東海道-新居宿→白須賀宿:二



 どれ程の時間が経ったのだろうか。忍びの者を待つ時間が何日も経ったかのように長く感じられる。


「風間、お待たせ致しました」
「遅いではないか」
「申し訳ない。戸隠が私たちの監視から逃れようとしていたのか、かなりの距離を移動していたので時間が掛かってしまいました」


 ようやく忍びの者が風間たちの前に姿を現したが、早く行動に移したい風間は全身から怒りを放っていた為、忍びの者が再び謝罪の言葉を述べた後に説明を始める。



「申し訳ない。戸隠は次の宿の手前にございます潮見坂上の徳川家康が建てたという今は使われてはいない茶亭にいます。先ほども申し上げましたが、ここからはかなり距離もありましたので遅くなってしまいました。説明はこれまで。すぐに案内致します」
「そうだったのか、ご苦労だったな。すぐに案内してくれ。それと……あれは持って来てくれたか?」
「はい、ここにございます」


 忍びの者が風間に手渡した物は、酒の入った徳利だった。それを見た不知火と薫はその徳利の持つ意味を持ちながらも存ぜぬ態度を見せる。


「何だよ? 戸隠と決着が着いたら仲直りでもして祝い酒でもするんか?」


 不知火の少しからかいの色を付けた言葉に振り返った風間は、依然機嫌の悪い表情のままで阿呆か! と言い返していた。


「そんな酒なんてどうでもいいけどさ。早く行った方がいいんじゃないかな?」


 薫の冷めた言葉に風間と不知火はフンッと鼻を鳴らして互いに顔を背けると、忍びの案内の下、潮見坂上へと猛烈な勢いで走って行った――。




 互いの唇が離れても戸隠に顎を持ち上げられた千鶴の瞳には、恐怖と共に悲しみの色が混ざり合っていた。


「あの時の優しい魁人兄さまではないの?」


 小さな声音で問い掛ける千鶴。それ程に戸隠の瞳は濁り澱(よど)んでいたのだ。何が戸隠をそうさせたのか? それに、風間が雪村家を滅ぼしたのは事実なのか――? 千鶴の中には風間よりも戸隠への疑心暗鬼が膨らみ始めた。そのような千鶴の唇を戸隠の唇が再び塞いでくる。


「ふうっ……!」


 鈍感と言われる千鶴でも分かる。これは愛情のこもった口付けではない事くらい――風間から心のこもった口付けを受け取っていた千鶴の心が戸隠から与えられる口付けに対して拒絶を始めた。


 憎しみ、怒りの意味を表すような荒々しい口付けが続く。


 風間の愛情のある口付け以外、風間を貶すような言い方をする、心中が様変わりしてしまった戸隠からそのようなものは受け取りたくはない。千鶴は自分の上顎と下顎に思いきり力を入れた。


「っつ……!」


 戸隠の唇と身体が反射的に千鶴から離れる。千鶴と戸隠の唇には椿のような鮮血がこびり付いていた。


「かなり強く噛んでくれたな」


 戸隠は袖で唇に付いた血を拭い取りながらニヤリと口元を歪めて笑っていた。


「風間さんは西の鬼の……いえ、もしかしたら日の本中の鬼の上を統べるに相応しい頭領かもしれない。風間さんは鬼としての誇りや威厳を大切にしている。だから一族を裏切るような事は絶対にしない。私は魁人兄さまよりも風間さんを信じます」


 千鶴のはっきりとした宣言に、戸隠は口内に残る血溜まりを床の上に吐き出した。かなり強く噛んでしまったのだろう。その血溜まりの量が床の上に広く飛び散っていた。
 
「正確に言えば雪村を裏切ったのはあいつの父親だ。しかし、その責任は彼の息子であり頭領である千景だろう?」


 再び千鶴に歩み寄って来る戸隠の言葉を聞きながら離れようとする千鶴の瞳は力強く輝いていた。風間自身が自分の一族を裏切ったのではないのだ。風間の父親が仕出かした事だった。しかし、既にこの世にはいない者を恨んでどうする? 千鶴の口元も戸隠と同じく歪んだ笑みを浮かばせていた。


「父親の責任はその息子にある。それはそうなのかもしれません。魁人兄さまの言っている事も一理あります。でも、それはそれで過去の事ではありませんか。今更その事を恨んだりして、過去に囚われていては先には進む事はできません」
「先に進む? 勿論、俺は先を見ているさ。だからこそ風間からお前を浚ったのだ。千鶴、お前の血が……東国の鬼たちを一つに纏めるには雪村の血が必要なんだ」
「ど、どういう事……? たった今、魁人兄さまは……」」


 戸隠が吐いた言葉で千鶴の口元からは一瞬にして歪みのある笑みが消える。千鶴は戸隠が何を言っているのかが分からなかった。雪村家と戸隠家は鬼の統一を望んでいなかったはず。それなのに今、戸隠は風間の父親が行おうとしていた一族の統一を実現させようとしている。


 戸隠の言葉は矛盾ばかりで、千鶴は戸惑いを覚えた。


「雪村の地が滅ぼされた後、旧幕軍を追って来た新政府軍の中にお前の育ての父親、雪村網道が以前に戸隠の地を訪れてきたのだ。その後、風間によって制裁を受けたと聞いたがな」
「父さまが……一体何をしに魁人兄さまの地へ……?」
「あいつが鬼の里を回る理由は一つしかないだろう?」
「ま、まさか……」


 網道が戸隠の地を訪れていた。千鶴の脳裏を過ぎったのはあの薬【変若水】の名前だった――。






 風間と不知火、そして薫が戸隠と千鶴がいるという潮見坂上に到着すると、忍びの者が指差す方向にある小さな建物に向かって行った。


 ここ潮見坂上の茶亭は、武田勝頼を破った後に尾張に帰る織田信長をもてなす為に、徳川家康が建てたと言われている。その家康が建てた茶亭と思われる建物はかなり古く、所々壊れて穴が開いたりもしていた。その隙間からチラチラと灯りが漏れ出しており、微かではあるが男女の声も聞こえてきた。


 忍びの者は、風間たちを案内して来た者とこの茶亭を見張っていた者の二人である。風間はその二人に潮見坂上の周りの監視を命じた。そして、風間、不知火、薫はバラバラに分かれて茶亭の周りを取り囲むと、飛び込む隙を見つける為に、建物の中の話に耳を澄ませていた。


 茶亭の内側からは、戸隠の声が漏れ出てきていた。


「雪村家が滅んだ後、戸隠家が東国で成り上がりの一族となった。網道は俺が千鶴の事を愛しているのに気付いていた。その俺の勘上につけ込むようにお前が生きているという情報と変若水という薬を俺の前に差し出してきた」
「嘘……父さまが、そんな酷い事……」


 戸隠による言葉の打撃を受けた千鶴は、大きく泣き崩れてしまう。その姿を見ていた戸隠は、千鶴を見下ろしながら哀しそうに笑った。


「お前の育ての父親である網道は雪村家の再生、それと鬼の統一を望んでいたのだよ」


 会話を聞きながら壁に開いていた穴から中の様子を見ていた風間は、心の中で大きく落胆のある溜め息を吐き出した後に奥歯を強く噛み締めた。


 風間の中に嫉妬に似た苛立ちが膨れ上がる。それもそのはず――先ほど風間の目の前で、千鶴の唇が戸隠のそれによって奪われたのだ。


 それも何度も、何度も。深すぎて長すぎる口付けに、風間は今いる場所から思わず飛び出しそうになったが、勝手な行動を起こそうとする自分の身体を必死に押さえつけた。


 父親とは違い、風間は鬼の統一など望んでもいない。一族各々が幸せに、暮らせればそれだけでいいのだ。それなのに、戸隠は風間を父親と同じような男だと思っており、千鶴を奪った男として憎しみを持っている。初めての真の友人だと思っていたのに、その関係が呆気なくも崩れてしまった辛さを感じた。


 網道が戸隠の里を訪れていた。それも変若水を携えて――
 戸隠は変若水を飲んだのだろうか? 


 あの薬が網道によって差し出された時、戸隠の奥底に眠っていた野望に火を点けたのは間違いない。何故なら、今の彼には千鶴を愛しいという気持ちはない。あるのはただ、千鶴が由緒正しい雪村家の生き残りで戸隠家にとって価値がある女鬼という事だけだ。


 以前の戸隠ならば、このように千鶴を傷つけるような言葉は出さなかっただろう。それ程に千鶴の事を愛していたのだから。


 千鶴の中に憎しみの感情を植え付けて操ろうとするとは愚かな奴だ――。


 千鶴は鬼らしくなく鈍感ではあるが、憎しみなどで左右などされない、強い意思を持った女である事を風間はよく理解している。


 蝦夷に向かう途中で、雪村の地を訪れた時に風間は千鶴にこう問い掛けた。


 人間たちが憎くはないのか?
 千鶴の一族を根絶やしにした人間が憎いとは思わないのか?


 すると千鶴は小さな声音でこう答えてきた。


 憎いのではない――
 哀しい――


 千鶴は人間を憎む前に、一族の事を記憶から一切なくしていた自分自身を責めていた。自分ばかりが可哀想だとは思わず、周りの事を優先的に考えてしまう。それが千鶴という女の性格なのだ。昔の戸隠ならばそのような千鶴を理解できたはずだ。しかし、今の戸隠には千鶴の内面を理解する事はできないだろう。そして風間は自分に問い掛けた。


 もしも今もまだ、風間と戸隠との関係が仲の良い友人だったとしたならば、愛してしまった千鶴を戸隠に差し出す事ができるだろうか?


 いや、できない――


 それ程に風間の心の中は千鶴の愛で満たされていた。だから二人の仲の良し悪しに関わらず、いずれは戸隠とは千鶴を巡って争う事になっていたのだろう。


 親友としての情けは捨てなければならない。鬼の頭領として、戸隠の仲間として、千鶴の恋敵として、戸隠を始末しなければならないのだ。特に鬼の道を外した者には先はなく、誰かが制裁を咥えなければならない。


 そう、あの目の前に見える小さな女の育ての父親のように――


 風間は戸隠と千鶴の姿を緋色の両の瞳で捉え続けながら刀の柄を握り締めていた手に強い力を籠めていた。




「父が差し出した変若水を、魁人兄さまは飲んだのですか?」


 戸隠は、千鶴の問い掛けに曖昧な笑みを返してきた。


「あれを飲んだとすればどうする? 確かにあの時網道は、実験を重ね続けて最高の物が出来上がったと言っていた。飲むだけで強くなる薬なら俺も含め、他の鬼も欲しがるだろう。網道も素晴らしいものを作ったと俺は思うな」


「あの薬が素晴らしい……? あれが素晴らしいものでしょうか? 私には最低なものにしか見えません。あの薬を飲んだ者がどんな最後を遂げるのか、魁人兄さまは知らないくせに」


 酔いしれるように話す戸隠を睨み付けながら反論する千鶴。だが戸隠の瞳は変化を始めていた。鬼の正体を表す黄金の瞳である。しかし、戸隠の黄金は風間の瞳の色とは違って、泥のように濁った黄金色だった。


「偽善者みたいな言い方ができるのも今の内だ。さて千鶴、お前には俺の子を産んでもらわないとな。他の男に手込めにされた女など千景は許しはせずに捨てるはずだ」
「な、何をするつもり!?」


