隠された優しさ:一
風間の部屋から自分の名が呼ばれている。
「また、何かややこしい頼み事でも言い出すのだろうか?」
風間が天霧を呼ぶ時、それはほとんどが無茶な命令ばかりである。戦国時代、天霧の血族は【漂泊の民】と呼ばれており、定住できる地がなかった。それを助けてくれたのがこの西海の頭領であった風間家である。その後から天霧の一族は風間家と力を合わせて西の里を守ってきた。しかし、何故また風間家だったのだろうかと天霧は考えた。
敵方であった東国側の雪村は無理であったとしても不知火の一族は西国側。そちらに引き取られても何ら問題はなかった。それに天霧の古老たちの話によると、当時の不知火家の頭領と天霧の頭領は年も近くて仲が良かったと言う。それなのに何故――深く考え込んでいた天霧は、いや、待て――と考え直した。
不知火家に引き取られたとしても、今の不知火の頭領があの匡だ。あれの下で働くのもどうかと思った。日の本中を飛び回っている不知火が自分の里に長い期間、留まっているという話など聞いた事もない。天霧がいつも不知火の一族に連絡を入れると、いつも返事の書状には【不知火、行方知れずの為に不在】と素っ気ない文章が綴られている。
「まあ、我儘で勝手な男だが、風間の方がまだましなのかもしれないな……」
そう呟きながらも、これから行く風間の部屋で何を言われるのだろうかという不安とその心構えを持ちながら歩いて行った。
「風間、何かご用でしょうか?」
天霧が襖を開けて部屋に入ると、脇息に凭れた風間が暇そうな顔をして明後日の方向を見ている。
完全にだらけている――そう感じた天霧は、風間がややこしい問題をこちらには投げてこないだろうという確信が持てた。しかし、明後日の方向を見つめたままの風間の口がなかなか開かない。
天霧には多くのやらなければならない事があり、風間のように暇ではない。このように黙ったまま過ぎる一秒でさえも勿体ないくらいである。何かあるのならばさっさと伝えて欲しいと思った天霧は自分から二人の周りに漂い続ける沈黙を打ち破った。
「風間、何か用があって私を呼んだのではないのですか?」
「ああ……」
「では、どのようなご用でしょうか?」
「今から京に行こうと思っている」
「はっ?」
「京のじゃじゃ馬の所に行くのだ」
「はあっ?」
風間の急な京行きに天霧の細い目が丸くなる。京といえばあの八瀬姫である千姫がいる場所であり、風間自らその場所に赴くと言うなど金輪際あり得ない事だと天霧は思っていた。
「千姫の所には何をしに行くのですか?」
天霧がそう問いかけると、風間は脇息に自分の身体を更に深く凭れ掛けさせて欠伸をした。
「お前にもそろそろ嫁をと考えていてな」
「嫁? この私にですか?」
「ああ、そうだ。それを考えていたら千姫に仕えている君菊を思い出したのだ」
「君菊……ですか」
君菊との話は今までなかったが、この天霧にも長老たちから嫁取りの話はあった。そしてその紹介された女たちとも会った事があるのだが、その時に限っていつも風間から大反対を受けていたのだ。その理由がまた馬鹿らしい。
男鬼という生き物は、嫁をもらうとそれを一番に重視する。風間家に仕える天霧は主に忠実でなければならない。従って嫁など取るなどとんでもない事だ。
家臣が主よりも先に嫁を取る事など許せない。
最終的には、自分の世話をする者がいなくなる。だから風間の世話をする妻を娶るまでは天霧にそれをする事は許されなかったのである。しかし今回の倒幕で風間は千鶴という由緒正しき雪村家の女鬼を見つけた。そして千鶴と共に蝦夷まで突き進んで行った風間がようやく西の里に戻った時、天霧にこう言ったのである。
あの千鶴を我が妻に迎える――
風間は既に千鶴を自分のものだと思っていたのだが、その千鶴からなかなか返事が来ない。苛立ちを募らせた風間は、師走の半ばに江戸に行くような事を天霧に伝えていた最中に天霧の嫁取りの事も思い出し、言い出してきたのだ。
