6:ツンデレ鬼の大晦日:三
規則正しい音を鳴らしながら野菜などを切り刻んでいる千鶴の口元は弛みっぱなしだ。時々、茶の間の方を見ては風間の寝ている姿を確認する。
「ふふ、今日の夕食が楽しみ」
いつも一人で食べる夕食は、何故か寂しくて味気がなくて作るだけでも億劫ではあったが、今日からは一人ではないと考えただけで、今まで感じていたそんな気持ちもどこか遠くへと吹っ飛んでいた。しかし、風間の姿を確認してしまう千鶴には不安があった。
まさか、風間との再会は夢ではないだろうか?
家の前での突然の再会、家の中でのちょっとしたやり取り、そして先程の買い物。全てが夢に思えてしまい、これは現実なのだと自分に納得をさせる為に確認をしてしまう。
今、風間は規則正しい寝息を立てている。どうやら、千鶴の帰りが遅い為に探しに来てくれていたようなのだが、まだ寝足りなかったらしく、家に入るなり、
「夕飯になったら起こしてくれ。酒もしっかりと温めておけよ」
そう言って茶の間で寝転がってしまったのだ。
何も掛けずに、座布団を二つに折り曲げて枕にしている風間の寝姿を見た千鶴は、久し振りに柔らかい笑みを浮かばせると、風間の身体の上に布団を被せた。そして、夕食には風間が唸りを上げるような美味しいものを作ろうと、袖をたくし上げたのだった。
いい匂いがする――
心が安らぐ――
珍しく深い眠りの中を彷徨っていた風間の鼻腔に食欲をそそらせる匂いが流れ込んできた。
ゆっくりと両瞼を押し開くと天井が真っ先に視界に入った。
「低い天井だ」
風間の屋敷の部屋の全ての天井は高くて広々としているが、千鶴の家の部屋はどれも天井が低くて狭い。しかし、この空間が悪いものではないと感じる。
「何故だ……?」
風間は天井を見上げながら考えた後、
「ああ、居心地の良さに広い狭いは関係ないのか」
と、呟きながら障子戸の方に目を向けた。
夜の闇が迫る前の鈍い朱色が障子紙を染めている。その色で夕方なのだと納得がいった。
勝手場では、まな板の上を踊る包丁の小気味良い音と、何かを煮込んでいるのか、鍋の中で濁音を響かす唸り声が途切れなく聞こえてくる。そして、その音に混じって、風間が欲しくて欲しくて堪らない女が忙しなく動いている気配を感じた。
障子戸に向けていた視線を勝手場に移す風間。
「いい音だな……」
微かな吐息と共に自然と漏れ出た一言が風間の心の中を動揺させた。
幼い頃から料理にしても女にしても上げ膳据え膳であった風間は、自分の目の前の料理がどのように調理されているのかも知らない。出来上がった状態で並べられていた膳の上の料理は全て冷めきっていて味気なかった。そして、女に関しては、その者の素性や生い立ちなど知りもしない。いや、知りたいと思わないし知ろうともしなかった。ただ、風間に興味を抱いて近付いてきた女には満足するくらいの快楽を味合わせてやる。即ち、遊び程度に付き合ってやっていた。
「やはり、いい音だ……」
風間が再び唇を揺らす。
今まで鬼の頭領として自分の思うがままに生きてきた風間には無縁だった音と欲求で心の中が熱く燃え広がるが、火傷するような熱さではなく、ほんのりと感じさせる温もりであった。
「これが、幸せというものなのだろうか?」
風間はそう考えながら大きく伸びをすると、寝転がらせていた上体を起こしてゆっくりと立ち上がる。そして、勝手場へ顔を覗かせると、小さな台の上に二人分の量の料理を乗せた器が湯気を立ち上らせながら盆の上に置かれていた。
暫くの間、料理を見つめている風間がすぐ背後にいるのに気付かない千鶴は、鍋の中の味噌汁の味見をしていた。
ススッと汁を口の中に含ませた音が聞こえ、その味を確かめた千鶴が納得したように頷いている。
「美味そうだな」
風間が呟くと、鍋の中の様子を見ていた千鶴が振り向いた。
「あっ、起きたんですか? ちょうど今、起こしに行こうかと思ってたんです」
先程からここにいた自分の気配にも気づかない千鶴は何と鈍感な女か――
風間は思わず苦笑を洩らしてしまった。
夕食が完成したようだ。千鶴は湯が沸いている鍋の中へ数本の銚子を入れ始めた。
「お酒もすぐに温もりますから……」
鈍いくせに変なところでは敏感になる。例えば、新選組の男たちの事だ。
確かに風間も新選組の男たちが本物の武士よりも武士らしい事は心の中で認めている。しかし、鬼の誇りが高すぎる為か、口から認める言葉は一切出さない――ようにしている。何故ならば、認めるような言葉を紡いだとすると、千鶴の顔に得意げな笑みが浮かび、何となくだが男としての敗北感を覚えるからだ。
荷物を持っていた永倉に嬉しそうに微笑んで話して歩いていた千鶴の姿を思い出すと、苛立ちまで起こる。
「全く、あいつらのどこがいいんだか……」