 口付けをした時に千鶴に噛まれて身体を離していた戸隠が再び距離を詰めてくる。千鶴は狭い建物の中を逃げ回った。しかし、そのような無駄な動きさえもとうとうできなくなってしまう。戸隠が千鶴を壁に追い詰めたのだ。逃げ場がなくなってしまった千鶴にはどうする事もできない。


「魁人兄さまは正気じゃない……狂ってるわ!」
「何とでも言え。ここでお前は俺を受け入れるんだ」
「い、嫌っ……!」


 風間ともまだ身体を重ねていないのに、一つになっていないのに――
 ああ、こうなるのならば、素直に風間の腕に抱かれていれば良かったと、千鶴の中に後悔の嵐が吹きまくる。


「大丈夫だ、優しくしてやるから怖がるな」


 舌なめずりをする戸隠が千鶴の腕を掴んだ瞬間、


「風間さんっ!」


 千鶴の口からは風間の名が大きく叫び出された。突然の大声に怯んだ戸隠と千鶴の間に銃声と共に銃弾が一つ、真っ直ぐに飛んできた。


「くっ……!」


 銃弾を避ける為に身体を反らした戸隠が力を緩めた隙に、千鶴は戸隠の束縛から咄嗟に離れた。そして飛んできた銃弾の方向を見ると、そこには不敵な笑みを浮かべた不知火が銃を構えて立っていた。


「千鶴、こっちだ! 早く来い!」


 不知火が大きな動作で手招きをして千鶴を呼び寄せる。千鶴は必死にそこへ向かって走った。


「不知火さん!」


 千鶴が不知火の腕の中に飛び込もうとした時、不知火の横から手が伸びてきて千鶴の腕を掴む。そして不知火から離れてしまった千鶴の頭上から機嫌の悪い声が聞こえてきた。


「ほう……祝言も挙げない前から浮気をするとは、大した度胸だな」


 その声の方に視線を上に向けると、機嫌の悪い声音と同じく、機嫌の悪い表情で睨み下ろしている風間の腕の中に千鶴はすっぽりと包み込まれていた。そして、千鶴を抱き止めるはずだったのに、無駄になってしまった両手を手持無沙汰にしている不知火が、


「おいよ……」


 と、その手をヒラヒラと揺り動かしていた。


 千鶴はというと、言い訳をするのに必死である。


「し、不知火さんがですね、こっちに来いって言って下さったから素直に従っただけですし、その時には風間さんの姿が見えなかったから……」


 それでも風間は千鶴を睨み下ろしたままだ。その緋色の瞳の中に千鶴を自分の手中に戻せたという安堵感のような柔らかな色が見える。それがまた、とても艶やかで美しく、その瞳を見つめていた千鶴の顔は、風間の瞳の色のような緋色に染まった。


「べ、別に、浮気なんてするつもりはなかったんですからね!」


 千鶴が緋色に染まった顔を風間の視線から逃れるように背けると、


「ふん、冗談に決まっているだろう」


 そのような千鶴に意地の悪い笑みをこぼした風間は、どうやら千鶴をからかっていたようだ。よくもまあ、こんな時にからかえるものだと千鶴が思っていると、風間は千鶴から戸隠に目線を変えてゆっくりと歩いて行った。


「久し振りだな、魁人……」


 風間が少し距離を置きながら、戸隠の正面に立った。張り詰めた空気が二人を纏っていて、固唾を飲み込んでみている千鶴の背中に悪寒が走った。


「ふっ、この日を待っていたんだ……千景」


 戸隠は笑いながらも全身から殺気に満ちた気を放ってくるが、風間はそのような戸隠に落ち着いた態度でゆっくりと話し掛けた。


「潮見か……【死を見】(潮見)て【不死身】(富士見)になると掛けた地名だ。家康の生涯が幾多の危機を乗り越えてきた事にちなんだらしいな……。魁人、お前は網道が持って来たその変若水が不死身の薬だと思うか?」


 風間の問い掛けに歪んだ笑みを浮かばせる戸隠。


「西国一の頭領さまは何でも知っているんだな。網道は何も言ってはいなかったが、この薬を飲めば怪我をしても鬼の特質以上に早く治り、鬼以上の力を作る薬だ。素晴らしいとは思わないか?」


 戸隠の嬉々溢れる言葉に風間は大きく頭を左右に振り、口元からは嘆息が漏れている。


「お前はそれ程に愚かな男だったのか? 網道の話に何か裏があるとは思わなかったのか? いや、思わなかったのかもしれんな。その時のお前は、恐らく嫉妬が溢れんばかりに狂い咲く花のようだったのだろう」


 風間の憐みのこもった言葉は、戸隠にとっては不快に感じたのだろう。戸隠の鋭い視線が風間を捉えた。


「お前は俺をどこまで愚弄する気なんだ? まあ、いいだろう……千鶴の前でお前から始末をしてやろうじゃないか」


 その言葉を聞いた風間は、今度は嘲るような笑い声を放った。


「俺がお前に始末されるだと? ふん、笑わせてくれる。では、もしお前が鬼の誇りを捨ててまで変若水を飲んだとすれば、治癒力は今まで以上に早くなっているのだな? 突き刺す時に気を付けねばならんな。治りが早いと刺した刀に中身がすぐに絡まっていくだろうからな」
「千景、お前はいつもそうやって相手を見下してるんだよな。【西国一の頭領、風間】っていう立派な名を背中に背負ってな!」


 怒りに震えた声音と共に、戸隠の額から二本の太く長い角が飛び出してきた。それに対抗するかのように、風間も額から四本の角を出す。角と同時に変色した白髪からは殺気のせいか一本一本が浪打ちだっていた。


 間合いなど必要としていなかった。お互いが宙に浮き沈みながら刃を交えていた。丹念に研かれた刀の透き通った音が茶亭の中で鳴り響き、つばぜり合いをする二人の口元が動く。


「流石に強いな、千景……」
「これで己を守ってきたのだ。弱ければ今の俺はおらん。お前にあのまがい物の薬について説明をしてやろう」


 風間は一度戸隠から身を引くと、後ろへ下がり距離を置いた。


「網道が作り出した変若水は、羅刹となり肉体の強化や治癒力の増幅といった常人以上の力を手に入れる。しかし、そういう夢のような薬には欠点が付きものだ。お前がもしあれを飲んだとしても不死身にはならん。反対にもうすぐ命を終える……」
「どういう意味だ?」


 戸隠は刀を構えたまま風間の言葉に疑問符を投げつけてきたが、何を思ったのか構えていた刀を静かに下ろしていった。戸隠の目の前の風間は悲しみにも似た静かな瞳をしている。



「確かに実験は進んでいたのだろう。最初の羅刹とやらは日中活動ができなかった上にすぐに狂い出していたのだからな。俺が網道を倒した時の羅刹は昼間も行動可能だった。しかし、羅刹と化した者のその力の増幅は、これからの命の前借りをしているにすぎん」
「これからの命の前借り……」


 戸隠の呟きに風間は小さく頷き、次の言葉を放つ。


「魁人……お前は変若水を飲んではいないのだろう?」


 風間のその言葉に戸隠の濁りのある黄金の瞳は大きく見開かれていた。


「お前には飲めぬな。俺と同等な力を持ち、それを誇りにしているお前がそのような薬に頼るわけがない。それに、羅刹になっているのならばもっと強くなっているはずなのだが、今のお前は……」


 戸隠は変若水を飲んではいない。少しは理性が残ってはいるようだが、長年の苦しみによって狂った鬼と化してしまっているだけだ。そのように確信をした風間はゆったりと刀を構えた。


「お前は己の心に負けて狂った、愚かな鬼だ」


 風間がその言葉を掛けた瞬間、戸隠はその言葉を聞いた瞬間、互いに向かって地を蹴り走り出した。


 風間が刀を横薙ぎに振るうと、戸隠は瞬時の速さで後ろに退いて距離を置く。そして、刀を構え直すと同時に再び足を蹴り込んで向かって来た。風間の数歩手前から空に飛び上がり上段に構えている。風間はそれを見切ると、軽々と横に飛び退いて戸隠の刃は宙を彷徨った。


