東海道-日坂宿→掛川宿



 戸隠の気配は風間の心の中に焦りや不安を起こさせる。戸隠の力は風間同様に強い。風間一人ならば何とか対処ができるだろうが、今は千鶴を連れている為に一人を守りながら戸隠と闘う事ができるだろうかと考えていたのだ。そのように真面目に考えている風間の隣で千鶴が首をボリボリと掻きながら頬を膨らませて歩いている。


「ああ、もう! こんなに痣をつけられちゃ、恥ずかしいから掻いて赤くしておこう」
「千鶴、お前は俺のつけた美しい痣に傷をつけるつもりか」
「だって、恥ずかしいじゃないですか。これって絶対に、ああ、あの女は昨夜に隣を歩いている男とやったんだなって思われちゃいます」
「俺がつけたのだと知ったら皆が羨ましがるに違いない。ああ、私もああいう男に抱かれたいものだとな」
「それを考えるのは女だけでしょう?」
「いや、分からんぞ。男とて思うかもしれん」
「風間さんはそれでも嬉しいんですか……?」


 千鶴の最後の問い掛けに風間は即答をした。


「いや、嬉しくはないな……」




 日坂宿を出てからすぐ左手に事任【ことのまま】八幡宮(誉田八幡宮)が簡素ではあるが周りの景色に溶け込んだ鳥居を構えていた。


 その神社は【ことのままにかなう】と評判で、東海道を通る旅人たちの多くが旅の安全や願い事成就を祈念して参拝に訪れる。勿論、千鶴も嫌がる風間の腕を引っ張ってその神社の中に足を踏み込ませようとした。


「風間さん、ここは【ことのままに願いがかなう】んですからお参りして行きましょうよ」


 先程まで怒っていた千鶴が満面の笑みに変えながら風間の袂を引っ張り続ける。


「全く……表情がコロコロとよく変われるものだ……」
「何か言いました?」
「いや、何も言ってはいない」


 風間は千鶴の変化し続ける表情を見つめながらふっと吐息を漏らした笑みを浮かび上がらせた。


 しかし、これが面白くて全く飽きん――


 そう思いながら、千鶴にここで待っているから願掛けをして来いと伝えた風間に、千鶴は何か願い事はないのか? と聞いてくる。


「ことのままに叶うんですよ? 何かお願いしておかないと……」


 そう言う千鶴に風間が答えた。


「俺の願いは既に叶ったようだからな。もう願掛けはいい」


 風間のその言葉に千鶴が驚いたように目を見開く。


「えっ? 風間さんは何か願いが叶ったんですか?」
「ああ……だから、ここで待っていてやるから行って来い」


 暫くの間、風間の顔を覗き込んでいた千鶴が急に風間の手を繋ぎ、先の道へと進み始めた。


「どうしたのだ? 願掛けをしに行かんのか?」


 いきなり意味不明な行動をした千鶴に少し驚きの表情を浮かばせた風間が問い掛けると、少し前を歩いていた千鶴が背後の風間に振り向いてニッコリと微笑んだ。


「私も既に一番大事な願いが叶っていますから願掛けはいいです。あれもこれもとお願い事をしていたら、欲張りな女だと神様に思われてしまいますものね」
「ほう、何が叶ったのだ?」


 風間の問い掛けに千鶴は顔を朱に染めながら、


「多分……風間さんと同じ願いが叶ったのだと思います」


 それだけを言うと恥ずかしかったのか、掛川宿に到着するまで俯いたまま歩き続けていた千鶴だが、風間の手を握っていた千鶴の手が離れる事は決してなかった――。




 掛川宿に入ると、城下を見下ろすように聳え立つ掛川城が見えてきた。この掛川宿は独特な街並みがあり、【新町七曲り】といって、道がかぎの手に何度も折れ曲がっている。掛川は城下町であり、外からの敵を容易に侵入させない為の構造で、七曲りの終点には城下に入って来る者や持ち物を取り調べる木戸と番所があったのだそうだ。


「このような構造は確かに役に立つ。西の里もこのような形に作り上げようか」
「ああ、人間の侵入を防ぐ為ですか?」
「それもあるが、お前を人間に奪われては困るからな。……いや、鬼の中でもお前を狙う者が出てくるだろう」
「そうなったら風間さんが守ってくれたらいいんじゃないんですか?」
「守るばかりも面倒臭いからな。それならばこのようにややこしい形の町並みを作って侵入を防いだ方が気が楽だ」