何度か嫁にと言われた女と付き合ってみたものの、天霧は今この目の前にいる我儘な男、風間が心配であり、その女たちに執着する事もなかった。別に生涯独り身でもいいとも思っていたくらいだ。その理由は、このように風間に急な呼び出しを食らってもすぐに駆けつける事ができるし、結局は幼い頃から主と慕ってきた風間中心にしか自分は動けないだろうと確信をしているからでもあった。
「しかし何故、今頃になってこのような話を持ち出したのですか?」
天霧が問い掛けると、脇息に凭れていた身体を少しだけ起こした風間が大きな伸びを起こし、再び大あくびをした。
「いや、特に意味はないが……まあ、お前もそろそろ嫁をもらってもいいかと思ってな」
風間の言葉を聞きながら天霧はこの数か月間の事を思い出していた。
頭領がしなければならない仕事は殆ど片付いている。これは風間が江戸にいる千鶴を迎えに行くと宣言してきた時、天霧が滞っているそれらを片付けてから行けと伝えたからである。仕事はできるのに面倒臭がってしない風間ではあったが、執着する目的があれば、自分の周りはすっきりとさせていく男である。つまり、【飛ぶ鳥跡を濁さず】である。そして千鶴を迎えに出立をするまでにはあと数日間あり、風間はその時間が【暇】になってしまったのであった。この男、風間が暇になると余計な事を考え始める癖がある。そして余計な考えが思いつくとすぐに行動したがる難癖もあった。
風間は立ち上がると、天霧に向かって顎をしゃくった。
「今から行くぞ」
「い、今からですか? 千姫にあちらに行く事を先に伝えなくてはなりませんよ」
「ふん、西の鬼の頭領であるこの風間千景がわざわざ足を運んで行ってやるのだ。そのような伝言はいらん」
「しかし、あちらは由緒正しき鈴鹿御前の末裔の方です。私たちが京に行く用事や理由を事前に伝えておかなければなりません」
天霧が説明をするが、風間はその必要はないと掌をひらりと翳した。
「何が鈴鹿御前だ。ただの男たらしの女の末裔だろうが」
「お、男たらし……私たちより格式のある鬼に向かって何と罰当たりな……」
「何が格式があるだ。あそこは鬼の中で唯一の女系の一族だからな。女鬼の出生率が低い我ら鬼に対して大きな顔をしていられるだけの事だ」
風間の容赦ない暴言に天霧の頬が引き攣る。各地方に散らばる鬼たちが恐れ多くて言葉も出ないくらい高貴な千姫に向かって、傲慢な態度を見せるのはこの風間くらいである。
「ところで天霧。お前はどのような女が好みなのだ?」
千姫の貶し文句を終えてすっきりとした表情を浮かばせた風間が違う話題を振ってくる。
「どのような女が好みだと言われましても……」
「君菊は違うのか?」
「何故、君菊に断定されるのですか?」
「いや、思いついたのがあの女の名前だっただけだ」
「はあ……そうですか」
風間は興味気なさそうに天霧に伝えてくるが、この男が興味もない事をいちいち覚えていた例はない。君菊の名を覚えていたという事は、風間にとって何かしら興味があったのだ。それに、天霧も君菊という女には少しだけだが興味はあった。恋愛などまでは考えなかったのだが、自分の立場と君菊の立場が似ていて親近感を持っていた。数年前に風間と千姫を会わせた時にも、貶し合う二人の姿を見ながら君菊と苦笑を漏らしながら会話をした。
共に厄介な主を持ってしまいましたね――と。
その後から新しい日の本の中で鬼の世界も改められようとしている今、方々の鬼たちから天霧へ送られてくる書簡の中には君菊のも頻繁にあり、その書状などを呼んでいて気が合うとは思っていた。そんな天霧の気持ちを、恐らく風間も薄々と気付いていたのだろうし、天霧の伴侶の事を心のどこかでは気にかけていたのかもしれない。しかし、思い立ったら後先考えずに突き進んで行くこの行動力をどうにかしてほしいと願う天霧に、ずっと立ったままの風間が、
「もたもたしている暇はない。さっさと行くぞ」
と大きく鼻を鳴らしながら言って部屋を出て行く。それを見つめながら天霧が呟いた。
「この後、波乱が起きそうだ……」
- 36 -
*前次#
ページ: