8:ツンデレ鬼の大晦日:五
「いい湯だった。あの風呂は面倒臭いが身体がよく温もるな。少し物足りないと言えば、檜風呂のような香りがしない事だ。まあ、鉄の釜だからな。そこは妥協せねばならんか」
髪の毛から滴を垂らしながら茶の間に姿を見せた風間は、確かによく温もったのだろう。かなりの長風呂のせいか、頭の先からは微かに湯気が立ち上っている。
さり気ない自慢と不満の中に少しの褒め言葉を放つ風間は、本当に捻くれた性格だ。あの風呂が気に入ったのならば、素直な気持ちを伝えてくれればいいのに、何故か回りくどい言い方をしてくる。
絶対に西の鬼の仲間たちがこんな勝手な男に育てたんだわ。
千鶴は文句言いたげに風間の方に顔を向けた瞬間、先ほどの風呂でのやり取りの光景がいきなり脳裏に浮かび上がってしまい、頬を真っ赤に染まっていくのを感じた為に顔を俯かせた。それに気付いた風間がわざとらしく千鶴の俯いた顔を覗き込んでくる。
「どうしたのだ? 何だ、顔が赤いな」
「な、何でもありません」
千鶴のすぐ目の前で片膝をつく風間。着物の衿下の割れ目からは引き締まった筋肉が程よくついている白い足が覗いている。それの付け根の所にぶら下がっていたものを思い出してしまった千鶴が風間の顔を見て気を紛らわせようと視線を上に向けたのだが、その判断は大きな間違いであった。
千鶴の胸の鼓動が早打ちを起こす。
少し着崩している衿元から覗く厚い胸板。濡れた黄金の髪の毛は部屋の灯りで照らされて輝き、その先からは滴が垂れている。そして、どのようなものでも焼き尽くしてしまいそうな緋色の瞳が千鶴を真っ直ぐに見つめていた。そんな目の前の風間の色気ある姿に見入ってしまう。
「何を見惚れているのだ?」
「み、見惚れていません」
「そんなに俺が美しいか?」
「そ、そんな事ないです……」
「全く素直でない」
互いに相手の事を素直ではないと感じているようだ。風間は千鶴の傍から離れると、髪の毛を拭きながらクンッと鼻を動かした。
「酒の匂いがするな……」
「あっ……!」
その言葉に千鶴は慌てて立ち上がった。風間はきっとすぐに風呂から出て来るだろうと予想して温めのまま出そうと思っていたのだが、再度、温め直していたのだ。
千鶴は勝手場に行き、注ぎ口からふんわりとした湯気を立ち上らせている銚子二本と少しの摘まみを乗せた盆を茶の間へと持って行き、卓袱台の上に静かに置いた。それを見た風間の頬が弛む。
「ほう、これはまた粋な事をしてくれる」
「さっきは美味しいはずのお酒が不味くなってしまったようですから、口直しにどうぞ。私もお風呂に入って来ますから手酌で……」
まだ頬が熱い――千鶴は既に用意をしていた自分の寝間着と手拭いを掴むと、慌てて茶の間から飛び出して行った。それを黙ったまま見送っていた風間は楽しそうに両目を細めていた。
「性欲の氾濫しているこの日の本でまだ処女だとは……全く、初心な女だ」
再会してから時間はまだ少ししか経っていない。それなのに、以前にはなかった千鶴の態度や仕草の中に女らしさという新しく備わった飽きのない部分を垣間見た風間は、満足げな笑みを零しながら盃に酒を注ぐと、ゆっくりと口元に誘った後、徐に顔を顰めた。
「……香りが飛んでしまっているではないか、温めすぎだ……」
茶の間を飛び出し、風呂に入った千鶴だが、先ほどの風間の姿が脳裏に浮かび続けている為、胸の音をバクバクとさせながら湯に浸かっていた。
「嫌という程見るって、予行練習だなんて言われても……」
