東海道-袋井宿→見附宿
原野谷川という川を渡り、袋井宿までの途中で名栗を通った二人。そこには【花茣蓙(はなござ)】と呼ばれる旅人の休息で有名な場所に到着をした。勿論、風間と千鶴も旅人同様、その場所で暫しの休息を取った。
まだ春先ではあるが、歩き続けていると汗も掻く。そんな二人の脇には松並木が所狭しと植えられていて、身体の中に篭る熱さを和らげてくれていた。
暫く歩いて行くと【七つ森神社】の鳥居が姿を見せる。この辺りには七つの森があり、その中の一つにこの神社が建てられたと風間が説明をしてくれた。
「この神社には悲しい伝説が伝わっている」
「悲しい伝説……?」
「桓武天皇の時代に日坂宿に出没していた怪鳥を退治する為に朝廷から七人の武士が遣わされたのだが、その男たちは怪鳥を退治する事ができず、返り討ちに遭って命を落としてしまったのだそうだ。それを哀れんだ村人たちが男たちの墓を造って葬った場所がこの七つ森だと言われている」
「つまり、この七つ森は七人の武士の墓だというんですか?」
「詳しくは分からんが、そうなるかもしれん。この神社はいつ創建されたのかも詳しく分かっていないのだ」
まだ昼過ぎだというのに、千鶴の背中には寒い風が通り抜けようとしている。
「風間さん、早くここから出ましょうよ」
ここの雰囲気が怖いのだろうか。いや違うと千鶴は感じた。この先に何か嫌な事が起こりそうだと言いようもない恐怖に駆られた。千鶴の態度が急変したのに気付いた風間が握り続けていた手に力を込める。
「明るい場所に出れば、恐怖に駆られた気分も落ち着くだろう。行くぞ」
そう言うと、七つ森神社から千鶴を引っ張るようにして脱け出していた。そしてようやく二人は袋井宿に足を踏み込ませたのであった。
今回の風間と千鶴はもう一宿先の見附宿まで歩く。二人は袋井宿から松並木の間を歩きながら、見附宿へと向かって歩いて行った。
歩いている途中で【許禰(こね)神社】が二人の目の前に現れた。
風間の説明によると、平安時代以後の遠江の国と駿河は熊野三山と深い関わりがあるのだそうだ。そして境内には関ヶ原の戦の時に徳川家康公が腰かけたという腰かけ石があるのだという。
元亀三年に甲斐の武田信玄が大軍を率いて遠江に侵攻して鷲巣の久野城を攻めた後に木原に陣を張ったところ、浜松城から来た徳川家康の偵察隊と衝突。これが木原畷の戦いである。また、家康公腰掛石は、慶長五年に、関ヶ原の合戦へ向かう途中で許禰神社に立ち寄り勝利を祈願した際に腰掛けたという石なのだという。
「ちょっと腰かけてみようかな」
千鶴がニコニコと笑いながら徳川家康が腰かけたと言われている石の上に腰を下ろした途端、風間が千鶴の背後をジッと見つめて静かな声音で言葉を吐き出した。
「おい、お前の後ろに何かがあるぞ」
「えっ……?」
千鶴が恐る恐る背後を振り向くが何もない。
「風間さん、また私をからかっているんでしょう。もういい加減に止めて下さい!」
「お前には見えんのか?」
「だ、だから何がですか!」
「家康の顔が……」
「……」
その後すぐに千鶴の悲鳴が境内内に響き渡っていた――。
「酷いです、もう!」
半ベソの千鶴を引っ張るようにして歩く風間が大きな溜め息を吐く。少し恐がらせるつもりが大きな騒ぎになってしまったのだ。大泣きしている千鶴とそれを宥めている風間の周りに、【許禰(こね)神社】の徳川家康の腰かけ石を一目見ようとやってきた旅人たちが群がってきたのだ。泣いている理由を旅人たちに説明するのも面倒くさかった風間は、千鶴の腕を引っ張って慌てて旅人たちの群れから逃れてきたところであった。そして二人はようやく見附宿に到着をしたのである。
