東海道-浜松宿→舞坂宿



「風間さん、朝から機嫌が悪いみたいですけど、あの書簡と何か関係があるのでしょう? あれは千姫からのだったようですけど」


 今朝の事が気になっていた千鶴が静かに問い掛けると、風間は横にいる千鶴の顔をジッと見つめていたが、その後言葉を選びながらゆっくりと手短く話した。



「千姫からの書簡である事は認めてやるが、内容までは教えられん」
「内容ってどんな……」
「千姫からの書簡だったという事は教えてやったのだ。それで満足をしろ。後の事はお前の知る事ではない」


 鬼の中でも仲が悪いと評判の風間と千姫が書簡のやり取りをしている。それは恐らくこの旅の事についてなのだろう。風間が千姫からの書簡を読んでいる光景を見るのは千鶴にとって初めての事だった。そんなに頻繁にはしていないはずだ。


 きっと、この道中で今、何かが起こり始めているのだと、千鶴の気持ちに不安の感情の小波が起こった。


「あの……この旅で何かが起こるんですか?」
「お前が知る事ではないと言ったはずだ」


 風間が黙れとでも言うように素っ気ない言葉を返してきたが、千鶴は黙らなかった。


「朝に風間さんが言ってたじゃないですか。これからの旅は絶対に俺から離れるなよって……」


 千鶴は不安そうな表情をしながら朝から気になっていた風間の言葉を表に出していた。風間は何かがあるからあの言葉を千鶴に向けたのだ。そうでないなら同じような言葉を何度も繰り返して言う男ではない。


 風間は、千姫からの書簡の内容については千鶴には絶対に話さない事に決めていた。何故ならば、あの不知火と南雲薫――不知火はまだしも薫の事を話せば千鶴はきっと再会の期待感を心の中に膨らませていくだろう。それがこの後の旅の中で隙になる要因ともなる。そして、あの薫が今の千鶴の事をどう思っているのか分からない。


 女装をしていた――恐らく千鶴に何かを感付かせようとしていたのではないか? 同じ顔、同じような年恰好を見せ付ける事で自分の存在を知らせようとしたのではないだろうか――? それを分からなかった千鶴に薫はきっと激怒したに違いない。


 あの男は捻くれているからな――しかし、千姫が薫を助太刀に寄越すという事は、千鶴に何かをしてやろうというような事はないはずだ。


 分かってはいないのだろうが、風間も少し、いやかなり性格が捻れ曲がっている。似た者同士ならでは感じられない事があるらしい。それともう一つ――これは追々話すべきかどうか風間は迷っていた。しかし話さない方がいいという結論に至ったのだ。あの話をすれば千鶴が恐怖という暗闇に入り込んでしまうのは確実だ。数年前の自分がした時のようにあちら側もそういう行動を起こしてくるだろう。それに千鶴の鬼としての記憶は、##NAME##家が滅びた時の光景だけだ。それ以前の記憶はまだ失せてい
る。急に記憶を戻させたくはない。ゆっくりと時間を掛けて思い出して欲しい――風間はそう思っていた。


 風間は千鶴の手にそっと触れ握ると、静かに朝と同じ言葉を繰り返した。


「千鶴、これからの旅は絶対に俺から離れるなよ……」


 やはり風間は何も話してくれないのだ――。しかし、風間のその言葉に千鶴を守ろうとしてくれている気持ちが痛いほど分かった。そして千鶴を不安がらせないようにしてくれている事も――。千鶴は風間の言葉に返事をする代わりに、自分の手を握る風間の手を固く握り返していた。


 暫く歩いていると、道の脇に【夢告地蔵尊】と呼ばれる地蔵があった。


「安政五年、この日の本で恐ろしい疫病が発生したのだが、その経路は明らかにはなっておらん。ただ西の里のある薩摩から始まってこの東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかったと言われてはいるが、江戸だけで十万人もの民が死亡したという伝えもある。これはあまりにも過大で信憑性を欠く。恐らく、倒幕派が世情不安を煽って意図的に流したのだろうと言われている……まあ、俺もその通りだとは思うがな」
「人間って、自分の野心の為には何でも利用するのですね」
「人間とはそういうものだ。だからこそ俺たち鬼は、【義理返し】を終えた後には人間たちとの関わりを全て切ろうとしたのだ」


