復讐と責任 そして自由:南雲薫-sidestory-



 俺の中にある幼い記憶は残酷なものばかりだった。
 あれは忘れもしない――
 雪村の地が紅蓮の炎に包まれ、俺は一人でその中で震えていた。


 千鶴は無事だろうか、ああ、そういえば大人たちは皆、千鶴を助けようとしていたから大丈夫だ。
あの娘(こ)は無事だ――


 そう思いながら煙に包まれた俺は咳き込み続けていた。


 苦しい――
 この命はここで終わるのだろうか――?


 俺の身体がどんどん前倒れになっていき、息も絶え絶えになり始めたその時、


「薫っ! どこにいるの!?」


 どこからか俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。女の声だ――
 誰だろう? 誰だろう?


「薫! どこなの!? 返事をなさい!」


 あの声は母上の声だ――
 母上だけが俺を助けに来てくれたんだ。


「薫!」
「薫は無事かっ!?」
「ええ、大丈夫! すぐにここから逃げなくては!」


 ああ、父親の声もする。両親が俺を助けに来てくれた。しかし、二人がここに来たとなると千鶴は――?


 俺は両親に向かって千鶴の所へ戻ってくれと叫んでいた。その後の事はおぼろげにしか覚えていない。ただ、俺は誰かの腕に包み込まれた。熱い炎が燃え盛る中、その腕は冷たく感じたけれど温かかった。


 矛盾している――
 そう思う奴は思えばいい。
 俺はそう感じたのだから――


 その後の俺のおぼろげな意識は完全になくなっていた。






 目覚めた時、俺は部屋に敷かれた布団の上に横たわっていた。目の前には心配そうに見つめる女の顔が見える。一瞬千鶴かと思ったが容姿は全く異なっていた。


 俺よりも少し年上のようだが、幼さが残っている。しかし艶のある女だった。


「やっと気が付いたのね。大丈夫?」
「ここは……?」
「土佐の南雲家よ。あなたはずっと意識がなかったの」
「えっ、ずっと?」


 俺の驚く顔を見ながら女は頷く。雪村の地から土佐まではかなりの距離がある。しかし、鬼にとって子供の俺を運ぶのは容易い事だったらしい。


 半月足らずでこの里に到着したという事だった。


 土佐に向かっている間、うつらうつらと目を覚ましていたらしい俺は、少し飲み食いしては意識をなくすという繰り返しだったそうだ。


「私は南雲千紗っていうのよろしくね」


 千紗は南雲家の一人娘でかなり大事にされているようだった。千鶴を欲しがったのもこの千紗が一人娘だった為に妹代わりの女鬼を宛がうつもりだったそうだ。しかし、千紗は俺が来てくれて嬉しいと言ってくれていた。


「私って末っ子だから弟や妹がいなくて寂しかったの。上の兄はみんな歳が離れているしね」


 千紗はそう言って笑っていた。


 南雲家に来てからの一族から受ける俺の扱いは酷いものだった。あの事は今でも思い出したくもない。ただ、そのような扱いの中でも千紗だけは俺に優しく接してくれていた。しかし、千紗の本性は俺には丸見えだった。あの女が俺の悪口を兄たちに吹き込み、折檻させる。そして自分はそんな俺に情けを与える。流石は南雲家の血筋だ。【鳶が鷹を生む】などあり得ないが、その時の俺は力もない為に、ただ耐える事しかできなかった。


 元服を迎えた俺は、千紗から彼女の心の内の思いを聞かされる。その話を聞いた時は心の中でせせら笑いしてしまう程だった。


「嫁に行くならやっぱり地位の高い男じゃないとね」


 そこら辺に屯うように存在する下世話な鬼と身体を重ねて楽しんでいる女がよくそんな事を言える。


 千紗の我が儘を聞き入れる為に、両親はその男の里へ何度も足を運んでいた。千紗を嫁に貰って欲しいと――。千紗も自らその男の所へ挨拶。というよりも懇願しに行っていた。しかし、その男は千紗たちの願いをずっと拒否し続けた。


 理由は、面白くもない女鬼は必要ない。自分が欲しいと思った女ではないと興味がないという事だった。


 成る程――その男はなかなか女を見る目があるようだ。千紗は周りの男鬼が涎が出るほど欲しがるような美しい女鬼だが、興味が湧くほどの質を持っていない。そこら辺りに蔓延っている格式高い面を被る下卑た女鬼だ。