 二人の闘う姿を見つめながら、千鶴は自分を盾にして守ってくれている不知火の脇と腕の隙間から、もう一つの影を見つけていた。


 背丈は千鶴と同じくらいの男のようである。その男は自分の刀を鞘から抜き構えながら、風間と戸隠の闘いを見ていたが、千鶴の見つめる視線に気付いたのかこちらの方を振り向いた。


「薫……?」


 千鶴が小さな声でその名前を呟くと、風間たちの方を見据えている不知火の声が頭上から聞こえてきた。


「俺たちは千姫の命令でここへ来たんだぜ」
「えっ、お千ちゃんの命令で……?」


 千鶴が驚いて不知火の顔の方に視線を上げたが、不知火は目の前で戦っている男二人の姿から視線を外さずに言葉を返してきた。


「風間から救援の要請があったんだとさ。今まで仲間に助けなんざ頼んできた事もなかったあいつが、お前の為に頼んできたらしいぜ」


 千鶴の視線は不知火から再び薫に移る。薫は先程と同じく刀を構えながら風間たちの姿を捉え続けている。そして千鶴も不知火と薫同様、風間の姿を見つめ始めた。


 風間さんが、私の為に――


 理性がなくなり狂ってしまっている戸隠は、狂気染みた笑い声を上げながら、続け様に容赦なく風間に刃を振り翳してくる。風間はそれらを交わして避けながら、戸隠の一瞬の隙を見つけようとしていた。


 戸隠が右の方向に刀を横薙ぎにした瞬間、彼の左脇に隙を見つけた風間が刀の切っ先を思い切りその方向へ突き出した。


 刃が肉に食い込んだ鈍い音が千鶴の内耳に流れ込む。風間の刃は戸隠の心臓を少し避けた下に突き刺さっていた。


 周りに鮮血が紅の花弁のような形を成して飛び散り、戸隠を突き刺した風間の白い着物にそれは舞い降りた。


「ち、千景……お前は、頭領にして……はっ、甘い……な……俺に止めさえ刺……せないのか……?」
「何とでも言え。俺はお前を殺したくはなかっただけだ。羅刹になっていたのなら殺す他なかったがな。俺の刀はお前の身体を貫通している。暫くの間は動けまい」


 風間は戸隠の嫌味な言葉に対して真面目に答えると、自分の刀を抜いた。


「後で後悔……する……なよ……」


 風間の刀を抜かれた戸隠は弱々しい声でそう言い放つと、自分の刀を手にしたままその場に倒れ、ヒクヒクと身体を痙攣させている。


「やっと倒したな」


 不知火が闘いの終わりを千鶴に告げた途端、千鶴の足は風間の許へ駆け出していた。


「風間さん!」


 千鶴の瞳の中に風間の笑顔が見える。あと少しで手が届き、風間の逞しい腕に抱かれるのだと思った時――。


 風間の顔の中の笑みが消えたと同時に千鶴の腹の辺りに鋭い痛みが突き刺さった。


「な……何……?」


 千鶴の視界がゆっくりと床に近くなってその場に倒れた瞬間、複数の刀が誰かの身を突き刺す音と銃弾を放つ音が同時に聞こえてきた。


 あまりの痛みに耐えられなくなりそうなほどだが、千鶴は顔を苦痛に歪ませながらもその痛みを堪えようとしていた。


「千鶴!」


 風間が自分の名前を呼んでいるのが聞こえてくるが、それも徐々に微かな音にしか聞こえなくなっている。


 私、死ぬのかな――?
 ああ、月のものの時よりもお腹が痛い――



 千鶴の意識は徐々に速度を増して、遠い暗闇に沈みこんでいった――。


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