淡恋夢の後の気まずさ-sidestory-



 酒の入った徳利を十本も抱えた不知火は原田と待ち合わせの場所に決めた興津宿へと向かって早足で歩いて行く。


 原田が酒には滅法強いというのを知ったのは、新選組の隊士たちが花見をしていた時。不知火が桜の木の上で昼寝をしていたところ、その木の下で彼らが花見を始めたのだ。あの時の原田といったら、泥酔して腹の中央に残る切腹痕を仲間に見せながら演説を始めていた。その光景を桜花に隠れている枝の所で手に持っている酒を呑みながら垣間見ていた。


 全く、人間という生きもんってのは何でこうはしゃぎたがるかね?


 真下で繰り広げられる騒ぎ声が耳につく。しかしここから退散しようにも、真下にいるのは少しの音ですぐに反応する男たちだ。不知火は気配を隠しながら彼らが帰るまで我慢をする事にした。


「おい! 俺のこの切腹の痕を見るがいい! これはだなぁ……」
「また始まったよ。左之さんの切腹自慢話が……」
「宴会の時に酒が入るといつもこれだからな……」


 原田の演説が繰り広げられる中、土方に無理矢理酒を呑まそうとしている沖田と、酒があまり呑めない土方が沖田の手の中にある盃を押し返しながら辟易した溜め息を吐く。そしてその近くでは、風間が狙っているという雪村家の生き残りであるという女鬼である千鶴が、苦笑をしながらも原田の自慢話に付き合っていた。


 風間の女の好みをよく知っている不知火は、千鶴を見つめながら不思議そうに首を傾げた。


 あんな餓鬼みてぇな女をよくも嫁にするなどと言い出したものだ。


 不知火が心の中で呟きを漏らしながら真下の光景を見下ろしていると、何故だろうか。日も西に傾きかけてきた頃になって千鶴から目が離せなくなってしまっていた。


「おーい、そろそろお開きにするぞ!」


 下戸である近藤は素面のままで両手から軽くて大きな音を立てる。すると、新選組の隊士たちが一斉に片付けを始めた。その時の千鶴の手際の良さといったら、やはり女だからだろうか。周りにいる隊士たちよりも手早くて無駄のない動きであった。


 馳走が入っていた重箱を重ねて風呂敷に包み、酒の道具も竹かごの中に重ねていれている。そしてその場所に敷いてあった茣蓙も全て丸めると、それらを男たちに手渡していた。そんな千鶴は新選組の男所帯の中ではよく目立つ。不知火が辺りに散らばる隊士たちに視線を向けると、複数の者たちが千鶴の方にねっとりとした眼差しを向けていた。


 新選組の屯所内では千鶴が女だという事は極秘とされているのだが、そのような秘め事など、毎日共に暮らし続けているといつかは襤褸が出る。幹部隊士たちを恐れている平隊士たちは千鶴が女である事を決して口には出さないが、薄々気づいている者もいるのだろうし、色気のない屯所内で紅一点である千鶴はかなり危険な位置にいると言っても過言ではなかった。


 何だか苛々するな――


 不知火が眉間に皺を寄せながらその男たちを睨み下ろすが、その者たちは気配を消している不知火の存在になど全く気付いてはいない。


 酔っ払った原田と永倉を支えながら屯所に向かって歩いて行く幹部隊士たちを見た不知火は、更に眉間に皺を寄せて舌打ちを起こした。


「おいおい、雪村の女鬼を放って帰るつもりか?」


 最後に塵を拾い集めている千鶴の背後には、先ほどから不知火が目をつけている平隊士の男たちがいる。彼らの目的は千鶴である事くらい、すぐに確認できた。


 不知火は腰に差してある短銃を取り出すのではなく、長髪を纏めている紐のところから細い糸を取り出した。そして、今まさに千鶴の背後から飛び掛かろうとしている平隊士たちに向かってそれを飛ばした。


「うわあぁっ!」
「な、何だ……!? 引っ張られる!」


 背後で男たちの叫びを聞いた千鶴が振り向くと、そこには操り人形のような動きをしている平隊士たちの姿があった。


「皆さん、どうしたんですか?」


 千鶴が慌てて駆け寄ろうとしたのだが、その男たちは両手を振りながらこっちへ来るなという合図をしてくる。まさかこの男たちが自分を襲おうとしていたなどと考えもしない千鶴は狼狽えた。


「どうしよう……!」


 狼狽えながらも、男たちの異様な動きをしっかりと見つめていた千鶴は、腰にさしてある鞘から小太刀を抜き出し、その方に向かって刃を振り落した。


 不知火が操っていた糸が切れ、人形のように動いていた男たちが地に倒れ伏す。そして自分たちの身に起こった恐怖に駆られてか、飛ぶように屯所の方へ向かって駆けて行ってしまった。


 その場所に一人きりとなった千鶴が地に落ちた細い糸を手に取る。不知火家に伝わる得物に気付いた千鶴に賞賛の意を贈るような口笛を吹いた不知火。その音に気付いた千鶴が周りを見渡した。しかし姿が見えない為に警戒心を露わにしていると、すぐ傍にある桜の木の上から声が降り落とされてきた。


「それは俺のだぜ」
「えっ……?」


 千鶴が桜の木を見上げると、枝に両足首をかけて宙ぶらりんになりながら笑っている不知火の姿があった。


 不知火が桜の木の枝から地に飛び降りると、千鶴が驚きを隠せないような表情を浮かばせている。


「し、不知火さん……あなた……」
「いやぁ、さっきまですげぇ騒ぎだったな」
「ずっとこの木の所にいらっしゃったんですか?」
「ああ、一部始終見せてもらったぜ。それと、さっきの男たちがお前を犯そうとしていたところもな」
「えっ……?」


 不知火の出現でも驚いているのに、同じ仲間である男たちが何を考えて行動しようとしていたのかを知った千鶴が更に瞠目した。


「雪村の姫さん、ちったぁ気を付けろよ。数人の男たちはお前が女だって事を知ってるぜ」
「あ……」


 不知火の警告に、千鶴が自分を守るように両手で身体を強く締め付ける。あの屯所内では幹部隊士たちの目が離れたら自分の身は野放し状態。それを守るのは千鶴自身であり、誰も助けてはくれない。


 千鶴のその姿を見た不知火は、何故だか守りたいという衝動に駆り立てられた。


 片手が千鶴の肩に触れる。そして不知火の口からは自然と言葉が漏れ出た。


「おい、俺のところに来ねぇか?」
「えっ?」


 不知火の言葉に千鶴が身体を一振るいさせながら硬直する。


「ま、まさか、私を連れ去るつもりでは……?」
「違ぇよ。お前がいいって言うんなら俺が嫁さんにもらってやるって言ってんだよ」
「わ、私が不知火さんのお嫁さん!?」
「へっ、嫌か?」
「い、いえ。嫌っていう訳ではなくてですね。私と皆さんは今、敵対しているんですよ?」
「ああ、人間絡みでな。しかし、俺たちは鬼の仲間たちが敵対する事を望んじゃいねぇ」
「風間さんもそうでしょうか……?」
「何でそこで風間の名前が出てくんだ?」
「いえ、別に……」


 千鶴の頬が今、不知火の真上にある桜の花のような色に染まる。


 こいつ、気付いていないようだが本当は風間の事を――


 千鶴のまだ未知なる恋心に気付いた不知火。


 今ならこの女を奪い去る事ができると邪な考えをする一方、抱き締めたい衝動に駆られた不知火が、千鶴の肩に乗せていた手に力を入れて引き寄せようとした時、


「おい千鶴!」


 原田の叫ぶ声が遠くから聞こえてきた。


「ちっ! 余計な時に邪魔もんがやって来たもんだぜ」


 不知火はそう言うと、再び桜の木の上に姿を消す。それを見上げていた千鶴に言葉を振り落した。


「俺がここにいるっていう事を言ってくれてもいいぜ」
「そ、そんな事は言いません」
「へっ、何で?」


 自分を見上げている千鶴に向かって問い掛けをする不知火に、千鶴は小さな声で囁くように言葉を投げ掛けてきた。


「だって、同胞なんでしょう? 私だって無意味な争いはしたくありませんから」


 千鶴が不知火に背中を見せて駆け寄って来た原田の方に微笑みかける。


「悪い! 俺が酔っ払っちまって屯所まで運んでくれたのは良かったんだけどよ。少し酔いが覚めたところに数人の隊士たちが慌てて戻って来て、千鶴がここに一人きりだと言ってきたんで急いで迎えに来たんだ。大丈夫だったか? 風間たちや不知火、天霧のような鬼たちには会わなかったか?」
「塵を拾っていたので戻るのが遅くなっただけですし、大丈夫でしたよ。迎えに来て下さって有難うございます」
「それなら良かった……って、ああ! まだフラフラするなぁ」
「明日は二日酔いですね」
「ああ、そうかもしんねぇなぁ……。全く、明日は昼の巡察だってのについてねぇぜ」


 千鶴が原田と肩を並べて満開の桜の木の下から遠ざかって行く。それを見つめていた不知火の方に千鶴が一度だけ振り向いた。


 夕日が千鶴の白い肌を朱に染める。その時の千鶴の笑顔は眩しい程に輝いていて、その日以来、不知火の脳裏からその光景が消し去られる事はなかった――。


「ん……つい寝てしまってたか……」


 興津宿に到着をした不知火は、原田が来るのを待っている間にうたた寝をしていたらしく、目覚めた時には既に外は暗くなり始めていた。


「原田の奴、遅ぇな……」


 夕刻には到着すると忍びの者からの伝言があったのだが、待てども原田が姿を現すような気配がしない。不知火は眠っている間もしっかりと抱き締めていた徳利十本を見つめていた。


 高杉の時に味わったような別れではなく、原田の新しい人生の道を開けてやる手伝いができると考えると、この別れは晴れ晴れしく感じた。


「しっかし、あん時の夢を見るとは思ってもみなかったぜ」


 千鶴の笑顔が不知火の脳裏を占領する。


 同胞である風間は既に千鶴の夫気取り。いや、千鶴も風間の事を愛しているのは何となく分かる。


 あん時、顔を桜色に染めてやがったからな――


 不知火は長髪を纏めている紐の個所から細い糸を抜き出した。


 不知火家に伝わる糸――あの時、これで千鶴の身体から自由を奪って連れ去っていたとしたら――一瞬そう考えた不知火は小さく首を横に振った。


「俺にはそんな事はできねぇな……。それに俺が千鶴に淡い恋心を抱いているなんて知った風間の仕打ちが怖ぇしなぁ」


 徳利十本を抱えたままの不知火がブツブツと言葉を連ねる。


 好みの女ではないのに、この道中の風間の千鶴に対する愛情は聞いていても恥ずかしいくらいだ。しかし、千鶴ならば自分も風間のような態度を取ってしまうのではないかと不知火は考え直す。


「これは俺だけの秘め事だな……」


 不知火が苦笑を漏らしながら言葉を零した時、宿の主から不知火の客が到着をしたという知らせが伝えられた。


「ようやく来たか」


 不知火が浮き足で宿の玄関口まで行く。そして原田の姿を見た瞬間に表情を引き攣らせた。


「な、何でお前らまでここにいるんだよ!?」
「何故……? それは原田と途中で出食わしたからに決まっているだろう。聞けば原田はお前の助けで大陸に渡るとか? 従ってあの時に我が妻が世話になった礼として別れの宴でも開いてやろうと思ったのだ」


 風間の隣には寄り添うように立っている千鶴の姿がある。この瞬間、不知火の中にあった柔らかな日差しを浴びていた恋の花が失恋吹雪によって無情にも散らされてしまう。


「さった峠で知ったような顔が二つあるなと思ったら、風間と千鶴だったんだよ。俺も大陸に渡ったら滅多に会う事がねぇだろ? 風間は千鶴の為に少しでも俺との時間を作ってくれるらしいんだ」


 原田が道中の経緯を説明する中、不知火の目の前では風間に熱い視線を送っている千鶴。それを見ていた不知火の表情に異変を感じた風間が、


「不知火、不満そうだが原田と二人で別れの盃を交わしたかったのか?」


 と問い掛けてきた為、慌てて普通通りの表情に戻すと首を左右に振った。


「いんや。原田もお前らと最後の別れをしたいだろうからな。別に不満なんてねぇよ。ああ、こんな所で立ち話なんてしていて原田の素性が知れたら大変な事になるから、さっさと部屋に入ろうぜ」


 不知火が風間たちに背中を見せて宿の奥に歩いて行く。それをずっと観察するように見ていた風間は、原田や千鶴に聞こえないような呟きを漏らした。



「……怪しいな……」


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