看病されたい男-sidestory-



 風間は幼い頃に何度か熱を出した事がある。しかし、心配する天霧にいつもこう言っていた。


 寝ていれば明日には下がる。だから構うな、部屋に入って来るなよ――と。


 久し振りに懐かしい夢を見たと、天霧が目覚めてからも暫くの間は布団の中でその夢の余韻に浸っていると、部屋の前を慌ただしく走って行く音が響いてきた。


 何事かと思って襖を開けると、ちょうど目の前に水を張った盥を抱えた千鶴に出くわした。


「千鶴さま、どうされたのです?」
「天霧さん、お早うございます。千景さんが熱を出しちゃって」
「風間が熱ですか? 珍しいですね」
「ええ、それが酷い高熱なんですよ。それで申し訳ないんですけれどお医者さまを呼んで頂けませんか」
「ええ、それは構いませんが、千鶴さまは江戸で医者をされていたのですから、風間の病が何かは分かるのでは?」


 天霧のその言葉に千鶴が苦笑を漏らした。


「ええ、見たところはただの風邪なんですけど、薬を調合するにもその材料がなくって……」
「ああ、成る程。分かりました」


 少し嫌味だったかと思いながらも、天霧は医者を呼びに行く為に身支度を始めた。そして出掛ける前に風間の部屋を覗き見ると、確かに高熱のようで、布団の中では顔を薄っすらと赤くさせた風間がうんうんと唸っている。しかしそれほど酷くはないようだ。それなのにあの千鶴の慌て振りは何だったのだろう? 今、千鶴は風間の布団の横でつきっきりの看病をしているが、天霧には何となく、千鶴の表情がさも迷惑だと思っているように見えた。


「千鶴さま、今から医者を呼びに行って参ります」


 天霧が廊下で挨拶をすると、千鶴が頭を下げながらお願いしますと返事をしてくる。その間も、風間は自分から離れないようにする為か、千鶴の手をしっかりと握り締めていた――。




 天霧が医者を連れて来て風間の診察をしてもらっている間、天霧は千鶴と共に庭で空を見上げていた。


「風間の容体はそんなに酷いのですか?」
「いいえ、朝にも伝えた通りで流感とかではなくてただの風邪ですよ」
「そうですか……」
「何か気になる事でもあるんですか?」


 天霧が考え込むような仕草をした為に、千鶴は気になったのか問い掛けてくる。そこで、天霧は風間の過去の話を始めた。


「風間は熱を出した時、私を部屋に入れて看病もさせずに一人で寝て治していた男でしたが、今朝、部屋を覗いた時に千鶴さまを片時も離さずにいらしたので驚いたのですよ」


 天霧の話を最後まで黙って聞いていた千鶴がいきなり小さな笑い声を放った。


「私は何か可笑しい事でも話しましたか?」


 別に面白い話をしたわけではない天霧が不思議そうに首を傾げていると、千鶴は笑いを続けながら返事をしてきた。


「いいえ、天霧さんの話が可笑しくて笑ったわけではないんです。だから気を悪くしないで下さいね。恐らくですけれど、千景さんは看病をされたかったんだと思います」
「風間が看病をされたいですって?」


 驚いた天霧が瞠目する中、千鶴は笑顔で頷いた。


「千景さんは今まで一人で病を治してきたと天霧さんはおっしゃいましたけど、病になった時ほど心細いものはありません。そんな時に看病をしてくれる人がいるとそれだけで心強いものです。そして優しくされたいって思うんです。この里に来る道中に千景さんは一度だけ熱を出されたんですが、ぎりぎりまで私に教えてくれなかったんですよ。だけど、小田原宿で私に看病されていた時、とても嬉しそうにしていたんです。その記憶があったから今、このように甘えているのかもしれませんね」
「風間が甘える?」


 今までの風間に我儘は言うものの甘えるという行為は見た事がない天霧はますます驚いた。


「ええ、私が粥などを作ってくると言っても、お前はここにいろ、絶対に離れるな。でもご飯は食べてもらわなければならないでしょう? だから作ってくると言ったら時間まで計られてしまって大変だったんですよ。それに盥の水を換えるだけでも走って行って戻って来なければならなかったんです。少しでも遅れたら不機嫌になるし、厠に行きたいなと思っても手を放してくれないし……あっ、お医者さまが診察していらっしゃる間に厠に行って来ますね!」


 千鶴は話しの途中で思い出したのか、厠に向かって慌てて駆け出して行く。恐らく医者が帰った後から風間の束縛が始まるからそれまでに自分の用は済ませておこうという考えであろう。


 病になった時ほど心細いものはない。それは幼い頃に一人で病を治した風間が一番よく知っているのだろうし、医者であった千鶴もそのような気持ちをよく理解しているのかもしれない。あれは迷惑している表情ではなく、風間の為に作りたい病人食が作りに行けずに困っていたのである。しかし病である風間の甘える姿を見て傍から離れられなかったのだ。


 庭に一人になった天霧が空を見上げ続けていると、風間の部屋の襖が開いて医者が姿を現した。


「風間の病は?」
「ああ、ただの風邪じゃ。一日寝たら治るじゃろ」
「そうですか……」


 我儘で勝手な主ではあるが、幼い頃から共に成長をしてきた仲である天霧も、風間の病が軽い事を知ってホッと胸を撫で下ろした。そして医者を送ろうと歩みを始めた時、風間の部屋から大きな声が聞こえてきた。


「おい! 千鶴はどこだ!?」


 天霧は医者に待ってもらう為に広間に案内すると、慌てて風間の部屋を覗いた。すると、そこには既に千鶴の姿があった。


「どこに行っていたのだ?」
「厠ですよ。私だって限界がありますもの」
「それくらい我慢をしろ」
「何ですか、それ……」


 全く無茶を言う男だと天霧が思っていると、千鶴が風間の乱れた掛布団を直しながら優しい笑みを浮かべていた。


「今夜の夕食は何にしましょうか? 千景さんが食べたいものを作りますよ」
「酒でいい」
「お酒は当分我慢して下さい。やっぱりお粥にしましょうね」
「ふん! あのような味気のないものを食わねばならんのか」
「病人ですから……」
「もう治っているから酒にしてくれ」


 風間の我儘に終止符を打ちたかったのだろうか、千鶴が少しだけ声音を落として風間に囁いているが、それは全て天霧の耳に流れ込んでくる。


「お酒を我慢できたら、今夜はあの時みたいに一緒に寝てあげますよ」
「ああ、熱の時のあれは寒気のする身体には良かったからな。仕方あるまい、酒は我慢してやろう」


 千鶴の交換条件に嬉しそうな笑みを零す風間。そんな風間に千鶴がちょっとした意地悪をしていた。


 風間の額に自分のそれを当てて問い掛ける。


「あら、熱は引いてきているみたいですから一緒に寝なくても大丈夫かしら?」


 すると風間がいきなり千鶴を布団の中に引きずり込んでいた。


「いや、まだ熱はあるし寒気もある」
「あの、今夜一緒に寝ると言ったんですよ?」
「今からでもいいではないか。それに一緒に寝ないのならば酒を呑むぞ」


 山のように膨らんだ掛布団が天霧の目の前でもぞもぞと動きを見せ始める。この様子だと、医者の言う通り熱は明日には完全に下がるだろう。


 しかし、何ともまあ――風間も変わったものだ。



 二人の甘い甘い会話を聞いてしまって恥ずかしくなった天霧は、顔を少し赤らめながら静かに襖を閉めていった――。


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