東海道-沼津宿→原宿
沼津宿で少しの休憩をした風間と千鶴は原宿に向かって進んで行く。以前まで風間の背中を見ながら追いかけるようにしてついて歩いていた千鶴。しかし最近は風間の隣りを共に歩くようになっていた。
「俺の嫁になる者が堂々と隣りを歩くとは、なかなか出しゃばった真似をしてくれる」
そのような意地悪な言葉を放ちながらも、風間の顔は微かに緩んでいるようだ。そんな風間を見ながら千鶴の頬も自然に緩みがちになってしまう。
「風間さんは意地悪です。この旅の中でいつも私をからかってばかりで……。でも……」
そんな風間さんをどんどん好きになっている――
西へ行くと決意した時に【大好きだ】と言葉を放っている千鶴は、何度もその言葉を外に出す事が難しくなってきている。その理由には、その言葉を出す毎に今では思いでと化している新選組の記憶がいずれ消えてしまうのではないかと感じ始めていたからであった。
風間は、途中で言葉を切った千鶴の顔を不愉快そうに見ながら大きな溜め息を吐く。
「話の途中で止めるとは……お前のその含み言葉は止めろ。言いたい事があるならば最後まではっきりと言葉で伝えなければ意味が無い」
そう言って千鶴の指に自分の指を絡めると、早足で歩き始める。
風間は中途半端な言葉や、嘘つく事を好まない。伝えて良い事と悪い事はしっかりと分けているようだが、伝えなければいけない時は相手が傷つこうがしまいがはっきりと言葉を出してくる。その為、千鶴の途中で言葉を止めるような言い回しがどうも気に入らないらしく、そんな言い方をした時には必ず注意を促してくる。そして、最近の旅の中での二人の会話は過去の事やその場しのぎのものではなく、まだ未知なる先の話をする事が多くなってきていた。
千鶴が新選組を忘れた訳ではないのは風間も承知だ。何故なら、千鶴の手元にある小さな荷物の中には、蝦夷で泣きながら抱えていたぼろぼろの【誠】の旗も共に包み込まれていたからだ。
千鶴は黙って持ってきたつもりだろうが、風間は江戸を出立した時から分かっていた。千鶴の記憶の中だけで薄っすらと漂っている思い出だけならば風間も我慢はできるだろう。しかし形見のようにその思い出だけに縋っているようにしか見えない行動は気に入らなかったのである。そしてその行動は、風間自身をも不安にさせていた。
江戸を出立する時、千鶴は風間に【大好き】の言葉を放った。しかし、その言葉を信じさせないものがその包みの中に入っている。確かに悲しい夢は見なくなった。会話も将来に向けての明るい話題にもなってきているが、まだ千鶴の中には新選組の思い出が重く圧し掛かっており、その思い出に浸り続けているようなのだ。
そんな風に考えている二人の周りには、沼津宿から原宿まで続く千本松原の景色が取り囲んでいた。
一本植えてはなむあみだ、二本植えてもなむあみだ――
三枚橋城(沼津城)を築いた武田勝頼が北条との千本松原の戦の時に伏兵を恐れて松を残らず切り倒してしまったらしい。その為、苦しんだ農民を見た増誉上人がお経を唱えながら松を植え再生させたそうだ。
斜めに延びている松の木を見上げながら千鶴は遠くに見える空を見上げた。
いつの時代の戦も悲しいものである。その中で死んでいった者たちは何を思い、何を感じたのだろうか?この松のように倒れそうになりながらも、上を目指していこうとした新選組の仲間たちの顔が千鶴脳裏に懐かしい光景として浮かび上がってきた。
この松の木たちが植えられる前の切り倒された松の木たちは、その時代に翻弄され、斬り殺された者たちともよく似ている。
千鶴の頬から一筋の涙がつーっと流れ落ちた。そして風間は、その千鶴の姿を黙ったまま見つめていた――。
「今日は原宿で泊まるのですか?」
「ああ、そうだ」
二人は原宿の宿の中に姿を消して行った。
夜、宿の一室で口付けを交わす音だけが聞こえる。
風間はいつもそれだけしかしない。
【約束】というたった二文字の言葉が二人の間に重く圧し掛かっている。
本当は抱いて欲しいと、千鶴の全身が求めてくる。しかし、その言葉を風間に吐き出す事ができない。
「か、風間さん……」
「何だ……?」
互いの唇が距離を持った時、千鶴が風間の名を呼ぶ。それに優しく応えてくれる風間だが、その後から伝えたい言葉が喉奥に引っ込んでしまう。
「何が言いたい?」
「何も、ありません……」
「言いたい事があるのならば最後まで言え」
「いえ、何でもないんです……」
風間が溜め息を吐き、その胸の中に顔を埋めている千鶴の頬がそれの動きに合わせて波打った。
「途中で話の続きを止める。それはお前の悪い癖だ」
そして風間は再び口付けをしてくる。それの行為には、
今は何も言わなくていい――
いつか言いたい時に言ってくれればいい――
そう言ってくれているように思える。
いつかはっきりと言葉で伝える事ができるだろうか?
風間に抱いて欲しいと――
ただそれは風間の思い通りになるようで嫌だ。そこで千鶴は気付く。
本当に素直でない女だ。しかし、そのような千鶴にも素直になれる相手がいた。
何故だろうか、その男の顔が脳裏に浮かび続ける。しかし、その姿はすぐに掻き消される。それは千鶴が新選組の事を考えていると知った風間が先ほどよりも深く激しい口付けを施してきた為である。
脳裏の中で薄れていくその姿を見た千鶴、
いつかあの男に会う日があるのではないかと心の片隅で思いながら、口付けの渦の中に呑み込まれていった――。
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