東海道-吉田宿→御油宿
鰻を食べ終えた二人は、征夷大将軍の徳川将軍家の老中・大坂城代・京都所司代格の大名の吉田藩の所領であった吉田城を眺めながら次の御油宿に向かって歩いて行く。
その途中にある豊川は、川幅が広く【志香須賀の渡し】で渡った。この川の中州には島々が浮かんでいて、それはこの地の景勝地であり、数多くの歌人にも詠まれていた。
豊川を渡った二人は、御油宿を目指してずっと先に続く松並木の間を歩いて行った。吉田宿と近い為かこの宿にも飯盛女が道を蔓延るように立っていて、次の赤坂宿に進もうとしている旅人の男を引き摺ってでも宿の中に引き入れようとしていた。
「風間さん……引き摺り込まれないようにして下さいよ。」
鰻を食べてから少しずつ機嫌が良くなっていた千鶴の表情が硬くなる。そんな千鶴を見ながら風間は顎をツンと上げるとフンッと鼻を鳴らした。
「お前は俺があのような男のようになると思っているのだろうが、そうはならん。それにお前の機嫌を悪くさせん為には女が俺に近寄らんようにすればいいのだろう?」
そう言うと、いきなり千鶴の肩に腕を回して歩いて行く。風間の方へ寄って来ようとしていた飯盛女たちはその光景を見て後退りを始め、違う旅人の方に目を付けに行ってしまった。
「あれ? 何で行っちゃったの?」
女たちが皆、二人の傍からいなくなった為に千鶴が不思議そうに呟くと、風間は可笑しくて堪らないように千鶴の耳元で小さく笑った。
「千鶴……手鏡を持っているか? 持っているのならばそれで己の顔をよく見てみろ」
「えっ……?」
千鶴が袂から小さい手鏡を取り出して自分の顔を覗き込むと、いつもの笑顔が見当たらずにかなり気難しい表情をしていた。
「吉田宿から鰻の店まで……そしてこの御油宿に着いてからずっとこの顔だ。そう言えば、この宿に十王堂という所があってな。そこには閻魔大王ら十王と三十三観音が安置されているらしい。お前の顔はまるでその閻魔のようだな」
「うっ……!」
千鶴が小さな呻き声を上げながらその手鏡の中に映る自分を凝視する。それを見ていた風間が、肩に回していない方の手で千鶴の頬を軽く抓った。
「お前は笑っている方がいい。それに、お前以外の女を俺が気になるとでも思うのか? 俺は我が妻を邪険にあしらう事はない。だから安心しろ」
風間は意地悪く笑いながらそう言うと、手鏡を覗き込んだまま睨めっこしている千鶴の肩に回した腕に力を込めて誘導しながら、美しい松並木の間を通り抜け御油宿へと足を運ばせていった。
全く、ここら辺の宿場はどうなっているのだろうか。いくら笑っている方が良いと言われてもなかなか笑う事が許されない。
【御油に赤坂吉田がなくば 何のよしみで江戸通い】
と言われた程の活気のある宿場町ではあったが、勿論飯盛女も賑やか過ぎる程に多い。
この宿場に泊まる事を嫌がった千鶴ではあったが、身体がクタクタになっているのを感じ取った風間は、千鶴を説き伏せてこの地に一泊する事になった。
「私、まだ歩けます!」
「既に足が縺れているではないか。短い距離ではあったが日が暮れかけて来ている。今宵はここに泊まるぞ」
風間が今夜宿泊する宿の中に千鶴を引き摺りこむようにして入らせる。その風間の顔を見つめていた千鶴が問い掛けた。
「……今宵、この宿場で会合はないですよね?」
「心配するな。今宵はない」
風間は千鶴に安心させる言葉を投げ掛けると、旅籠【戸田屋】の中に入って行った。
夕食を食べ終えて、風呂に入った二人が布団の中に潜り込む。真っ暗な部屋の中、この宿場のどこかの部屋で飯盛女の喘ぎ声も微かに耳に入って来ていた。
「何の為の旅なんでしょう? ……あっ……!」
千鶴が首元に顔を埋めて吸い付いている風間に小さな声音で問い掛ける。二人の部屋には痛痒く感じる口付けの音と、時折千鶴の口元から漏れ出る小さな喘ぎ声だけが静かに響き渡った。
風間さんだって男だもの。あのような声を聞いてどう思うのかな?
私も身体全部を許さないといけないような気になってしまう――
それに、何故だろう? あの女たちの喘ぎ声を聞いていると、身体の芯が熱くなる――
風間に抱かれている千鶴がそう思っていると、いきなり風間が顔を上げてフッと笑みを零した。
「あのような人間の男どもは旅の疲れを癒す為だけに快楽を求め、女たちは各宿に金を落とせるようにしているだけだ。では千鶴……俺たちのこの行為は一体何だと思う?」
「何だって言われても……」
千鶴の襟元がゆっくりと肌蹴ていき、風間の大きな手がその中にするりと忍び込んだ。大きくもなく小さくもない胸が、風間の大きな掌の中に包み込まれていく。千鶴はそれを感じながら、大きな吐息を吐き出した。
飯盛女たちは感じていようといまいと、あのような品のない喘ぎ声を放つ。しかし、千鶴の喘ぎ声は遠慮がちであり、できるだけ外に漏れ出ないようにと吐息に変化させる。それが風間にとって、何とも言い難い性欲を発揮させるのだ。
無知である女こそ艶のある行為の時には男を誘う魅力を持っているものだ。事実、風間は昼間の飯盛女たちの誘ってくるような艶のある笑みを見ても何とも感じなかった。それに、風間と千鶴の間には、飯盛女たちと旅をする男たちの中にないものがある。
「どのような行為であろうと、気持ちがあるかないかの違いではないのか? 鈍感なお前でも気持ちがこもっている行為か否かは分かるだろう? 俺はまだこのままでいい」
風間には先ほどからの千鶴の考えていた事がお見通しだったようだ。言い終えた風間は再び首元へと顔を埋めていき、衿元の中に滑り込ませている手をゆっくりと動かしていく。千鶴は風間の気持ちのこもった行為の幸せを感じるくすぐったさに、再び遠慮がちで小さな喘ぎ声と吐息を漏らしていた――。
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