その上、風間の裸体を見たいと思ってそれをした自分は本当はとても厭らしい女なのではないのかと考え込んでしまう。
「でも、あんな大きいのが入ったとしたら、私の身体が壊れちゃいそう……」
そんな事を呟いてしまった千鶴は、自分の頬を両手でペチペチと叩いた。
「風間さんは以前に言ってたもの。【鬼は約束を守る】って。だから、祝言を挙げるまでは絶対にあれが私の中に入る事はないだろうし……」
風間は、新選組を追っている最中の山小屋の中で共に夜を過ごした時、祝言を挙げるまでは千鶴に手を出さないと言っていたのだ。あの時は、風間が女に対してとても真面目な男に見えたのだが、
「何か、今の風間さんは遊び人みたい……」
などと呟いてしまった。
再会してからの風間の千鶴に見せる視線や態度、そして仕草などが、隙があれば襲うぞ――みたいな感じなのだ。それに、玄関先で口付けをされた時、千鶴はその時の雰囲気を楽しみ、そして悦びを感じていた。しかし、風呂場で風間のあれを見た瞬間、それがばれたら、山小屋の時の約束は無効だなんて言われそうで怖かった千鶴は、茶の間から慌てて逃げ出していたのだ。
「でも、あの風間さんの事だ。絶対にばれているような気がする」
千鶴は顎のところまで湯に浸りながら両瞼を静かに閉じた。
今夜はあの山小屋の時と一緒。この家に風間と二人きり。あの時、まだ不安が多少和らいでいたのは、天霧が共に行動していたからだ。しかし今、その天霧もいない。
風呂から上がった後、まさか――
千鶴の中で厭らしい妄想が広がりを見せ始める。
「もう、私ってば何を考えてるんだろう」
千鶴は思い切り首をブルブルと左右に振り続けた。熱い湯の影響もあるのだろうか、身体中の血のめぐりも活発になっているようで、千鶴の胸の音は先程よりも更に速い鼓動を打ち鳴らす。そして、厭らしい妄想までしてしまってそれを振り切ろうとして左右に勢いよく動かした頭がクラクラと宙を浮くような感覚を起こし始めた。
考え込んでいる間にかなり時間が経ってしまったのだろうか。いや、まだそんなに長く湯の中には浸かってはいない。しかし、千鶴の全身から意識が薄れていくような感覚が流れ込み始める。
「あれ、私……あれ? ちょっと、変? ……逆上せたのかな……」
顎まで浸かっていた湯の中に唇まで沈み込む。少しだけ口内に熱い湯が流れ込んだ。それを吐き出そうとすると、意識が薄れている千鶴の耳元で、ブクブクという湯の表面に泡が立つ音が微かに聞こえた。その後、千鶴の意識はぷっつりと糸が切れたようになくなっていた――。
唇に何か柔らかいものが触れている。仄かに温かい空気が千鶴の口内に吹き込まれている。そして頬に鈍い痛みを感じた。
何? 痛いのと気持ちのいいのが混ざり合ってる――
そのような矛盾した感覚を起こしていた千鶴の胸の奥から、いきなり滝が逆流するように押し上げられてくる物を感じ、苦しくなり始めた。
「げぼっ! げほほっ、げほっ!」
「やっと水を吐いたか」
苦しい咳と共に千鶴の口内から大量の水が溢れ出して外へと吐き出される。ようやく苦しみから解放された千鶴は涙目になりながら意識を取り戻していた。
「わ、私、一体……」
「お前は馬鹿か? 長い間湯に浸かっておってそのまま逆上せて沈んでいたのだ。助けるのが後少し遅ければ、鬼であろうとあの世に両足を突っ込んでいるところだったぞ」
息苦しさを和らげようと、必死に呼吸を繰返している千鶴の背中を優しく擦る風間だが、表情は眉間に皺を寄せており、差し伸べてくれている手の優しさとは裏腹に、口から吐き出されている言葉は怒りを含んでいた。
かなり大量の湯を呑み込んでいたのだろう。千鶴の被っている着物も周りも水浸しであった。
「す、すみません……」
千鶴も強情なばかりではない。この時ばかりは素直な謝罪の言葉が零れると、風間は安堵を含ませた大きな溜め息を吐き出しながら、千鶴の身体に視線を流した。
「誤りと礼の言葉は後でゆっくりと聞かせてもらおう。ああ、礼は酒を酌するのでいい。まずは着替えろ。そのままでは風邪を引く。そして着替えたらすぐ茶の間へ来い」
「あ、そうでした……」
風間のその言葉に、寒い中で自分の身体に激しい震えが起きているのに気付いた千鶴は、のろのろと立ち上がった。そして、着替えをしに自室へ行こうと片足を前に出した瞬間、ある事に気付いた。
風呂に入っている時に助け出されたのだから、その時までは全裸だったはずだ。だから、今着ている着物は――
千鶴が風間の方に振り向く。
「あの、この着物を着せてくれたのは、もしかして……」
この家には風間と千鶴、二人きりである。そんな事は分かり切っているのに、そして馬鹿にもされるのも確信していながらも千鶴は間抜けな質問をしてしまっていた。すると案の定、風間の表情には呆れ返ったような、馬鹿にしたような色が浮かんでいた。
「お前は化け物にでも着せてもらったと思っているのか? ここには俺とお前の二人。勿論、俺が着せたに決まっているだろう」
「じゃ、じゃあ、勿論、見たんですよね? それに、あの……もしかして口付けもしました?」
最初の間抜けな質問に真面目に答えてくれた風間に感謝しつつ、もう一つ間抜けな質問をしてしまう。この時、中からいきなり燃え出すような熱が起こり、全身の震えが止まっていた。
「ああ、見たし、したぞ」
「今日で二回も……ううん、蝦夷でのを数えたら三回目……それに、この身体まで見られて、私、もうお嫁にいけない!」
かなり頭の中が混乱を起こしている。千鶴は自分でも訳の分からない言葉を放っていた。それを聞いていた風間は、動揺している千鶴を見ながら楽しんでいる様子。
「状況が状況だ。見ないわけにはいかんだろう。しっかりとここに焼き付けておいたぞ」
呆然とする千鶴の目の前で自分の人差し指で頭を突く風間。
「えっ……焼き付けたって……」
「それにあれは口付けではなく、応急処置だ。口付けの中に含めて数えるな。それに、お前はもう俺の妻になると決まっている。だから安心しろ」
そしてその後、ニヤリと笑みを浮かべると、千鶴の耳元で静かに囁いてきた。
「この五か月の間にかなり成長をしておるな。お前を抱く日が楽しみで堪らん」
「な、何言っているんですか!」
風間の言葉に怒鳴り返した千鶴は、再び頭がクラクラとして傍の壁に両手をつく。身体の中から起こる熱はなかなか冷めず、変な汗の粒が額に浮かび上がった。そんな千鶴に構いもしない風間が最後に衝撃の一言を残していく。
「ああ、もう少し胸の膨らみがあると尚更いい。それと……俺はふくよかな女が好みだ。それ以上は痩せるなよ」
「うっ……!」
痛いところを突かれたと千鶴が強く唇を噛み締めた。胸が小さいのも、太らない体質なのもかなり気にしていたのだから――。
「私の気にしているところばかりにケチ付けて……絶対に遊び人だ……」
実際に女を抱いているからこそ相手に対して自分の好みの注文が言えるのだ。
千鶴は先ほど受けた苦しさとは別に、風間に身体を見られ、気にしている個所を指摘された恥ずかしさで頭がクラクラとなった千鶴は、覚束ない足取りで自室へと向かって行った――。
- 8 -
*前次#
ページ: