東海道-藤川宿→岡崎宿



 乙川を渡った二人が松並木の間を暫く歩いて行くと、岡崎本宿の入り口に入って行った。岡崎宿の東の入り口冠木門を通ると二十七曲りという曲りくねった道が岡崎城まで続いている。城下の道は外敵には岡崎城までの距離を伸ばし、間道利用して防衛する事ができる屈折の多い道が常で、岡崎の二十七曲りはその典型である。しかし、江戸幕府が安定すると共にその道の役割は意味のないものになってしまったらしい。


 岡崎宿の東入り口には、江戸時代からの名物、あんかけ豆腐の【淡雪茶屋】が軒を連ねて建っている。二人は一時の休憩を取る為にその中の一軒に入って行った。


 千鶴の目の前にはそのあんかけ豆腐が美味しそうな湯気を出している。このあんかけ豆腐は葛や山芋を基本とした醤油味のあんをかけた豆腐で、岡崎宿を通行する旅人に親しまれている。


「ご飯とおしんこと淡雪豆腐が一緒に出てきた!」


 千鶴は、ほくほくしながらそれらをゆっくりと食べ尽くしてしまった。そして風間の目の前にある同じものを見つめる。しかし、腹八分目を考えた千鶴は我慢をするのであった。


 茶屋を出た二人が暫く歩いて行くと、大きな屋敷が目に留まった。


「あのお屋敷は何ですか?」
「あれはご馳走屋敷だ」
「ご馳走屋敷って……何か食べれるのかしら?」


 食べ物に関することになるとかなり敏感に反応をする千鶴が面白い。風間はそう思いながらご馳走屋敷の説明を始めた。


「【お茶壺道中】も知らんとはお前は馬鹿なのか? 江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中、あるいは宇治茶壺道中というのだ。茶壺道中は五摂家や宮門跡に準じる権威の高いもので、茶壺が通行する際には、大名らも駕籠を降りなければならず、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられたほどだ。人間のわらべうたの中にもお茶壺の言葉を使ったものがあるだろう?」
「そういえば……【ズイズイ ズッコロバシ ごまみそズイ 茶壺におわれて ドッピンシャン ぬけたら ドンドコショ】っていうわらべうたがあります」


 千鶴がわらべうたを思い出してそれの言葉を紡ぐと、風間が深い頷きを見せた。


「そのわらべうたは、田植えで忙しい百姓たちがこの茶壺道中を風刺した歌ともいわれているらしい」
「へえ……あの歌にそんな意味が含まれているなんて知りませんでした。遊びの中の歌だと思っていたので……」


 千鶴は風間の話に納得をしながら、そのご馳走屋敷を眺めていた。


「この岡崎宿は、八丁味噌も有名だ」


 風間が歩きながら、道の両側に立ち並ぶ蔵などに顎をしゃくって見せる。それらはすべて八丁味噌蔵であるらしく、確かに何となくだが味噌の香りが漂っているように感じた。


 八丁味噌は、丸大豆と塩のみで作られたものであり、三年間じっくりと熟成させて造る為に長期間の保存がきき、寒暖でも変質せずに携帯にも便利な事から重宝されたのだそうだ。


「ここから岡崎城まで八丁の距離であるからこの名がついたとも言われているな」
「ああ、成る程……」


 風間の物知りには本当に感心する。千鶴は風間の説明を真剣に聞き、それを見た風間はかなりご機嫌な様子で、岡崎宿についての話を続けていた。 


 この岡崎宿には大岡越前守の屋敷がある。大岡越前守は【大岡裁き】で有名な江戸・南町奉行であった。


「でも、大岡越前守の屋敷が江戸ではなくて何故このような場所にあるのでしょう?」


 千鶴が不思議そうにその屋敷を見つめていると、隣に立っていた風間がそれについて説明をしてくれた。


「大岡越前守忠相は、もともと紀州藩士であった。紀州藩主の吉宗が将軍になったのに伴い江戸へ行き旗本となったのだそうだ。そして南町奉行として手腕をふるい、吉宗を支えた功績によって、七十二歳の時に一万石の大名となり、この三河国の西大平藩の藩主となったと言われている」
「ああ、それで……」


 そしてこの岡崎宿は徳川家康の生誕地でもあり、二人の目の前に聳える岡崎城内で誕生したのだが、以降は小田信秀や今川義元の人質としてここ以外の国で過ごしていた。しかし、今川義元が桶狭間の合戦で戦死したことによって、ようやく人質から解放されて以来、この岡崎城を拠点に天下統一の基礎を固めたと言われている。


 まだ日は高い場所にある。しかし風間はここで宿泊をすると言ったが、念の為に一応聞いてみる千鶴。


「本当にここで泊まるのですか? もう少し……次の宿場まで歩けると思うのですが」
「ふん、確かにまだ日は高いな……」
「風間さん、歩きましょう。ゆっくりとした旅もいいんですが、この前のような急に予想外の事も置きます。だから、先を進んでいた方がいいと思うんです」


 千鶴が風間の袖を引っ張る。もうすぐ南雲薫が南雲家の女一人を始末するはずだ。それで一応、自分たちに危険な事はない。そのはずなのに不安が押し寄せるのは何故だろうか? それでも風間は、


「いや、今宵はここで泊まる」


 などと言うと、千鶴は風間の前で言ってはいけない事を口走ってしまった。


「わ、私は、風間さんが泣いている姿を見たくないんです! これからの風間さんには幸せになって欲しいし……それに私が必要なら、早く西の里に行った方がいいと思うんです」


 そう――千鶴は地雷を踏んでしまった。目の前の風間の表情はかなりの怒りを抱いているようだ。口をひん曲げながら千鶴を睨みつけてきた。


「俺がいつ泣いたと言うのだ?」
「え? ああ……えっとぉ……」
「俺がお前の目の前で涙を流した事があっただろうか?」
「だ、だから、えっと……あの時……」
「あの時とは……?」
「だ、だからぁ……」


 千鶴が戸隠に斬られた後に意識を回復したその時、風間は涙は見せなかったものの、千鶴の肩に顔を乗せて泣いていた。今まではそれを知られたくはないだろうと思って、決して口には出さなかったのに、こんなところでいきなり言葉に出してしまったと慌てて口を両手で塞ごうとしたが、それは風間の咄嗟の行動によって制止された。


 千鶴の両手首に風間の指が絡まる。そして互いの唇が触れ合いそうな程に顔が近づいた。


「あの時……俺が泣いた? それはどういう事だ?」
「あ、あっと……わ、私の気のせいかしら?」


 暫く二人は視線をぶつけ合う。しかし、風間も自分が涙した事に対して気まずかったのか、すぐにそれを逸らすと千鶴の目の前で背を向けた。


「次の宿まで歩くとするか……」



 その短い言葉は、風間の涙した事の話はするなと言うような口ぶりであった――。


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