東海道-池鯉鮒(知立)宿→間の宿(有松)→鳴海宿



「風間さん、【あんまき】のお店はまだですか?」
「もう少し歩くとその匂いが漂ってくるはずだ」


 風間にそう言われて暫く歩いて行ると、大層甘い匂いが千鶴の鼻腔を擽りだした。辺りを見回すと【小松屋】と書かれた看板が掲げられた建物があり、どうやら甘い匂いはそこから漂ってきているようだった。


「あんまき……あれ、大あんまきってものがある」


 店の前の張り紙に書かれた文字を見つめる千鶴は、普通のあんまきよりもその大あんまきの方に興味が注がれた。


 食べるなら大あんまきだ――


 そう思った千鶴は、風間にその店に入る事を言わずに行ってしまった。その姿を見た風間は、自分の了解をも得ずに離れた事に少し苛立ちを感じながらも、千鶴の底なしの食欲に呆れ果てていた。


「全く何も言わずに行きおって……その上にあいつの腹の中はどうなっているのか……一度覗いてみたいものだ」


 大あんまきとは、砂糖の入った小麦粉をとろとろにしたものを細長く焼き、焼いたその上に餡を乗せてクルクルと巻いてあり、行儀は悪いが歩きながらでも食べられる手ごろな菓子だった。焼きたてのあんまきは外がパリッとしていて中は餅のように弾力がある。そして中の甘い餡がその皮と交わってとても美味であった。


「美味しい!」


 大あんまきを食べながら先を進みながら幸せそうな表情でそれを食べる千鶴の横では、風間が顔を顰めながら見つめていた。


「食ってばかりいると太るぞ」


 風間のその言葉に、千鶴は大あんまきを頬張りながら言い返してきた。


「少しくらい太ったって構いませんよ。それに痩せているより少しふくよかな方が良いと思いません?」


 この道中、風間から見て千鶴は少しふくよかになったような感じがする。江戸で再会した時も女らしくなっていたが、その姿に少し丸みを帯びてきているようだった。


「ふくよかと太るという言葉の意味は少し異なるような気がするが……」
「確かに太るって言葉は表現的にもあまりいい感じがしないんですけど、ふくよかって柔らかい、優しい感じがしますよね? そうそう私、少しふくよかな方が見栄えが良くなると思うんですけど、風間さんはどう思います?」


 千鶴がハフハフと大あんまきに齧り付いているのを見ながら、風間が意地悪い言葉を放ってきた。


「ふん、ふくよかになろうが太ろうが俺は別に構わんが、一言付け加えるとすれば……お前の胸だけは一向にふくよかにはならんようだな?」


 風間の嫌味な言葉に、千鶴が顔を真っ赤にさせて怒りの言葉をぶつけた。


「な、何を言い出すんです!? 私の胸の大きさは普通ですよ!」


 太るとふくよかの意味の違いから胸という別の話に逸れていき、やいやいと言い合いながら二人は間の宿である有松を後にして鳴海宿へと進んで行く途中で、尾張藩の加護を受けて作られた有松絞りが有名であると、再び風間が説明をしてきた。その説明の通り、今二人が歩く道の至る所にそれの卸問屋や店が軒を連ねており、その絞りの手拭を中心に浴衣や着物、小物等が売られていた。


「風間さん、お土産にこの絞りの手拭を買っていいですか?」


 千鶴が風間に尋ねると、


「誰の土産だ?」


 と問いかけてきた。


「えっ? お千ちゃんとか君菊さん……薫に天霧さんに不知火さんですけど……私も欲しいから買おうかな?」


 別に欲しいとは思わないが、千鶴の口から自分の名が出なかった事に心の奥底から苛立ちを感じた風間は素っ気なく返事をした。


「買って来ればいいだろう。俺はそんな物は要らんからな」


 千鶴が風間の顔を覗き込む。


「風間さんも欲しいんですか?」


 その千鶴の顔を風間は睨みつけた。


「要らんと言っているだろう」


 風間は千鶴の前で更に不機嫌になり、


「早く行って来い」


 と、千鶴に言葉を突っぱねる。


「何よ、欲しいなら欲しいって素直に言ったらいいのに……」


 千鶴は少しだけプリプリと店に入り、手渡す者たちの姿や性格に合った手拭いを選び出す。その時、千鶴の視界にある手拭いが飛び込んできた。


「これ……似合いそう……」


 千鶴は視界に飛び込んできたその手拭いを手に取る。そしてそれらを買うと、風間の元へ走って戻って行った。


「買ったのか?」
「ええ、買いましたよ」
「そうか、ならば先に進むか……」


 先を歩く風間の背を見つめる千鶴の手の中には、自分のものと似通った絞りの手拭いが一つ多めに入っていたのであった――。




 尾張と三河の国境である境川に架かる境の土橋を渡った二人は、とうとう尾張にまでやって来た。そして二人は桶狭間の古戦場跡の場所に辿り着いた。その場所は、かつて今川義元が織田信長に襲われ戦死した所であり、義元の墓がポツンと残されていた。その先には【お化け地蔵】があり、この辺りに桶狭間の戦の戦死者の亡霊が現れるという噂が立ち、その地蔵を建てたところ、その霊たちは現れなくなったという話があるのだそうだ。しかし、その話の通りで周りは独特な雰囲気があり、幾ら霊が現れなくなったとは言っても千鶴には不気味に感じられた。


「風間さん、何か気味が悪いですから早く行きましょう」


 千鶴が風間の袖を引っ張るが、今朝から強気に言い返してくる千鶴に対して苛立ちを募らせていた風間がここぞとばかりにやり返せるとにやりと笑った。


「そうか? 静かで良い所だとは思うが……ん? お前の後ろに何かがいるぞ?」
「えっ……!? な、なな何がいるんです!?」


 千鶴顔から血の気が引き、真っ青になっていくのを見た風間は意味ありげな笑みを浮かべて先に歩いて行った。


「か……風間さん! 置いて行かないで下さいよ!」


 風間にからかわれているとも思わない千鶴は、先を歩く風間の背中に向かって走って行った。


 鳴海宿の東の入り口には立派な常夜燈があり、二人を出迎えてくれているかのように建っていた。


 ある寺の前で千鶴がうっとりと地蔵尊の下の地面を見つめ、その横では風間が馬鹿にしているかのような目つきで千鶴を見ている。その理由は目の前にある【蛤地蔵尊堂】という寺にあった。この寺は飢饉の時に、村人の夢のお告げにより地蔵尊の足元を掘ったところ、沢山の蛤が掘り出され、多くの村人が救われたという言い伝えがあるそうだ。


「食べ物は命のもとですものね。素敵な言い伝えです。それに蛤……美味しそうですね……」
「俺はお前のその頭の中身がよく分からん……」


 千鶴の名前を何度も呼んで先を行こうとするものの、なかなかその寺から離れない千鶴に痺れを切らした風間が取って置きの言葉を耳元で囁いた。


「桑名宿に行けば、焼き蛤がたんと食えるぞ」


 今までうっとりとしていた千鶴がいきなり素早い動きで風間の方に振り返る。


「風間さん、何故それを早く言ってくれなかったんですか! 急ぎますよ!」


 そして足早に堂の傍から離れて歩き始める。それを見ていた風間は、


「食い物でよくあんなにコロコロと変われるとは何とも単純な女だ。しかし……」


 宙を浮くような足取りで歩き出す千鶴の後ろを付いていく風間は一つの疑問を持ちながら独りごちていた。



「あやつ……まさか、あの寺の地蔵尊の下を掘るつもりでいたのではあるまいな……」


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