苛立ちの心の言葉が自然と外に漏れだしてしまい、風間は慌てて口を手で覆った。
「え? 何か言いました?」
「いや、何もない。独り言だ」
「……? でも、あいつらって……ああ! もしかして新選組の皆さんの悪口を言おうとしたんじゃないでしょうね?」
やはり新選組の事となると敏感な反応を示す。しかし、これ以上、話を長くさせては目の前の料理が冷めてしまう。
「言おうと思ったが止めにした」
「でも、言おうとしてたんでしょう? あの方たちの悪口は絶対に許しません。……で、どんな悪口を言おうとしたんです?」
瞳の中を覗き込んで心の中を読み取ろうとでもいうのだろうか。鋭さを持った蜜色の瞳が睨み付けてくるが、風間の方が一枚上手である。悠然とした態度、そして緋色の瞳を艶めかしく光らせて逆に見つめ返してやる。すると、頬を真っ赤にさせた千鶴は、目を逸らして器を乗せている盆を持った。
「ま、まあ……後でゆっくりと聞かせてもらいますから」
「ゆっくりと何を聞きたいのだ? 例えば、愛の囁きか?」
「ち、違います! 風間さんの中にある新選組の悪い内容をです」
千鶴がそそくさと茶の間へ料理を運んで行く。それを見ながら風間はククッと喉奥からの笑い声を放った。
「俺の心を読もうとするなど、大それた事をする女だ」
そして、勝手場から茶の間へ移った良い匂いに誘われるように、風間は踵を返した。
卓袱台の上には、未だ湯気の消えない数々の料理。そして風間の好物である銚子が三本乗せられていた。
「まさか、この中身はあの、えちるあるこおるというものではないだろうな?」
「もう! ちゃんとお酒を買っていたのを見ていたでしょう?」
「ふっ、からかってみただけだ。匂いで良い酒だとすぐに分かる。それに、お前がこの俺に毒を含ませる事はできん」
「何故ですか? するかもしれませんよ?」
千鶴が首を傾げる。それを見た風間が不敵な笑みを浮かべた。
「できんな。俺に数種類の酒を選んで買うところを見ると、お前は俺の事を余程好きなのだろう」
「なっ……!」
「嫌いな男に何種類もの酒など買う女がどこにいる? それにこの銚子の中の酒は全て違うものだろう? 好きな男になら面倒臭い事でもそうは思わんからな。だから、お前は俺の事を愛しているのだ」
「そ、そんな事ありませんよ!」
「いや、絶対にそうだ」
「違います! もう、早く食べちゃって下さい。料理が冷めて美味しくなくなっちゃう」
怒りを見せながらも顔を真っ赤にさせている千鶴は、照れているのを隠す為に料理を口の中に頬張った。
千鶴の手料理はどれも美味しく、酒を呑んでいる時にはあまり物を食べない風間も珍しく箸が進んだ。ただ――風間が卓袱台の上の空になった銚子三本を恨めしそうに見つめる。
今夜は銚子五本ほど呑みたい気分だったのだが、千鶴はしっかりと三本しか出してこない。これは仙台に滞在した時にもあった事だ。
仙台では確か銚子二本までだったが、風間が文句を言った時には一本増やして三本にしてくれていた。しかし今、卓袱台の上には三本。恐らく千鶴にしては奮発してくれたのだろうが、やはりあと二本ほどは呑みたい。
「おい千鶴、酒をくれ」
風間が空になった銚子を振ると、千鶴は澄ました顔で無視をしてくる。
「おい千鶴!」
チラリと風間に視線を向ける千鶴は、口の中の料理をコックンと喉に通すと、
「駄目です。仙台でも多くて三本にしていたじゃないですか」
と言い放ってきた。
「ふん、医者の真似事をしているのならば百薬の長くらい分かっておろう」
「百薬の長については仙台でしっかりと説明をさせて頂きました」
「むっ……」
ツンとしながらご馳走様とあいさつをした千鶴が、空になった自分の器を片付け始める。
「今夜は我慢してやる。しかし明日は正月だ。目出度い日だ。銚子五本は絶対につけろ。分かったな?」
風間は千鶴の手料理を半分ほど手を付けたままで後は残し、うろうろと歩き回る。
「おい、俺の寝る部屋はどこだ?」
「そこの客間です」
「布団を敷け! 厚い布団だぞ!」
「だから、そんな厚い布団なんてありませんてば!」
風間は眉間に皺を寄せながら目を細め、千鶴は頬を膨らませながら目を大きく開ける。それでも一応、布団を敷いたのだが、それが終わった途端、千鶴は客間から追い出され、背後の襖が大きな音を立てて隙間なく閉められた。
「な、何よ。あれ……すっごく感じが悪いんですけど!」
風間に聞こえるように文句を放った千鶴が卓袱台の上を片付け始める。
「こんなんで、風間さんと上手くやっていけるのかな? ……何か不安」
そう呟いて、大きな溜め息を吐き出していた――。
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