悪夢を取り払う者-sidestory-
その女はお前たちの好きにしてもいい。ただしその後は必ず殺せよ――
そう言って南雲一族を始末した薫は、自分の力になってくれた男たちに南雲家の血を純粋に受け継ぐ女の身体を渡した。
その女が生きている為、再び始末をしなければならなくなってしまった。
その日から薫の夢にはその女の姿がいつも現れる。
外見は艶めかしくて美しい女。見た目は大人しく純朴そうにも思えた。しかし中身はどす黒さが蔓延していて、ずる賢い女であった。
薫――可哀想に――
心にもない優しい言葉をいつもかけてくるその女を、薫は心の中で軽蔑をしていた。
雪村家の血筋でまだ幼かった薫は、その女にとって玩具であった。それも性欲を満たす為の――。
薫は十歳を過ぎた頃からその女の性欲を満たす為に身体の関係を持つ。しかし、この時こそ、薫はその女の中に自分の欲も放って苛立つ気持ちを発散させていた。
女は薫の事を自分の玩具だと思っていたようだが、実際は薫が女を玩具にしていた。
布団の上に転がしたその女が喘いでいる中、何度も目の前にある白く細い首を絞めたいと思ったが、薫はその殺意を必死に自分の中に押し込めた。
まだ殺すには早い――この女だけを先に殺してはいけない。俺の目的は今までの自分の人生を無茶苦茶にした南雲家を全滅させる事だ。
薫は小さな身体ながらも、男の象徴は立派な大きさであった。毎夜、その女は薫の行為に溺れ浸り、そして快感を受けていた。しかし、この女が狙っている男はこの土佐よりももっと南西の方にいる。
風間千景――
西の鬼の頭領であり、気分屋で自信家。そして残忍な鬼であるという噂がある。しかし、風間家という鬼の名門中の名門の跡取りであり、地位、権力など全てにおいて完璧であるその男の嫁になりたいとその女は考えていた。
薫の下で喘ぐ女の口元から紡がれる名は、その男の名。妄想癖にも程があると、薫は苦々しげに笑いながらその女の最奥を突いていた――。
年頃になったその女は、自分の父親を利用して西の里へ頻繁に出掛けていた。その時こそが薫にとっては仲間を募る為の自由な時間が与えられる絶好な機会であった。
密かに自分に従ってくれる仲間を集めていく。そんな事も知らないその女と父親は、西の里へ行って戻って来る度に大喧嘩をしていた。
どうやら風間千景はその女の本性を見抜いていたようだ。一目見ただけで追い返し、行く毎に門前払いをされていたのである。その時の女の苛立ちは全て薫に返ってきた。しかし、仲間も十分に集まった薫にとって、その女の相手をするのは苦痛ではなくなっていた。寧ろ、近いうちに目の前の白くて細い首を掻き斬る事ができるかと思うと、余計に興奮をして女を悦ばせていた――。
南雲家を一網打尽にした夜。その日は大きな満月が姿を現していた。その幻想的な光が照らしている南雲家の庭、家の縁側などにはそれに反した不気味な朱の色が生々しく輝いていた。
女が薫に助けを求める。
お願い、助けて! ほら、私なら雪村家と南雲家の血筋のいい子供を生んであげられるわ。ねえ、私をあなたの妻にしてちょうだい!
西の鬼の頭領の風間には目に留めてももらえず、そして今、自分の一族を全滅させられて新しい南雲家の当主となろうとしている薫に媚を売り出す女。どうやら女鬼は希少であるから生き残れるとでも思ったらしい。
その女の言葉に薫は冷めた視線を向けた。
そうだね――あんたはこの俺にたくさんの事を教えてくれた
じゃ、じゃあ助けてくれるの?
薫は一瞬、安堵したような女の笑みを捻り潰すような言葉を吐き出した。
毎夜、僕の相手は辛かっただろう? だから、今からは大人の男たちに相手をしてもらうといいよ――
え――?
女の周りにいた薫の仲間である男たちの間で歓声が沸き起こる。そして戸惑っている女を軽々と担いで血塗れになっている床の上を歩いて行った。
薫――助けてよ! 薫っ!
既に遠くに姿を消したはずの女の声が未だに屋敷の中まで聞こえてくる。
もう、俺は自由なんだ――
薫はその声のする方に視線を向けてニヤリと笑んだ――。
今夜も女の助けを求める叫び声が聞こえる。
既に自由の身になったはずなのに、何故に未だに俺を苦しめるのか――
薫は両手で自分の両耳を塞いで叫ぶ。
「出てくるな! お前はもう用済みなんだよ!」
「薫! 薫!」
その女の声音ではない呼びかけに、薫が瞬時に目を開けた。
「魘されていたけど、大丈夫なの?」
目の前には千姫の顔がある。額に手を当てると、汗を大量に掻いていた。
「大丈夫だよ……」
短い返事をしながら上体を起こした薫が胸に手を当てる。動悸が激しく、かなりの時間魘されていたのだと納得をした。
「南雲家に世話になっていた時の辛い夢でも見たの?」
「ははっ、君のところには細かい情報も入るんだね」
「私は八瀬姫だもの……夢を見るのよ」
ああ、そうか――と、薫が千姫の瞳を見つめた。この瞳の中に、幼い時の自分がどう映っていたのだろうかと、薫は思案した。
「じゃあ、南雲家で色々な事があったのを知っているんだね」
「……」
あの女との身体の関係の事も、この千姫にはお見通しなのかもしれない。薫は口元を歪ませて笑みながら千姫に問い掛けた。
「君は幼い頃の僕の生き方を見てどう思った? 軽蔑した?」
「いいえ……」
「へえ……あの女と毎晩やっていたんだよ?」
「そうね……でもそれは生きる為にやらなければならなかった事。それを軽蔑する事はできない……」
千姫はそう言うと、薫を強く抱き締めてきた。
「辛かったでしょう……」
そのような慰めの言葉などあの女から嫌という程貰い受けていた。だから、別にそんな事はないと言おうとした薫であったが、
「そうだね、辛かったよ。でも、千鶴と再び会いたいって思ったからさ……」
と、自然と本当の気持ちが言葉として口元から漏れ出ていた。
「それなのに千鶴は俺の事を忘れていたんだ」
京で千鶴に会った時の事を思い出した薫が唇を噛み締める。
幼い頃に生き別れた兄妹。再会するまでの年月は、千鶴の中から薫の記憶を全て奪い取っていた。
そしてあの女の自尊心をボロボロに打ち砕いた風間が、薫の妹である千鶴を妻にすると宣言し、何度も新選組の屯所を襲った。その時に、風間が千鶴を女としてではなく、ただ雪村家の生き残りであるからという理由だけだとも薫には分かっていた。だから薫は風間を許せなかった。
千鶴も自分と同じような目に遭うのだろうか――?
しかしこの時、薫の心の中はあの女によってかなり病んでいた。
そうだ、千鶴も俺と同じように苦しめばいい――
今でも少し、そのように考えてしまう気があり、薫は自分の中にある悪に恐怖を抱いた。恐らくその悪があの女の姿に身をやつして薫を苦しめているのだろう。
千鶴と次に会う時には、心優しい兄として接する事ができるのだろうか? その不安が薫の目尻から涙を誘った。
「千姫、俺は穢れているんだ……だから触らない方がいい……」
薫が千姫にそう伝えたが、千姫は何も言わずに、先ほどよりも強く抱き締めてきた。すると、今までの苦しみがゆっくりと取り払われていくような感じがすると、薫の全身から力がストンと抜け落ちた。それを待っていたかのように、千姫が口元から言葉を紡いできた。
「もう苦しまなくていいの……ただ、あの女の始末を薫に頼んだのは、あなたに今度こそは絶対に自由になって欲しいからなのよ」
「千姫……」
「死んだと思っていた女が生きていた。あの時、男たちに渡さず、あなた本人が始末しなければならなかったの。何故なら、その女を始末しないとあなたは自由にはなれないから……」
「俺が自由になれない……?」
「そう、あなたの歪んだ心の原因は千鶴ちゃんがあなたの事を忘れていたという事ではなくて、全てあの女のせいなの。だからちゃっちゃと始末してスッキリしなさい」
千姫はそう言うと、抱き締めていた薫の身体から両手を離した。
「あの女を完全に始末する事、この八瀬の姫が許します」
土佐にはもう南雲家の一族はいない。あの女が唯一の南雲家の生き残りだ。それにあの一族は鬼の中でも古い家系の一つでもある。それの全滅を許すとはと、薫は思った。しかし、千姫は弱くなりつつもあった八瀬の姫の力である夢見をしていたのだろう。あの南雲家の素行の悪さの為にいつかは見限ろうとしていたに違いない。
鬼とはそういう生き物だ。情はあるが残酷でもある。千姫もやはり鬼の中の上に立つ者なのだ。
あの鳥羽・伏見の戦の時に風間と会話をしていた時の千姫を陰から見ていた薫は、千姫が実際に鬼の中でも力を持つ者だという事に納得をしていた。何故ならば、あの風間に向かって日の本中の鬼たちに命を下すと宣言までしていたのだから。
千姫が本気になれば、日の本中の鬼たちがこの八瀬の姫である千姫に従う。あの天霧だって主である風間よりも鬼の中で千姫がどこに位置しているのかを慮っている。千姫が命を下せば、あの天霧でも風間を見限るであろう。
しかし何故だろう。千姫に命を下されら今、薫の心の中がフワッと軽くなったような気がした。
南雲一族を殺した事について罪悪感が全くないと言えば嘘になる。鬼でも人間でも殺める事がどれ程きついか。それを嫌という程してきた薫にとっては、自分がますます穢れていくような気がしてならなかった。
千姫とて鬼の仲間に手を掛けるなどしたくないだろう。それを許すと言いきってきたのだ。そして薫にこう伝えてくる。
「薫の苦しみは全部私が受け止めてあげる。だからもう、苦しまないで……」
これからは穏やかに、そして楽しく生きましょう――と、耳元に囁いてくる。それが何とも心地好いと感じた薫が顔を上げて千姫を見つめた。
「千姫は千鶴に似ているね」
「そうかしら?」
「ああ、似てる」
我儘なところは違う。しかし、周りの者たちを穏やかな気持ちにさせるところは似ているのかもしれない。
風間も千鶴と共にいる事で少しずつだが変わってきているような気がする。それはきっと千鶴の中にある穏やかな心が風間に変化を与えているに違いない。
千姫もきっとそういう心を持った女鬼なのかもしれない。薫は上げていた顔を千姫の方に近付けた。
「俺たちが一緒になったらうまくいくと思うかい?」
その問い掛けに対して、千姫が曖昧な笑みを浮かべた。
「さあね……それはなってみてからじゃないと分からないわ」
「じゃあ、もう少しお試し期間にしようか」
「え、何それ? お試し期間って、もしかしたら一緒になれない確率もあるって事よね?」
「うーん、まあそうだね……」
薫は千姫をからかいながらも、心の中では千鶴に似た千姫といずれは夫婦になるのだろうなと確信をする。
目の前で膨れっ面をしている千姫の唇に軽く口付けを落とす薫。しっとりしたそれは薫の不安と恐怖を瞬時に消し去った。
千姫と共にいる自分は強くなれそうな気がする。そして幸せになれそうな気もする。
薫はそう感じながら、次には深い口付けを千姫に与え始めていた――。
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