7:ツンデレ鬼の大晦日:四


「かなり冷え込んできているみたい……」


 冷たい水で洗い物をしている千鶴の手は悴(かじか)みを起こし、一つ器を洗い終えてはその冷たく凍える手に温かい息を吹き掛けていた。


「洗い物を早く済ませてお風呂に入っちゃおう」


 と呟いた瞬間、風間が風呂に入っていない事に気が付いた。


「今日までの長旅の疲れを取ってもらわなきゃ」


 しかし、先ほどまで言い合いをしていて今は互いに無視状態。果たして声を掛けて風間は返事をしてくれるだろうかと考えながらも、千鶴は今日の買い物で揃えた風間の寝間着と手拭いを持って客間の前に立った。


「あの、風間さん。お風呂に入って下さい」


 返事がない。


「風間さん……?」


 もう寝たのだろうか――千鶴が襖を開けようと取っ手に手を掛けた時、


「ひゃあっ!」


 その襖が勢いよく開き、眉間に皺を寄せたままの風間の姿が現れた。


「あのぉ……お風呂……」


 風間は千鶴の腕の中にある寝間着に視線を向けると、無言のままそれを引っ手繰るように取り上げて風呂場の方へ直行していった。


「何よ、あれ……やっぱり感じ悪い。声なんて掛けなければ良かった」


 自分も早く風呂に入って身体を温もらせたいのに、一応、客である風間を優先したのだ。それなのにあの態度は何だろう。千鶴は頬を膨らますと、苛立ちを表すように足を踏み鳴らして、洗い物の続きをしに勝手場へと戻って行った。




 洗い物を終えた千鶴が酒の入った徳利を見つめる。


 今夜は長旅で疲れた風間にたくさん呑んでもらおうと、酒類も違うものを数本選んだのに、病を治す医者の理念が身に付いてしまっているのか、風間の楽しみを壊してしまった。


「今夜はもう少し、お酒を呑んでもらおうかな?」


 千鶴は竈(かまど)に火を点けると、水の入った小さな鍋をそこに置いた。暫くすると、プクプクと泡が立ち始め、少しだけ火を弱くした後、その中に酒の入った銚子を二本沈めた。


「風間さんがお風呂から上がってくる頃にはいい感じになってるかも」


 銚子の注ぎ口から酒精の香りがプンプンと漂う。酒が苦手な千鶴でも良い香りだと思うくらいだから、無類の酒好きである風間にとっては大層、美味だったに違いない。


「さて、お摘みを用意してからそろそろ卓袱台に……」


 そう呟いて、湯の中から銚子を取り上げようとした時であった。


『な、何なのだ、これは……あ、熱いではないか!』


 静かな大晦日の夜、千鶴の家では突如、叫び声が起こった。そして千鶴を呼ぶ怒鳴り声が茶の間まで響き渡ってくる。


『おい千鶴! すぐに来い!』


 いつも唸り声のような低い声音で言葉を紡ぐ風間が、珍しく大声を上げている。そしてもう一つ。いつもは落ち着きのある行動をするのに、風呂場で慌てている様子だ。そんな初めてづくしの風間に驚いた千鶴は、一瞬、身を縮込ませたが、呼ばれている為、行かなくてはならない。それに、あの風間があんなに慌てているのだから何かあったに違いないと考えた千鶴は、湯につけていた銚子を取り出すと、急いで風呂場へと駆けて行った。


「風間さん、どうし……」


 千鶴が風呂場の戸を思い切り開け放つと、目の前に白い湯気が現れた。湿気と湯気が漂う中、千鶴が目を凝らして中の様子を窺おうとした時、その白い靄(もや)の中から風間の姿が現れたのだが――


 千鶴の目の前の風間の姿は勿論――


 千鶴は一瞬目を瞬かせた。


 見てはいけないもの、いや、ちょっと見たいかも――いやいや、やっぱり見てはいけないと、千鶴の中の悪と善が口論を始めたのだが、結局は悪が勝つ。


 風間の裸体を目の前に千鶴の全身が固まるが、蜜色の瞳は、風間の頭のてっぺんから足のつま先までしっかりと動いていた。


 その間、数十秒――。


「ぎゃあああああぁぁっ!」


 千鶴が真っ赤にさせた顔を両手で覆う。しかし、千鶴の目の動きをしっかりと見ていた風間は、腰に両手を添えて堂々と立ち姿を見せ続ける。千鶴はそんな風間に指を差しながら叫んだ。


「て、手拭いでも桶でも何でもいいですから早く隠して下さい! それに何で仁王立ちをしているんですか!?」
「もう見たのだろう? だから別に構わん。俺の美しい身体を満足するまで見るが良い」
「な、何言ってるんですか? 見てませんて!」
「いや、お前の視線は俺のここにしっかりと注がれていたぞ。まあ、西の里に行けば嫌というほど見る事になるのだ。ここで予行練習をするのも悪くはない」


 千鶴にみられても全く動じずに、仁王立ちをしたまま不敵な笑みを放ち続ける風間に千鶴は怒鳴り返す。


「よ、予行練習って……わ、私は、父さまのしか見た事がないんですから!」


 その後すぐ、千鶴は幼い頃に見た父親の網道のあの箇所を思い出した。


 ちょっと待って――あれって各々の大きさが違うの?


