迷子の愛に救いを-sidestory-



 不機嫌な顔付きをした薫が千姫を見据える。


 千姫が何を言おうとしているのかをおおよそ予測していた薫は、かなり面倒臭そうな声音で問い掛けた。


「で、この俺に何を命令すると言うんだい?」


 薫より一段高い場所に座っている千姫の顔は、御簾に隠されてしまっていてはっきりとは分からない。それが薫の感情を更に苛つかせた。


 確か、幕末に京に赴いた時にもこの千姫には挨拶をしているが、その時もこういう感じだったような気がする。


 私は薫よりも身分が高いのよ――まるでそう言っているような今の状況が腹立たしい。


 よくよく考えてみれば、幼い頃に土佐へと連れ去られてからの薫の心の中には苛立ちと憎しみしかなかった。ただ一つ、心安らぐものと言えば、千鶴が生きているという噂を小耳に挟んだ後、鮮明に残る千鶴との幼い記憶を思い出した時くらいであり、薫はいつも千鶴の事を思い出しては、自分の可愛い妹に再び会うまでは生きてやると強く思いながら毎日の辛い日常を過ごしていた。


 土佐でも攘夷浪士たちの動きが激しくなり、南雲家の頭領となった薫は自ら進んで京に赴いた。その理由は勿論、可愛い妹である千鶴が育ての父親である網道を捜しに京にやって来るという噂を聞き付けたからである。その時には既に、薫は網道と顔を合わせており、彼が攘夷側に寝返っていたという事も分かっていた。


 やっと愛しい妹に会う事ができる――


 薫は心の中で嬉しさを爆発させながらも、表面上は冷血な南雲薫を装っていた。


 京で千鶴とすれ違った時、薫は普段の装いをしていたのだが、自分の横を何も気づかずに通り過ぎる千鶴に瞠目をしてしまった。


 似た姿形をしている双子であり、血も繋がっているのに千鶴は実兄である薫の存在に全く気付かなかった。千鶴は隣を共に歩く沖田にからかわれながら顔を真っ赤にさせていたのだ。自分の可愛らしい妹が他の男の言葉で照れている姿を見ていた薫の心情に怒りが湧き起こった。


 俺の千鶴だ、誰にも渡さない――


 薫はその日から千鶴に似せるように女装を始めていた。




「ねえ薫、聞いているの?」


 過去の光景が脳裏に浮かびあがった為に怒りを感じていた薫に、御簾向こうから千姫の凛とした声音が投げ掛けられてきた。


「えっ、何も聞いてないよ」
「もう、千鶴ちゃんが狙われるかもしれないんだから聞いてもらわなくちゃ困るのよ」
「千鶴が狙われる? あの女が狙っているのは風間の妻という座だろ?」
「それをかなえる為には、邪魔者になる千鶴ちゃんの命を狙うかもしれないでしょ?」


 全く、自分に加勢をした男たちにあの女を褒美としてくれてやったのに――そして最後には必ず始末しろとも伝えておいたのに、どこぞの誰かが男たちを全て殺した上に、あの女に変若水を与えて逃がすとは――薫は憎々しげに顔を歪めて胡坐を掻いた上に乗せている両手に拳を作り上げた。


「風間だけなら私は心配はしないわ。あの男は性格と口は悪いけれど腕は確かな鬼ですからね。でも、今回は千鶴ちゃんがいるし、風間はあっちの方の相手もしなければならないから、南雲家の一族の始末にまで手が回らないのよ」
「天霧がいるだろ? あの男は風間の為なら何でもするっていう噂だ」


 すると、御簾向こうから大きな溜め息が吐き出された。


「天霧に頼もうにも彼、風間が留守の為に西の里を守らなければならないのよ。それに今回の事はあなたにも責任があるのよ」
「それは分かっているさ。でも、その女がどこにいるのかも分からないのにどうやって始末するんだ? それに今回のこれは俺一人で成し終えられる仕事じゃないって事くらいあんたにも分かってんだろ?」
「ええ、分かっているわ。だから不知火を助太刀に頼みました。ただ、不知火も今、風間の過去の女の後始末に追われていてすぐには駆け付けられないらしいの。だからあと数日待って欲しいという連絡がきていたわ」
「風間の過去の女……?」


 千姫の話によると、千鶴と出会うまでの風間は多数の女たちと遊び程度に付き合っていたらしい。しかし、千鶴に知られたが為に、それらの女たちと全て縁を断ち切るという決意をしたというのだ。


「へえ、千鶴より美しい女たちが風間の遊び相手だったって聞いていたけどな。あの男も結局は雪村家の血の方を最優先したってわけか」


 と薫が皮肉気に笑みを浮かべると、御簾向こうの千姫の首が横に振られているのが微かに分かった。


「いいえ、風間は千鶴ちゃんの事をとても愛しているみたいだって天霧が言ってたわ。ただ、その気持ちを伝えるのが下手らしいけどね」


 そう言った千姫が御簾のこちら側に控えている君菊に向かって軽く片手を振り上げた。すると、今まで薫と千姫を隔てていた御簾が、君菊の手によってするすると引き上げられていく。


 可愛らしいが千鶴とは全く違う顔立ちで性格であろう千姫の姿がそこにはっきりと現れる。


 千姫はその場から立ち上がると、ゆっくりと足を進めて薫の方に向かって来た。


「薫、あなたにも分かるでしょ? 千鶴ちゃんが既に守ってもらう男を決めた事を……」
「あいつよりも先に俺が千鶴と出会っていたら……俺は千鶴を南雲家に連れ帰るつもりだったんだ」
「知ってる……でもそれができなかった。その理由は何故?」
「何故……?」


 新選組に軟禁された時にはそう思った。


 何故、自分が守るはずの千鶴が人間の男たちに守られているのだろうと――そして、新選組の男たちと逸れた千鶴を薫は見つけたのだが、それよりも先に風間が千鶴の前に現れて、敵方である人間から助けていた。しかし、その光景を見て多少の苛立ちは起こったものの、風間と千鶴を引き離そうとは思わなかった。


 きっと心のどこかでは納得をしていたのだ。千鶴は自分ではなく、風間に守られるべきなのだと。だから、蝦夷までの道中も邪魔をする事はしなかったし、風間が江戸にいる千鶴を迎えに行ったという噂を聞いても何ら行動を起こす事はしなかった。


「私もね、千鶴ちゃんが風間について江戸に行くって聞いて、もしかしたらあの二人が夫婦になるかもしれないと思った時、初めは嫌だったのよ。でも、風間ってあんな性格だし私も気が合わないからあまり好きじゃないけど、千鶴ちゃんが選んだのならそれでいいと思った。だって、千鶴ちゃんの幸せは千鶴ちゃんが選ぶ権利があるのだもの。私たちが邪魔してはいけない……」


 千姫も薫と同じ事を思っていたらしい。彼女の口から紡がれる言葉は、薫が心の中で思っている事と殆ど一致していた。


「だから、私も薫も自分で幸せを見つけていかなきゃね……」


 千姫はそう言うと、先ほどから薫が作り上げていた拳の上に自分の手をそっと乗せてくる。すると、何故だかは分からないが、その拳に入っていた力が一気に抜け落ちた。


 八瀬の姫だから傲慢な女だろうと思っていたが、今、薫の目の前でニッコリと微笑む千姫を見ると、何となく千鶴と似ているのだろうかと思ってしまう。


 薫の気持ちが少しだけ和らぎ始めた時、千姫のいきなりな言葉に再び全身に力が入ってしまう。


「ねえ、私たちって気が合うと思わない?」
「はっ?」
「そう思わない? ねっ、そう思うでしょ? 私はそう思ったの!」
「一体何が言いたいんだよ?」


 すると、千姫の唇が薫の耳のところに近付き、


「私たち、夫婦になったらお似合いだと思わない?」
「はあっ!?」
「だから、気が合う私たちが夫婦になったらいいだけの話じゃない」
「俺たちが夫婦だって? あんた本気なのか?」
「ええ、勿論よ」


 薫が千姫の護衛である君菊の方を垣間見ると、苦虫を潰したような笑みを浮かべつつも、特に反論はないらしく黙ったままこちらの様子を窺っている。それを見た後に薫は再び千姫の方に視線を向けた。


 自分たちが夫婦になるのは確実だと思っているのか、ニコニコと笑って薫からの返事を待っている。


 これは千姫からの愛の言葉なのだろうか? その言葉を女の口から先に言わせてしまうとは――薫は苦笑を漏らした。


 俺の迷える愛もそろそろ終止符を打たないといけないな――


 先程までは御簾越しにしか千姫の姿をみられなかったが、今、薫の視界にはっきりと映る千姫はとても可愛らしい。その上に今まで仲間たちも信じる事ができなかった薫は、今まで千姫が紡いでくれた言葉などももらった事もなかった。もらったとしてもそれが真実の言葉とは思えずに警戒ばかりしていたのに、何故だろう――千姫に言われた時には素直に嬉しいと思えた。しかし、薫も風間同様、捻くれた性格を持った男であり、心の中にある素直な気持ちが言葉としてなかなか外には表れない。


「そうだな……考えとくよ」


 薫がそう返事をすると、千姫が少しだけ頬を膨らませて機嫌を損ねた。


「何よ、その考えとくって……いいのか嫌なのか、返事は二択しかないでしょ! 男ならはっきりと言いなさいよっ!」



 ここだけは千鶴と千姫は違う。薫はそう思いながら曖昧な返事を繰り返し、千姫の文句を嬉しそうに聞いていた――。


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