花虫に好かれる女鬼-sidestory-



 今年も美しい桜の花が咲き、風間は天気の良い日を選んで千鶴を花見に連れて行った。


 千鶴は、桜の木の下で必ず酒を呑む風間の為に酒と摘み、そして自分の昼食用にと少しばかりのお弁当を用意をする。そして全ての準備が整った後、二人は手を繋いで桜の木がたくさん植わっている山の方へ向かって歩いて行った。


 その途中で鬼の仲間たちと出会い、少しばかりの会話をして再び山に登る。空は晴れ渡り、頭上では鶯の鳴き声が可愛らしく響いている。


 目的の場所に到着した二人は、一番桜の花が多く咲いている木の下に用意してきたものを広げて腰を下ろした。


「やはり、このような場所で呑む酒は美味いな」
「お弁当も美味しいですよ」


 西の里に行く前の江戸で、風間は千鶴に西の里の桜を見せてやると豪語していたのだが、道中ではその約束をしっかりと忘れていた。


 のんびりとした旅を続けていた為に、桜の開花の時期には間に合わず、その年は結局葉桜だけを見る羽目になってしまったのだ。


 風間にとって約束を破る事は鬼としての、いや、頭領としての恥じである。その為か、西の里に到着して千鶴と夫婦になり、落ち着いた暮らしの中でも、毎年この時期には花見に千鶴を連れて行く事を欠かさなかった。


 桜を好む千鶴にとっては、毎年この時期が楽しみでならない。何故なら、毎日忙しい風間が休みを取ってまでして連れて行ってくれるのだから。それに千鶴は屋敷から外になかなか出してもらえない為、このようなちょっとした外出でもとても嬉しいのだ。


 そよそよと春の香りを乗せた風が、風間と千鶴の周りで優しく吹き抜け、その風によって頭上で咲き満ちている桜の花弁が枝から離れて舞い落ちる。それを見つめている二人の顔には穏やかな笑顔が浮かんでいた。


 満足するだけ酒を呑んだ風間の手を千鶴のそれが握る。


「千景さん、桜の木の上から城下町を見たいです」
「ここからでもいいだろう」
「でも、もっと上から見たいです」


 千鶴の誘いの言葉に風間が躊躇する。これは毎年する事なのだが、その後には必ずあれがあるのだ。


「今年はここから見ろ」
「嫌です。絶対にあそこから見るんです!」


 千鶴が指差す場所は、毎年そこから城下町を覗き見る枝。風間は大きな溜め息を吐いた後、千鶴を抱き上げてその枝に飛び乗った。


 木の根元の場所とは違い、風も優しい上に爽やかさがある。風間にしっかりと抱きしめられながら城下町を見下ろす千鶴の顔には満足気な色があった。しかし風間はこの後に起こるであろう現象に警戒しているのか、


「そろそろ下りた方がいいのではないか?」


 と千鶴に伝えるが、


「もう少しだけ……」


 と短い言葉を放った後すぐに口を噤んで城下町を見下ろし続けている。


「人間の住む世界に少し行ってみたいような気がします」
「それは許可する事はできんな」
「これから一生行けないんですか?」
「一生という訳ではないが、今の日の本の政情は不安定だ。あそこに行くとなると、世の中がもう少し安定を見せてからになる」


 風間の言葉に千鶴が小さな溜め息を吐く。別に毎日が退屈だという訳ではない。風間の妻になってからの千鶴には、頭領の妻としての仕事がたくさんあった。だから、それに追われて毎日をのんびりと過ごす訳にはいかなかった。


 昼は頭領の妻としての仕事を熟し、夜からは風間の妻としての仕事を熟す。千鶴にとっては充実した毎日ではあるのだが、たまに人間として生きていた頃の暮らしを思い出す時もあった。


 この西の里では何もかもに恵まれて暮らしに困る事はない。しかしその代わりに窮屈な暮らしを強いられる。特に女鬼で風間の妻である千鶴は特にであった。しかし、このような自由な時間はすぐに過ぎる。二人が桜の木の枝の所で城下町を見下ろしている間に、日はどんどん西の方に傾きを見せていた。


「風が冷たくなってきたから、そろそろ帰るぞ」


 千鶴が城下町を見下ろしている間にうとうととしていた風間が閉じていた瞼を上げて口を開く。春と雖も夕方はまだ冷える。現に千鶴の肩にもその冷えが回ってきていた。


「はい、そろそろ帰りましょう」


 今度はいつ外に出られるのか――千鶴が名残惜しそうに城下町の方に視線を向けていると――


 ポトッ――


「え……?」


 ポト、ポトポトポト――


 千鶴の耳元で何かが落ちる音が続け様に聞こえてきた。


「ち、千景さん……何か、私の肩の所に落ちてきたんですけど……それもたくさん……」


 千鶴が声を震わせながら風間に言葉を掛けると、風間は毎年の事で慣れているのか、普通に返事をしてきた。


「毛虫がお前の香りに酔い痴れて落ちてきたようだな」


 風間のその言葉に千鶴の全身が固まる。そしてその後には――


「ぎゃああああぁぁっ! 毛虫ぃぃ!」


 と叫び声を上げた後に、意識を失って倒れ込んだ。


「だから今年は止めろと言ったのだ……」


 風間は大きな溜め息を吐きながら千鶴の着物の上をモソモソと動き回っている毛虫を払い落すと枝から飛び降り、酒の道具などが入った籠を片手に持って山を下りた。


 屋敷に戻った風間たちを出迎えた天霧は毎年恒例の風間の帰宅に驚きもせずに、普段通りに振舞う。


「おやおや、また毛虫に好かれてしまわれましたか」
「全く、毎年これだというのに次の年にはすぐに忘れてしまうようだ」
「それ程に人間が住む世界が懐かしいのでしょう」
「すぐに塗り薬を用意してくれ」


 風間の最後の言葉に天霧が頷いて姿を消す。それを見送った風間は、意識を失っている千鶴を部屋に連れて行き、布団の上に寝かせた。


 着物の個所だけではなく、顔にも毛虫がくっ付いていた為に千鶴の頬の辺りには毛虫が這いずった跡が薄っすらと赤くなっている。


 春は香りのよい花々が咲き乱れる。それはそれで春らしくて良いのだが、どうやら女鬼の香りも春には強さを増すようだ。



 桜の木を毛虫は好む。その桜の花と同じような香りを放つ千鶴も、毎年花見の時にはあの茶色の花虫に好かれるのだった――。


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