 風間と網道のものを比べてみると、風間のものの方が途轍もなく大きく見えた千鶴。医者をしているのだから、男女の行為を実際していなくとも内容は知識で得ている。


 確かあれを女の――えっ、えっ――あれを入れるの? ちょっと待って。もし、風間さんと私が夫婦になったらあれが私の――


「ああ……何て事!」


 千鶴が頭を抱えてその場に屈み込む。それを見ていた風間が呆れながら見つめていた。


「何を一人で悶えておるのだ?」
「も、悶えてなんていません! 恐怖に慄いているんです!」
「何が一体怖いのだ?」
「それは……」


 風間の問い掛けに答えようとした千鶴は、自分がここに呼ばれた理由がまだ解決できていなかった為、途中で口を噤む。


 風間さんは何で慌てていたのだろう?


 風間の方を見ると、まだ隠していない股間がチラチラと見える為、手拭いを投げて話題を逸らした。


「これで隠して私の質問に答えて下さい。一体、何があったんですか?」


 千鶴の問い掛けに先程の怒声の発端の理由を思い出したようだ。風間はいきなり不機嫌な表情を浮かばせて苛立ちの声を掛けてきた。


「この風呂は一体どうなっているのだ?」
「どうなっているって、普通のお風呂ですけど」


 ようやく風間の腰に手拭いが巻かれ、顔を上げられるようになった千鶴が首を傾げた。


「この風呂が普通だと? これは鍋だろう? 上にプカプカと浮いている蓋を外して足を踏み入れてみれば、底が焼ける程に熱いではないか。お前は俺を飯の材料にでもしようと考えていたのか?」
「ええっ!? その板を外して入ったんですか? 信じられない! それで足の裏、火傷してません?」


 千鶴が半ば呆れ、半ば板を外した風呂釜の中へ足を入れた勇気に感心しながら風間に問い掛ける。


「既に腫れはひいているようだが、しかし、熱かった……」


 千鶴は思い出した。


 江戸に暫く滞在していた時、風間はここの風呂を使わなかったのだ。ただ寝るだけの為にここに帰って来るくらいであった。だから、この風呂の入り方など知るわけがない。


 足の裏を上に向けて見つめる風間に、千鶴は安堵とすると同時に沸き起こった可笑しさにえながら、その風呂の入り方を懇切丁寧に教えてやる。


「これは五右衛門風呂っていうんです。風間さん、石川五右衛門ってご存知ないですか?」
「石川五右衛門? ああ、聞いた事があるな。大泥棒の石川五右衛門の事だろう」
「はい。その五右衛門はこの釜で煮えたぎらせた熱湯の中に放り込まれる刑を受けたのだそうです。このお風呂は、この板を足で沈めて……」


 千鶴が釜の湯の表面に板をプカプカと浮かせると、風間にその上に足を乗せるよう促す。風間が恐る恐るそこに足を乗せると、身体を湯の中に沈めた。


「ねっ、熱くないでしょう?」


 千鶴の言う通りで、確かに足の裏が熱くない。それどころか身体がよく温もるような感覚がある。


「成る程……しかし、これは初めて見るものだ」


 風間の感心したような言葉に、千鶴は一つだけある興味を持ち、問い掛けてみた。


「五右衛門風呂を知らないって事は、風間さん家のお風呂は箱型なんですか?」


 ここで箱型だ、だけで終わっていれば千鶴も素直に納得をする事ができたのだが、


「香りの良い檜風呂だ」


 と言われれば、聞かなければ良かった、檜風呂でも箱型だろうと呆れ返り、


「あっ、そうですか」


 と、気の抜けた言葉を返してしまった。しかし、それが羨みを持った返事だと勘違いした風間は、


「檜風呂に入りたければ早く我が妻になるがいい。さすれば、毎日その風呂に入れるぞ。全く、罪人でもない一般庶民にこのような縁起の悪いものを売りつけるとは、人間の考えが理解できん」


 五右衛門風呂に浸かりながら、文句を言いながらも満更でもなさそうな風間が、昔の悪代官のようにヌハハハと高笑いをする。それを見つめていた千鶴は、小さな溜め息を吐いた。


 こっちの方が湯が冷めにくくてよく温もるのに――そう思いながら頬を少しだけ引き攣らせて笑った。


「ゆっくり入っていて下さいね。ゆーっくりと……」


 風呂から上がれば、風間は絶対に家自慢をするに違いない。そう思った千鶴は、できるだけ長く入って欲しいと思いながら風呂の戸をしっかりと閉める。


「あっ、そう言えばお酒の用意をしていたんだった……まあ、少しくらい温(ぬる)めでもいいか」



 あとはお摘みだけ用意しよう――と言いながら、勝手場に戻って行く千鶴であった――。


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