多忙な不知火に褒美を-sidestory-



「全く! 風間は一体どんだけの人数の女と付き合っていやがったんだ!」


 最後の女の始末をようやく終えた不知火が、フラフラの足取りで天霧の待つ場所へと戻る。勿論、その場所とはあの仕事部屋。次に不知火がしなければならないのは風間が帰らない為に積みに積み重ねられた仕事の山の処理であった。


 書類に目を通してから風間の筆跡を真似て署名書きを繰り返し、仕事部屋が美しく片付いていた。


「ふわあああぁっ! 疲れたっ!」


 文机の前に向かっていた不知火が両手を上げて仰向けに倒れると、床につけた頭の傍で天霧が軽い拍手をしてくれていた。


「不知火、お疲れ様でした。助かりましたよ」
「ふん! 後で本当にあの珍酒をくれんだろうな?」
「おや、私を疑っているんですか? ちゃんとそこに用意をしてありますよ」


 天霧の指差す方に視線を向けた不知火は咄嗟に起き上がってその場所に駆け寄る。


「おおぉっ! 徳利が五本もあるじゃねぇか!」
「ええ、あなたにはかなり無理なお願いをしてしまいましたからね」
「天霧もいいところがあるじゃねぇか!」


 徳利の蓋の栓を抜いた不知火が中の酒の臭いを嗅ぐと、それはまさに望み通りの香りの酒であった。香りだけでは物足りない。口に含ませようと徳利の注ぎ口に唇を当てようとした時、


「おや、不知火宛に千姫から手紙が届いていますね。ああ、そうか。あなたが自分の里に戻らないのを知っての事でしょう。それと……これは誰でしょう? 差出人の名前が書いてないのですが、これもあなた宛ですよ」
「差出人が書いていない? そんな事あるか?」
「いえ、こういう事は滅多にないのですが……」
「ちょっと貸してくれ」


 徳利を片手に持った不知火がもう片方の手を伸ばすと、天霧がそこに差出人不明の手紙を乗せてきた。


 あまり目立たなく安っぽい、そして薄っぺらい紙が不知火の視界に飛び込んだ。


「誰だ……?」


 女ならもっと鮮やかな紙を使って送ってくるはずだ。不知火は首を傾げながらもその手紙の包みを開いた。そしてその文面を読むにつれて徐々に目を見開かせていく。


「これ……」
「誰でしたか?」
「原田だ……原田左之助……」
「あの新選組の長物使いのですか?」
「あ、ああ……えっと……何だって!」
「どうしたのです?」


 不知火が更に目を大きくさせながら文面を黙読している。それが気になった天霧が背後から覗きこんできた。


「原田が……」
「ああ……俺に大陸に向かう船に乗せてくれだとさ」
「日の本を脱け出すのですか」
「多分、新政府の監視がきついんだろうなぁ」
「そうですね……幕府に関わっていた新選組の幹部隊士たちは皆、消息不明だと言われていますからね」


 原田の手紙の中にはできるだけ早く頼むと書かれている。それを読み終わった不知火は、片手に持っている徳利を見つめながら大きな溜め息を吐き出した。


「おいおい……俺はこの後にも仕事がわんさかとあるんだよ……」




 結局、徳利の中の酒が呑めずにそのまま肩に掛けて原田の為の船の手配を始める。調べたところ、大陸行きの船は半月後には大阪から出向する予定になっていた。そこに原田を潜り込ませなければならないと、不知火は手紙の文章の最後に書かれていた住所を忍びに教え、原田からの返事は千姫の所に持って来るように頼んだ。




「で、風間からの手紙が昨日届いてね。戸隠の尾行がまだ続いているようだから助太刀を頼むと言ってきたの。だから頼んだわよ」


 千姫がだらしなく座っている薫と、珍酒の入った徳利を五本を大事そうに抱えている不知火に風間からの手紙の内容を伝える。そして不知火の方に向かって口元を歪めた。


「ちょっと、あんたはどれだけ酒が大事なの? 八瀬の姫と密談をする時くらいはそれをどこかに置いてきなさい!」
「アホ! これは俺の大事な、滅多に手に入らない酒なんだからな! どこに行くにも連れて来るに決まってんだろっ!」