 風間の面倒臭いという言葉に千鶴がツンとしながら答える。


「別に全部守って下さいなんて言ってません。私だって自分の身くらい少しは守れますもん」
「ほう……では、もしもこれから何かがあっても保身はできるという事だな?」
「で、できますよ」
「そう言ってくれれば俺も気を楽にして旅を続けられそうだ」
「え……何か起こるんですか?」
「まあ、旅は長い。そういう事もあるやもしれん」
「そ、そうなったら、風間さんは守ってくれるんですよね?」
「今、お前は保身ができると言ったではないか」
「だ、だから、少しくらいって言ってるじゃないですか!」


 自分より背が高い風間の顔を見上げる千鶴。その顔についている両目の奥の蜜色の瞳が潤いを生じている。それが何とも艶めかしい。この女を妖艶ではないと思っていた風間は、妖艶さとは外見だけではなく中身にもあるのだという事を今更ながらに知る。


「そのような視線を向けられたら仕方あるまい。守ってやろう」


 千鶴の耳元でそう囁いた風間は、握っていた千鶴の手から自分の手を離し、それを腰に絡ませると抱くように自分の方に引き寄せていた――。


 宿場内を歩く風間は、この掛川城の城主であった山内一豊の夫人であった千代の内助の功の美談が有名であると言ってきた。その話を聞いた千鶴が感心したような吐息を漏らした


「夫を影で支える妻……身分が高くなるのも名を上げるのも、本人一人でやり遂げるのではないんですねぇ。でも、風間さんは内助の功は必要ないんじゃないですか?」
「お前は何を言い出すのだ? 確かに俺は鬼の頭領としてその中でも身分は高く、名も知られているが……一つだけまだやり遂げてないものがあるから、お前の内助の功は必要だぞ」


 風間に自分が必要だと伝えられた千鶴が瞠目をして隣を歩く風間を見つめた。


「風間さんでもやり遂げてない事があるんですか? それって何ですか?」


 千鶴の問い掛けの言葉に風間が耳元で静かに囁く。その囁きの後の千鶴の顔は沸騰した鍋のように熱く、そして赤くなってしまっていた。


「でも……確かに、風間家の血を絶やさず繁栄させる為にはやり遂げないといけませんよね……。でも、それって内助の功の中に入るんですか?」


 未だに顔を真っ赤にさせている千鶴だが、風間のその言葉には一応納得をしているようだ。千鶴の反応を見た風間は、当たり前だと言う風に次の言葉を出してきた。


「内助の功の内に入る問題かどうかは分からんが、跡継ぎは風間の家系が繁栄する為の一つの道具のようなものだからな。だからお前に言っただろう? 十人、いや百人でも産んでもらわねばと……」
「た、確かに子孫繁栄の為の子は必要ですよ。でも、百人の数は絶対に無理です! それに……自分の子を道具と思うのはいかがなものかと……」
「ふん! 例えばの話だ。子の事にしても、お前と産まれ出る赤子が無事であれば数などは関係ない。お前は冗談も分からんのか?」
「冗談ならそんな顔で言わないで下さいよ。本当にやりそうな顔で言うんですもん! 私、そんな人数の子を産んだら死んでしまいます!」
「大丈夫だ、お前は長生きする……」
「何で、そうはっきりと断定できるんですか? あっ、私が鬼だからですね?」


 風間がジッと千鶴を見つめる。だから千鶴は次に出てくるだろう風間の返事を待った。


「……強情で素直でない女ほど長生きするからな。従ってお前は長生きするだろう。さて、先を急ぐか……」
「……」


 千鶴は先を行こうとする風間の背中をずっと見つめていた。言った理由は分かっている。風間の言った言葉は自分で勝手に考えたものだという事くらい。


 自分では少しは素直になってきていると思っている千鶴だったが、風間はそれ以上を千鶴に強要しようとしているのだ。


 風間さん、貴方は憎まれっ子世に憚るって言葉がお似合いです。きっと長生きするでしょうね――


 心の中でその言葉を呟いた千鶴はふっと微笑むと、何故だろうか、気持ちがスッと軽くなったような気がした。


 ずっと突っ立っていた千鶴の方に、少し先を歩き始めていた風間が振り向いてきて声を掛ける。


「何を突っ立っているのだ? 置いて行くぞ」
「はいはい、今行きます」



 心の中で文句を綴り終えた千鶴は晴れやかな気分で風間の許へと走って行った――。


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