恨み言の後の反逆-sidestory-



 神奈川宿の【田中家】で鬼の会合が行われる事になり、風間と不知火がその場所を訪れた。


「懐かしいな」
「何が懐かしいんだよ?」


 風間が部屋に入るなり内観を見回した為、不知火が首を傾げる。


「いや、千鶴を連れてこの宿に泊まった時の事を思い出したのだ」
「へえ、何かいい思い出でもあったのか?」


 不知火がニヒッと笑いながら風間の方に振り向くと、どうもそうでもないようだ。かなり不機嫌な表情を浮かばせていた。


「この先の川崎宿とここでの思い出は最悪だったな……」
「何で……?」


 風間はフンッと鼻を鳴らすと、用意されていた座布団の上に荒々しい動作で腰を下ろした。


「不知火、お前は川崎宿の名物である【奈良茶飯】を知っているか?」
「ああ、あれを知らねえ奴はいねえだろ。あの奈良漬の酒臭さが俺は好きだね」
「ああ、奈良漬……な。嫌な記憶がどんどん蘇ってきて気持ち悪くなってきた」
「おい、吐くのかよ……」


 風間が嘔吐しそうな顔つきをし始めた為、不知火が少しだけ距離を置いた場所に腰を下ろした。


「吐きはせんが、気持ち悪くなるのだ。何せ、あの【奈良茶漬け】を十杯も食ったのだからな」
「えっ、風間がか?」


 不知火が風間の名を出すと、余計に機嫌を悪くさせたようで、緋色の瞳でジロリと睨まれる。


「俺があれを十杯も食うわけがあるまい」
「そうだよなぁ。お前は食いもんよりも酒だもんな……んじゃぁ、やっぱ千鶴か?」


 風間ではなければあの千鶴しかいない。不知火がその名前を出すと、風間は深く、深く頷いた。


「ああ、千鶴が九杯に俺の分の一杯を入れて十杯食った」
「あんな小っせぇ身体によく入ったな」
「その後は狸の腹のようになっていたがな」
「ああ、あの信楽焼きの……」


 不知火の脳裏に近江の信楽焼きの、お腹がでっぷりとしていて酒の入った瓢箪をぶらさげた狸の瀬戸物が浮かびあがった。


 風間の話を聞いている間に、不知火にもこの頃に不快感を催した記憶があったようなと思い始めるが、風間の話に興味を持ったが為に、その記憶は暫く封印する事にした。


「あの後、神奈川宿に進むのが遅くなり、この宿に泊まる事になったのだが、またこの宿場には【亀甲せんべい】が売っていてな。それを確か六枚ほど食べていた」
「へえ……それで?」


 会合まではまだまだ時間があり、風間の話もなかなか面白い。不知火は先を急がせるような相槌を促した。


「その後にこの宿へ来たのだが、ここは海産物が豊富であろう?」


 不知火もここをよく利用する為、の後の予風間の話の内容の想は大方分かる。


「千鶴は豪勢な魚料理をたくさん食った」
「いや、たくさんどころではない。魚の骨、貝の殻などを除いた全てを食いつくした」


 ここで風間は完全に呆れ果てた様子で溜め息を吐いている。そして、この宿で出される料理を思い出した不知火もまた、驚きの表情を浮かばせた。


「あれを全部食ったって言うのか?」
「ああ。この宿に来る前に、天霧への文を忍びの鬼に渡したのだが、その時に消化を良くする為の薬を持っていたのでな。それを貰い受け取ったのだが、そうしておいて良かったと今になって思う」


 この時、不知火はちょっと待った――と、先ほどの記憶を少しばかり蘇らせた。


「おい風間。あの時、天霧に渡した文の内容は覚えてんのか?」


 そうだ、あの時の俺は――と、不知火の感情にメラメラとした怒りが込み上げてくる。そのような不知火に気がつきもしない風間が、はて――? と、文の内容を思い出し始めた。そしてようやく思い出したのか、片掌にもう片方の手に拳を作り上げてポンッと叩く。


「そうだ。川崎宿へ行く前に、千鶴と女の事で喧嘩をしてな。夫婦になってからも遊び女と関係を続けるのならば離縁だとやら言われて、天霧に全ての遊び女と手を切るから後は頼むみたいな事を書いたな。しかし、それがどうしたのだ?」


 風間が不知火の方を見て首を傾げた。


「何を怒っているのだ?」
 
 不知火はジットリとした恨みがましい視線を風間に向けていた。


「何を怒っているかって? あの時のお前の仕事の代替わりと遊び女の後始末をしたのはこの俺なんだよ!」


 不知火が語尾を大きくして怒鳴ると、風間は悪びれた様子も見せずに笑った。


「ほう、お前が遊び相手の始末をしてくれたのか」
「大変だったんだぜ。泣かれるわ、今度は俺に乗り換えようとするわ……色気ばかり振りまく女ばかりでよ」
「俺の相手をする女は皆、極上ものであったろう? いい思いをしたではないか」
「してねえよ! お前の女は俺の好みとかけ離れているし。全く、あの時の俺は散々な目に遭って大変だったんだからな」


 不知火が文句を言いながら不貞腐れていると、風間が目の前に酒の入った徳利をドンッと置いてきた。


「これって……」
「お前の好きな珍酒だ。あの時の礼をしようと思ってな」
「へえ、お前にしちゃ珍しい行いだな。明日雨でも降るんじゃねえか?」


 不知火が機嫌を直してその珍酒に手を伸ばそうとした時、


「刀が振り下ろされ、血の雨を見るかもしれんぞ」


 と、風間の低い声音が響いてきた為、目の前の徳利に伸ばしかけていた手の動きが止まった。


「えっ、どういう意味だよ?」


 不知火が風間に恐る恐る問い掛けると、こちらに向けてきた風間の緋色の瞳が鈍く光った。


「確かさっき、お前は俺の女は己の好みではないと言ったな?」
「そ、それが何だよ?」
「では、千鶴のような女が好みか?」
「……えっ?」
「確か、先日妻に迎えた女も、何となくだが千鶴に似通ったところがあると思っていたのだ。お前、千鶴の事が好きだった頃があっただろう?」


 不知火が上体を仰け反らせながら後ずさる。それを見た風間がゆらりと立ち上がった。


「いいか……我が妻である千鶴に手を出してみろ。ただでは済まさんからな……」
「そ、そりゃ、一時期いい女だなって思った事はあったけどよ。今は俺にも嫁さんがいるんだからそんな事するわけねえだろっ!」


 この神奈川宿とこの先の川崎宿では、昔も今もいい思い出がない――



 不知火はそう思うのだった――。


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