見附宿は、京から来た旅人がここで始めて富士山の姿を目にした事から【見附】という名がついたのだそうだ。二人が愛宕山の急な西坂を下って行った時、西に傾いていた日はすでに山の背後に隠れようとしていた。
「何とか、見附宿まで辿り着けたな」
風間はそう言うと、今夜宿泊する宿へと向かって行く。その途中にある神社が千鶴の目に留まった。
「風間さん、ここ、大きな神社ですね」
「ああ、矢奈比売(見附天)神社だ。学問の神だな。ここは昔、妖怪が住んでいて、毎年人身御供が行われていたらしい。しかし、【悉平太郎には知らせるな】という妖怪の言葉で町民が探し出した信濃の霊犬悉平太郎がその妖怪を倒したらしいぞ」
「い、犬ですって……?」
犬という言葉に、千鶴の身体が反応する。
「どうしたのだ? お前は犬が嫌いなのか?」
すると、千鶴が首を激しく左右に振り回した。
「いえいえ、その反対です。私は犬が大好きで、犬を飼いたいっていつも思っていたかんですよ。犬って賢いと言うじゃありませんか。だからこんな勇気のある犬がいたら良いだろうなって思ってたんです」
千鶴は興奮しながら目を輝かせている。風間も犬は嫌いではない。
「俺は、どちらかというと猫の方がいいな」
風間は千鶴の興奮する姿を面白そうに見つめながら、自分の意見を出した。すると、千鶴が風間の顔をジッと見つめてきた。
「そう言えば、蝦夷に渡る前に思っていたんですけど、風間さんって猫に似てますよね。気まぐれと言うか、自分勝手と言うか……そんなところが何となく……」
「ふん! お前には言われたくはないわ」
しかし、風間の機嫌を損ねたのにも気づかない千鶴は、猫も賢いと言い始める。
「犬っていつも猫にからかわれているような姿が脳裏に浮かぶのは何故でしょう? やっぱり猫って犬以上に賢いのかしら?」
千鶴が首を傾げながら呟くと、風間の頬がふっと緩んだ。
「ふん、まるで俺と千鶴のようだな。俺も蝦夷までの道のり、お前の動きを見ていて思ったのだが、お前はどこか尻尾を振り回している子犬のように見えていたからな」
「猫と犬って相性が悪いんでしたっけ?」
「まあ、いいとは言えんが、先ほどのお前の言葉は気に入った」
「私の言葉?」
「犬が猫に振り回されているという言葉だ。お前もせいぜい俺に振り回されるがいい」
「な、何ですって!」
この後の風間と千鶴は、犬と猫のどちらが賢いのか、そして飼うとすれば犬か猫かの話でやいやいと言い合いながら、今夜泊まる宿へと向かって行った。
宿に到着した千鶴は下腹部に鈍痛を感じ始めていた。
やだなぁ――
そういえばもうそろそろだったっけ――
千鶴の予感は見事に的中し、身体の微妙な変化に気分も空ろになっていた。
「千鶴、顔色が悪いがどうしたのだ?」
風間の問い掛けに恥ずかしいと思いながらも、千鶴は先程から身体に生じた月経の事を風間に話した。それを聞いた風間は納得したようで、布団に入った時にはその痛みに耐える千鶴の腰や腹を優しく擦ってくれていた。
「この痛みだけは男には理解し難いものなのだが、聞くところによると辛いものらしいな……」
下腹部に強弱を付けながら襲い掛かる痛みと共に、千鶴の身体から気持ちの悪い感触の汚物が外に出される。その度に顔を顰めて息を止める動作に、流石の風間もどうする事もできないようで、痛みが来る度に顔を顰める千鶴を少しでも楽にさせようと、自分の胸の中で強く抱き締めてやるのだった――。
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