったのですから、少し心配になりましてね」
「つまり、長旅は千鶴の身に危険が多いって事か。天霧、お前は千鶴の事をかなり気に入っているようだなぁ?」
不知火がそう言って書類の方に視線を戻す。それを見つめながら天霧が柔らかい笑みを零した。
「気に入るも何も……あの風間の妻になってくれるのですから、こんなに有難い話はありませんよ。私もようやく風間の守りから解放されそうです」
天霧は話を終えると、風間の文に目を通し始めた。
暫くの間、仕事場には沈黙が流れる。そして、ふと思い出したかのように不知火が天霧に問い掛けた。
「そういや、風間の文には何が書いてあったんだ?」
そう言って振り向いた不知火が渋い表情を浮かばせる。振り向いた先には、こちらを凝視している天霧の何かを考えているような難しい顔があったのだ。
「不知火……」
また何かを頼まれるのだと直感した不知火は、もう何度目になるか分からない。視線を書類に戻した。その背後で天霧が言葉を紡ぎ始める。
「いやあ、驚きました。あの風間が今まで付き合っていた女と全て手を切るらしいですよ」
「へえ、よっぽど千鶴に惚れ込んでるんだなぁ……」
まさか――と不知火は思った。背後で天霧の言葉は紡がれ続いている。
「よって、その旨を女たちに伝えておいて欲しいそうです。全く、己に都合の悪い事は全てこちらに任せてくるんですから困ったものですね」
天霧はぶつくさと文句を放った後に、
「不知火……」
と、呼び掛けてきた。
うわっ、まさかのまさかだよなぁ――
不知火が恐る恐る振り向くと、天霧がこちらに向かってニッコリと笑い掛けている。
「早く目の前の仕事を終わらせて下さい。そして次の仕事はもう分かっていますよね?」
「何で、この俺が風間の尻拭いをしなきゃなんねえんだよぉっ!」
仕事場の中では不知火の悲痛な雄叫びが響いていた――。
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