 この地蔵はその疫病で死んだ者たちを供養する為に作られたものなのだそうだ。その当時は遺族たちのお参りが絶えなかったと文献には記されているらしい。


 千鶴はその地蔵の前に屈んで両手を合わせる。そして疫病で死んだ者たちへの供養を終えた後に立ち上がり、背後で佇んでいた風間の手を強く握り締めた。


「先を急ぎましょう」
「そうだな……」


 先は急がなければならない。特に今の道中は日があるうちに歩いておきたいものだ。風間が千鶴の手を握り返す。


「今宵は舞坂まで歩くのですか?」
「ああ、舞坂に到着する頃には日が暮れているだろうからな」
「夜道は危ないですものね」


 千鶴は京に向かって歩いた時の事を思い出しながら全身を震わせる。しかし、そんな千鶴を安心させるかのような? 言葉を風間が放ってきた。


「すぐ目の前も見えん夜道を歩いて転ばれると迷惑だしな」
「なっ……! 私だって夜道は歩けます! 蝦夷の時にそうしてたじゃないですか!」
「すぐにばてていたではないか」
「うっ……!」


 すぐにばてていたのは確かだ。千鶴が何も言い返せずに黙っていると、


「夜は俺の楽しみがあるからな。その為には日のある中に泊まる宿場まで行く必要があるのだ」
「な、なな……っ!」


 風間が厭らしい笑みを浮かべながら千鶴の耳元で囁く。その囁きを聞いていた千鶴の頬はこれ以上無理だろうという程に真っ赤に染まり上がっていた――。


 二人は手を繋いだまま、舞坂へと続く成子坂を下っていった。


 坂下まで下って行くと地蔵堂が建っていた。風間の話しによるとこの坂の名前には二つの由来話があるそうだ。


 一つは坂上にあった地蔵堂に赤子が捨てられて泣いていた事から付けられた。もう一つは舞坂の両氏が天秤棒の片方に地蔵を乗せて家に帰ると、夜になって地蔵が元の所に帰して欲しいと泣いた事から付けられたと言われているらしい。この子育地蔵は、長年子供に恵まれなかった町民が、願掛けをしたところ子供が授かったという有難い地蔵なのだそうだ。


 千鶴が感心して聞いているのを見た風間が得意げに笑う。そして二人は今夜泊まる舞坂宿の入り口に足を踏み入れて行ったのであった――。


 舞坂に入ると、長い松並木が続いている。そこをひたすら真っ直ぐに歩いて行くと、ちょうど松並木の切れる所の宿に泊まる事にした。闇夜の行動はできるだけ避けたい風間の考えた安全策の一つである。風間は千鶴を守るようにしながらその宿へ入って行った。


「風間さん、風が強くなってきましたね」


 風間と共に布団に入り込んだ千鶴は、夕方から吹き始めた風が強くなったのを怖がっている。そのような千鶴の首筋に風間は唇を這わせながら囁いた。


「怖がるほどのものでもない。それよりもこの地に伝わる遠州七不思議の一つ、【浪小僧】の話をしてやろう」

「【浪小僧】?」
「ああ……遠州灘の浜で漁師が地引網にかかった浪小僧を助けてやったところ、海が荒れたり、風が強くなったりする時には太鼓を鳴らし、知らせてくれるようになったらしいぞ」
「それ……本当ですか?」
「だから七不思議だと言ったろう。伝説だから嘘に決まっている」
「もう! 伝説でも嘘でも信じている人に失礼ですよ!」


 風間の現実的な物言いに文句を添えていた千鶴がふと黙り込む。


「どうした?」
「……風間さん……太鼓の音が聞こえません?」


 風間は耳を澄ましてみたが何も聞こえてこない。腕の中にいる千鶴は自分だけにしか聞こえないのかと不思議そうな顔をしている。その表情を見るとついついからかいたくなってしまう衝動に駆られてしまう。


「俺には聞こえんが、今宵は風もきつく海も荒れているらしいからな。信じているお前には聞こえるのかもしれんな」
「……伝説ですよ……嘘に決まっています!」
「お前は先ほど、伝説やら嘘でも信じている者に失礼だと言ったではないか」
「だ、だからそれは……んっ!」


 ククッと千鶴の耳元で押し殺した低い笑い声を放った後に耳朶を食んでくる風間にはその音が聞こえていないようだ。しかし、千鶴の耳には聞こえた。




 ドーン、ドーン、と――




 気のせいだと思いたい。しかし、何か不吉な事が起きる前触れの音に聞こえるのは、千鶴が今朝の風間の言葉を気にしすぎているからだろうか。


「どうした……?」
「な、何でもありません……」
「怖いのか?」
「怖く、ないです……」
「全く強情な女だ……」


 千鶴は風間の問い掛けに強気な言葉を返したが、身体は正直だ。



 千鶴は風間の広い胸に自分の顔を強く押し付けると強く、強く両瞼を下した――。


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