 不知火も風間同様、千姫とは折り合いが悪く、このような席ではいつも言い合いとなる。だらしなく座りながらその光景を見つめていた薫が口を開いた。


「会合の時でもいつもなら真っ先に酒を呑む不知火が一滴も呑まないとは珍しいな。それに見たところ、その酒は珍しいものみたいだ。俺にも一本くれよ」
「これは一本どころか一滴もやれねぇよ。一緒に呑みたい男に会うまでは俺も呑まねぇと決めてるんだからよ」
「ケチな男だな」


 と薫が機嫌を損ねたような声音を出す。そして、不知火の口から飛び出た男に千姫が反応をした。


「一緒に呑みたい男って誰なの? あんたまさか、あの人間の男の墓石にそれをぶっかけるつもり?」


 勿体ない事をしないでよと、不知火の持っている酒にどれ程の価値があるのかを知っている千姫が溜め息を吐く。すると、不知火が五本のうちの一本を見つめながら呟いた。


「あれは死んじまったからな……これを一緒に呑む事はできねぇが、今度の相手はしっかりと命をこの世に留めている男だ。だから勿体ない事はねぇよ」
「だから、その男は誰なのよ? あんたの事だからどうせ人間でしょ? あの高杉って男よりも共感ができる男でも見つかったの?」
「ああ、見つかったさ……でもそいつは大陸に行っちまうらしくてな。船の手配をしてやってある所で落ち合う算段になってんだ。そこで別れの酒を交わす時にこれを使おうと思ってよ」


 八瀬の里は情報の網羅。千姫は大陸に渡る男というところでようやくそれが誰なのかを理解した。


「新選組の原田さんね。あの男(ひと)すごく優しかったわ。特に女にはね」
「ふん、どうせもてたかっただけだろ?」


 千姫がうっとりとしながら話しているのを聞いていた薫が口をひん曲げる。千姫と折り合いが悪い不知火なら、ここでは薫の加勢をしなければならないところであるが、


「いや、あいつは本当に優しい男だぜ……」


 と、千姫の言葉に同意の気持ちを示していた――。




「じゃあ、原田さんを大陸行きの船に無事に乗せる事ができたら戸隠、そして薫の方に加勢をお願いね」
「全くよぉ、分刻みの行動じゃねぇか……俺の身がもたねぇよ」
「鬼だからこれしきくらい何て事はないでしょ?」
「アホッ! 鬼でも体力に限界が来る時はあらぁ!」


 不知火が千姫の方に吠え立てた瞬間、目の前に五本の徳利が現れた。まさか自分がどこかに置き忘れたのかと思って、慌てて手の中を見てみると、しっかり五本の徳利を持っている。


「何だよ、これ……」
「報酬よ。あんたがお金を渡しても喜ばない事くらいは分かってるからこれを用意しておいたの。でもまさか五本も持っているなんて思ってもみなかったから……。でも、大酒呑みが二人だし、合計十本、二人で割って五本。これで十分に足りるんじゃない?」


 千姫とは折り合いが悪い。しかし鬼とは礼儀をしっかりと尽くす生き物であり、様々な用事を頼まれて走り回っている労いか、不知火の喜びそうなものを用意していてくれたらしい。


 不知火はその五本の徳利を有難く受け取ると、


「まあ、戸隠と薫の助太刀は任せとけ!」


 と、八瀬の里を機嫌よく飛び出して行った。それを見つめていた千姫が柔らかい笑みを浮かべる。


「あの高杉が死んだ時の不知火の落ち込みようは激しかったものね。でも、今回は別れの酒でも意味が違うから嬉しそうだわ」



 大好きで堪らなく、なかなか手に入らない珍酒が十本。そして原田との再会。それは多忙な不知火に与えられた褒美のようなものであった――。


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