 千紗は断られて戻ってくる度に、俺の身体を執拗に求め、そして快感を味わっていた。その行為の中で千紗の悔しさの感情を含ませた呟きが今も俺の頭の中に残っている。


 何度でも西の里に出向いてやる。そして、私を妻に迎えさせてやる―― 


 会合で何度か顔を合わせたその男とは、性格的には合わないような気がしたが嫌いではなかった。


 長身に黄金の髪色をしていた。そして双方の緋色の眼孔は鋭さを持っていて、流石は鬼の上に立つ男だとも感じさせた。


 独特な話し口調、それがまた鬼の風格をより良いものにしていたのも記憶にある。しかし、その時はまだ千鶴が生きている事さえも知らなかった為に、その男に然程の興味は示さなかった。


 俺が生まれてから十四年目を迎えた時、南雲家の酷い扱いに耐え抜き、とうとう一族を倒す日がやってきた。


 土佐の中で南雲家の当主を恨んでいる鬼たちも多くいた為に仲間を増やすのは簡単だった。


 血で彩られる部屋で刀を振り翳す。鬼たちの喚き声が部屋の中に充満する。そして俺たち反逆者に懇願する者まで出てきたが、俺はそれさえも許さずに切り刻んでいく。


 南雲家全ての者を殺した――そう思った時、襖の陰からの視線を感じた俺がその場所に振り向くと、そこには千紗の姿があった。


「ああ……お前もいたんだったな」


 俺は返り血を浴びた姿と刀を千紗の方に向け、冷めた視線で見つめる。千紗の顔は恐怖に慄き、ガタガタと震えを来たしていた。


「わ……私も殺すの?」


 その問い掛けに当然だと頷いた。


「俺はここに預けられてからこの日をずっと狙っていたんだ。南雲の血統は全て消す」


 千紗は震えながらも俺の方に艶のある瞳を向けてくる。


「南雲の血を引く私を殺すくらいなら、雪村の血を引くあなたの妻にしてくれない? 南雲家の当主となったあなたとの子供を立派に産んでみせるわ」


 この女――


 俺は千紗の中に汚らわしさを感じた。南雲家の娘としての誇りも何も持たないただの売女だ――。


 俺が南雲家の奴らを倒し、権力を握った途端にヘコヘコしてくる。俺の中の腸が煮え繰り返ったが、それを表面に現さずにニヤリと意地悪く笑うと、千紗に荒々しく口付けをしてやった。唇を離した時の千紗はホッとした表情だった。


 助けてもらえる――そう思ったに違いない。


 だから俺はその期待感を裏切る言葉を仲間の鬼たちにくれてやる。


「おい、誰か! この女をくれてやる。南雲の血を引くたった一人の女鬼だ。一番に多く金を撒き散らした者に売るが、どうだ?」


 すると後ろから湯水のように金が降ってくる。千紗は俺の顔を見ながら恐怖の空気を身体中に纏っていた。


「……助けてくれるんじゃなかったの?」


 生唾を飲み込みながら懇願の瞳をこちらにに向けてくる。俺は嘲るように微笑みながら千紗に言葉を投げ付けた。


「今までのお返しだよ。この俺を強くさせてくれたのはお前たちだからね」


 呆然とした千紗を金で勝ち取った数人が引っ張って連れて行く。俺はその男たちに最後、一言を付け加えた。


「最後は殺して首を持って来てくれよ」


 男たちは舌なめずりをしながら頷いて千紗を引き摺って行った。


「薫! 助けてよ! お願いだからあぁぁぁ!」


 叫び声は長い間村中を響かせていたが、誰も助ける事はなかった。今や俺が南雲家の当主。助けるような事をすればどうなるか分かっていたからだろう。


 その後、千紗の行方は分からなくなった――。


 恐らくそこで辱めを受けていたのであろう場所には、あの女を引っ張って行った男たちの死体が転がっていた。


 戸隠を始末した後に俺は京へ戻る。その理由は千姫に呼ばれた為だ。何があったのかはすぐに察することができた。


 京の千姫の屋敷で俺はこう尋ねられた。


「南雲薫……何故呼び寄せたのか分かってるわよね?」
「ああ…南雲千紗の事だろう? 何人かの忍びがあの女を見たと言っていた」
「戸隠があの女に変若水を渡したとの情報も聞いた?」
「いや、それはまだだ。そんな情報が入っていたのかい?」


