東海道-吉原宿→間の宿本市場→間の宿岩淵→蒲原宿



 この吉原宿は地形的に見て水害に弱い地であり、何度も高台の方に移されているのだそうだ。当初は海岸線に宿があったのだが、高潮の影響で徐々に海岸から遠ざかり、北の方へと移動したという事である。


 この東海道での富士の山の姿は、普通は右側に見えるのだが、この吉原宿の一か所では左側のそれを見る事ができる。ちょうど見える位置辺りには【左富士神社】があった。そしてその先を歩き続けると和田川にかかる【平家越えの橋】が見えてきた。


 千百八十年に起こった源平合戦の一つで、有名な富士川の戦いの場所である。


 風間の話によると(平家物語を読んだ知識を引き出したのだそうだ)この和田川沿いのこの場所と滝川との間にある富士沼と呼ばれる広大な湿地帯の場所に平維盛、忠度を将とする平家方七万人強が陣取っていた。そして富士沼の水鳥が一斉に飛び立つ羽音を聞き、敵の襲撃かと思った平家方は戦わずして漬走してしまった場所らしい。


 吉原宿の中を歩き続ける二人は、先ほどの内容で相変わらず憎まれ口の言い合いをする。文句の言い合いは真っ正直な言葉を伝える事ができるのに、自分たちの事になると互いに素直な言葉が出てこない。そのような風間と千鶴の関係は吉原宿へ入る前よりもかなり悪化した状態を見せていた――。


 吉原宿から蒲原宿への途中には間の宿である本市場がある。


 少し歩いて行くと、大きな地蔵が二体と可愛らしい六体の地蔵があり、その前には可愛らしい花々が飾られている。


 仲の悪さはそのままだが、海道の説明はしてくれる風間。 そして千鶴もその説明だけはしっかりと聞くようにしていた。


「この辺りで悪性の眼病が流行った時にこの地蔵に願を掛けると治ったらしい。その時この地蔵たちの目にはたくさんの目やにがついていたらしく、身代わり地蔵と呼ばれるようになったそうだ」
「目は大切ですもの。このお地蔵さまたちのお陰で多くの人々が助かったんですね」
「ふん、言い伝えだ」


 相変わらず機嫌の悪い風間が投げやりな返事をする。それに対して千鶴もまた反論をして、再び言い合いとなっていた。


「お地蔵さまや神さま達のご加護をおざなりにすると、後で大変な事になりますよ!」
「ふん、俺は鬼だ。人間の神などに縋りつくような事はせん」


 そして突然に歩く方向を変えた風間が一軒の茶屋に入って行く。それを見た千鶴が呼び止めた。


「風間さん……!」
「休憩をするぞ」
「えっ、そうならそうと言って下さいよ」
「俺が茶屋に入るという事は休憩するに決まっておろう」


 そう言い放ってその茶屋の中に入っていく風間の背中に向かって、千鶴は大きな溜め息を吐き出した。


「もう……本当に勝手なんだから……」


 この本市場は吉原宿と蒲原宿の中間の休憩所であり、多くの茶屋が立ち並んでいた。


 名物は白酒、葱雑炊、肥後ずいきである。


「名物に白酒や葱雑炊は分かるんですけど、肥後ずいきって葉は乾燥させると食用にもなりますけど、芋そのものは固くて食用にならないですよね?」
「肥後ずいきは性具だ」
「せ、性具……?」
「知っているのか?」
「いいえ、知りません。どんなものなのですか?」
「ずいきの成分が男女の生殖器、特に女の方の穴の中に刺激をもたらし性的快感を与える。肥後ずいきは薩摩の伝統の性具だから俺はよく知っているが、参勤交代の土産物として献上したらしく、大奥では欠かせないものだったらしい」
「そんなものがあるんですか」
「肥後ずいきは肥後が本場であるが、ここの原料の蓮芋が良質らしくてな。今では肥後を凌ぐほどになっているらしい」


 これは意外と恥ずかしい会話なのだが、風間はそのような事もなく淡々と説明をしてくれる。しかし、隣りで聞いていた千鶴の顔は真っ赤に染まっていた。


「どうした?」
「い、いえ……何でもありません」
「ずいきを試してみたいのか?」
「そ、そんな事あるわけないでしょ!」


 風間に本音を突かれた千鶴が大声を上げると、茶屋の中の旅人たちが一斉に振り返ってくる。その視線を浴びるように受けた千鶴は顔を俯かせてしまった。


 正直な話、千鶴はその性具にかなり興味があった。しかし、女がそのようなものをあからさまに欲しいなどと言える訳がないと思っていると、何を思ったのか風間が立ち上がり茶屋を出て行ってしまう。茶屋を出る言葉も掛けないという事は、まだ休憩をしたばかりであり、出立する様子ではないらしい。その後ろ姿を追い掛ける事もできない千鶴がポツンと一人で座っていると、姿を消していた風間が再び茶屋の中に入って来た。


「さて、そろそろ出るか」


 戻って来たと思えばすぐに出立をすると言う風間に、千鶴は顔を上げて首を傾げた。


「風間さん、どこに行ってらしたんですか?」
「少し用があってな……」
「厠ですか?」
「まあ、そんなところだ」


 しかし風間の顔が変ににやけている。不審に思った千鶴は茶屋の外に出ると、ここに入るまでは手ぶらであった風間が何かを持っている事に気付いた。


「それ、何ですか?」
「ああ、忘れておった。お前にやろう」
「えっ、私に……?」
「恐らく欲しがっていたものだとは思うが……」


 何だろうと思い、包みを開けようとした千鶴の手を風間のそれが止める。


「このような所で見ん方が良いぞ」
「何で……」


 風間に問い掛けようとした千鶴の顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「ま、まさか……こ、この包みの中って……」
「薩摩にもあるのだが、この場所のものは良質だと言うからな。まあ、持っておいても悪くはないだろうし、いずれは使う時もやってくるだろう」
「な、な……」
「一番高値のものを買っておいてやったからな。感謝しろ」


 千鶴の心中を全てお見通しの風間に向かって、千鶴は喘ぐように口を開閉させて、言葉にならない音を出していた――。


 
 本市場から歩き続けた二人は、次にある間の宿の岩淵へと進んで行く。その先には富士川が見え、その周りには雁堤と言われる堤防が作られている。この堤は人柱伝説で有名である。


 風間と千鶴が護所神社の前に立つ。そして風間が静かにこの神社が造られた理由を話し出した。


 雁堤は、当時の代官であった古郡氏が親子三代に渡って苦労の末にやっと完成させた堤である。しかし、完成させたそれもまた大雨で決壊してしまう事を恐れ、富士川を渡る千人目の旅人を柱にする事になった。


 千人目の旅人は巡礼の老夫婦。その二人はこの堤の話を聞いて役に立てるならと引き受けてくれ、生きながら埋められる事になってしまった。その巡礼の鳴らす微かな鐘の音が、埋められたその場所から二十一日もの間、聞こえてきたのだそうだ。その人柱となった巡礼と、反乱や築堤中の犠牲者を祀る為に建てたのだそうだ。


「その老夫婦は勇気ある方たちだったんですね」
「ああ、そうだな。いくら人柱になってくれと言われてもなかなかそのような思い切った事はできん」
「風間さんでもできないんですか?」


 千鶴が意地悪く問い掛けてみると、当然と言ったように鼻を鳴らした風間が再び嫉妬を起こさせるような言葉を投げ掛けてきた。


「俺が死んだら世の中の女たちが泣くであろうからな」
「風間さん……」
「何だ?」
「あなたは一度死んだ方がいいかもしれませんよ。その方が世の中の女の為になります」


 千鶴が膨れっ面をしながら答えると、風間はさも嬉しそうな笑みを浮かべた。


「まあ、お前がいるから死ねんという事にしておいてやろう」


 そう言うと、今度は手ではなく腰に腕を絡ませてくる風間。その手の感触に少しばかりの緊張を起こした千鶴はぎくしゃくしながら風間と共に先を歩いて行った。


 堤沿いを歩いて行くと水神の森、水神神社という所があり、その近くには富士川渡船場がある。二人はその船に乗り間の宿、岩淵へと向かうのであった――。


 我が国に名を得たる大河はあまたあれど、ことに富士川は海道一の急流なり。舟に乗りて渡るに、渡し守、ちからを出でだし、棹をさし、櫓を押し出す時、岸より見るものはあわやと危うく思い、船中の人は目まい、魂の消ゆる心地ぞしける――


 の言葉の通り、船に乗った千鶴は見事に船酔いをしてしまっていた――。


「気持ち悪い……」
「全く、情けない女だ」
「だって、船ってあんなに揺れるなんて知らなかったんですもん」
「まあ、確かに。今までの舟渡しは距離が短い上に波風も穏やかであったからな」


 暫く酔い冷めの為に休憩をしていた千鶴の青ざめた顔色も血行が良くなり、二人は岩淵の中を歩き始めた。


 閑静な街並みの中を歩いていると、そろそろ日が暮れはじめるのか、街道沿いに多く見える常夜灯に明かりが灯され始めていた。


「今日は蒲原宿まで歩くのだからな。急ぐぞ」
「はい」


 二人は少しの休憩をした後、蒲原宿へ向かう為に岩淵を出立した。


 辺りが暗闇に包まれた頃、風間と千鶴はようやく蒲原宿に到着をした。そして二人は旅籠【和泉屋】に宿泊する事になった。


 夜、行燈の明かりの傍で風間からもらった包みの中のものを取り出して見つめる千鶴の身体は熱くなっていた。これは風呂に入った後だからではない。千鶴の身体が肉欲的な愛を求めているのだと納得できる熱さであった。


 静かに襖が開いたが、それにも気づかない千鶴が肥後ずいきを見つめ続けている。その光景を見た風間は、気配を隠して千鶴の背後にまで歩み寄る。そしていきなり耳元で囁きの言葉を放った。


「どうだ? なかなか面白いものであろう?」
「ひゃっ! か、風間さん、部屋に戻ってらしたんですか?」
「ふん、やはり気になっていたか」
「き、気になってはいません!」
「率直に言えば興味があったと?」
「うっ……!」


 一人で真っ赤にさせていた顔が風間の出現によって更に赤くなる。その反応を読み取った風間が肥後ずいきの一つを手に取った。


「これは男の性器に絡ませるように巻き付けて使用する。これの中にある成分というものやらがかなりの刺激を与えるのだそうだ」
「刺激ってどんなものなんでしょう……」


 すると、風間が千鶴を横抱きにして互いの顔の距離を狭めた。目の前の風間の端正な顔立ちの中に厭らしい笑みが浮かびあがっている。


「試してみるか……?」
「いっ……!」
「俺はいつでも準備万端だぞ?」
「いっ……ぃ……!」
「するか? それともして欲しいか?」
「いっ……ぃいです……」


 千鶴が拒絶の言葉を吐き出すと、風間は先ほどまでの厭らしい笑みを消し去り、不機嫌さを見せ始めた。


「つまらん……」


 そう言うと、片手に持っていた肥後ずいきを放り投げて千鶴を抱いたまま布団の中に潜り込む。宿ではいつも二組の布団を敷いてくれるのだが、最近の二人は一つの布団を共有するようになっていた。


「明日は【さった峠】という難所を歩く。早く寝て体力を取り戻しておけ」
「は、はい……」


 風間に触れられている個所全てが熱を起こしている。そしてそれは一晩で冷めそうにもない。


 千鶴の頭上から風間の規則正しい寝息が聞こえ始める。


 抱いて欲しいと言えば、風間は必ずすぐに抱いてくれるだろう。しかし、その行為をした事がない千鶴は恐くて仕方がなかった。


 最初は痛みがあると言われているがどれ程に痛いのか――それと後になって快感を得られてくると言われるが本当に気持ち善がれるのか――?


 江戸ではよく近所の女たちがそのような卑猥な会話をしていたのを聞いた事がある。


 正直に気持ちが良くないと言ったら旦那が怒ったやら拗ねたやら、他の女の所にいってしまったやら、さまざまである。


 体位などは医者の勉強の一環として春画などを見たり、そのような類の書物に目を通したが、事実、見られるものではないし読めるものでもなかった。


 いずれは通らなけらばならない男女の道だが、それだけではなく、どんな事でも最初は恐くて不安になるものだ。


 恐い、恐い――



 そう思いながら千鶴は静かに瞼を閉じていった――。 


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