 俺の言葉に千姫は小さく頷いた。


 千紗を尾行している忍びの者の情報によれば、あちこちで吸血衝動を起こし始めているらしい。ただ、鬼の血が強いせいか死期はまだ近くないという事だ。


「戸隠は、一体何を企んで南雲千紗に変若水を渡したのかしら?」


 千姫が首を傾げながら頭を悩ませるが、俺には分かっていた。


 風間に対する嫉妬、それと復讐だ――。


 千紗が風間と夫婦になるのを望んでいたのを知っていた戸隠は、それに目を付けたのだろう。あの女はどんな男でも甘い言葉を掛けられるとホイホイと寄っていくお頭(つむ)の緩い奴だった。


「早く手を打った方がいいって事だな?」
「南雲千紗を生きたまま放ったのは薫、あなたなんでしょ? その始末はしてもらうしかないの。一応あなたは南雲家の当主であり、雪村家の生き残り。だから羅刹と変若水の責任を取ってもらうわ」


 確かに、千紗の事は南雲家の問題事であり、現南雲の頭領である俺はその責任を果たさなければならない。それに八瀬の姫である千姫には逆らう事は日の本の鬼を敵に回す事になる。俺は小さな溜め息を吐いた後に言葉を返した。


「分かってるよ……。あ、不知火を連れて行っていいかい? もうすぐこっちに戻るって言っていたし……」


 できれば助太刀をしてくれる男が一人必要だ。そうでないと今は薄れてはいるが、俺の中にあるどす黒い復讐心が爆発してしまうかもしれない。だからこそそれを止めてくれる者がいるのだ。


「構わないわ。でも何故?」


 俺は自分の中にある感情の事は千姫には伝えなかった。


「戸隠を制裁した時に目にしたんだけど、あいつの銃の腕前はなかなかのものだからさ」


 俺はそう言うと、控えていた忍びの者に不知火への伝言を頼んだ。そして、不知火と落ち合った俺は南雲千紗を斬り殺した。傍にいた不知火は、


「もう止めろ……」


 そう言っていたが止める事なんてできなかったし、不知火も言葉だけで、無理やりに俺を止めようとはせずに、やりたいようにさせてくれていた。しかし、ようやくこれで終わったのだ。


 南雲の血は絶えた。そして、雪村の一族の一人が作ったという変若水もこの世から消えた。


 鬼としての責任を果たせた俺は、やっと自由になったと思った瞬間に心が軽くなっていた――。


 俺と不知火は京に戻って、千紗の命をこの世から消した事を千姫に報告をした。千姫はそれを聞きながら忍びの者を呼び寄せ、風間に知らせるように頼んでいた。


 風間と千鶴のこれからの旅路が安全なものになった事を知らせる為に――。そして千姫は不知火に自分の里に戻っても良いという命を出したが、俺には出さなかった。


「へっ? 俺は帰っていいのかよ!?」
「ええ、いいわよ。お疲れ様」
「はあぁ! やっと俺も自由の身だ!」


 俺は目の前で喜んではしゃいでいる不知火を見つめながら千姫に問い掛けた。


「俺も土佐に帰っていいかな?」


 すると千姫が首を左右に振った。


「あら、駄目よ。薫はまだここにいてちょうだい」
「何でだよ……?」
「もうすぐ千鶴ちゃんがここに到着するでしょ?」


 千姫の最後の言葉に俺は唖然とした。


「はあぁっ!? まだ先の話じゃないか!」
「それだけじゃないのよ……」


 私があなたの事気に入っちゃったから――


 俺の耳元で千姫が囁く――。


「ああぁ……こっちも春が来んのかぁ?」


 千姫の囁きが聞こえたのだろう。不知火の呆れ果てた声が俺の耳を劈く――。



 自由をやっと手に入れられたと思っていた矢先の千姫の言葉に、俺は軽く眩暈を起しそうになっていた――。


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