色褪せる程思い出は強く残る-sidestory-
「おい千鶴、あの手拭いはどこにある?」
「手拭い? ああ、あの有松染めの……」
「今から泊まりの会合に出かけるからな。あれを持ってきてくれ」
「はい、ちょっと待っていて下さいね」
玄関先で外出する時には必ず持って行く有松染めの手拭い。それを忘れかけていた風間が千鶴に持ってくるように伝えると、千鶴はそれを取りに踵を返して廊下を掛けて行った。その後ろ姿を見つめながら、風間はほうっと小さな溜め息を吐き出す。
「あれを持たずに屋敷を出るところだった……」
風間にとってその手拭いは千鶴の次くらいに大切なものである。あれを手にしてからの風間は自分の身にないと落ち着かず、会合やちょっとした外出の時にも必ず持ち歩く事にしていた。
「千景さん、お待たせしました」
千鶴がその手拭いを手に現れて風間に差し出す。それを受け取った風間は機嫌よろしく屋敷から会合の開かれる場所に向かって歩き始めた。
「何ですか、風間。にやにやして気持ちが悪い」
泊まりの会合の時には必ず共としてついて来る天霧が、風間の表情を見つめながら口元を歪める。それもそのはず。普段ならば千鶴との時間を作る事ができない泊まりの会合の時の風間はいつも機嫌が悪いのに、今朝は足取りも軽く、顔には薄っすらとした笑みが浮かんでいたのだ。
「別に笑ってなどおらん」
「笑っていましたよ」
「笑ってはおらんと言っているだろう」
「笑っていましたって……」
暫くの間の二人はこのような言い合いをしていたが、面倒くさくなったのか、風間からその言い合いを止めると、袂から先ほど千鶴が持ってきた手拭いを取り出すと、自分の鼻の近くに近寄せた。
千鶴の香りがする――
風間のこの手拭いを洗濯した後、千鶴はいつも香木の匂いをつけて箪笥の中に仕舞うのだ。その香りは千鶴のお気に入りであり、会合に出席する為の旅に出る風間への配慮でもあった。
いや、配慮ではないのかもしれないな――
その香りを嗅ぎながら風間は少しだけ苦みのある笑みを起こした。
千鶴がこの香りを風間の手拭いにつけるは、旅に出ていても自分の事を忘れないよう、そして他の女と戯れないようにさせる為であるに違いない。何故ならば、風間が外出する時に持つ手拭いはこれだけであり、他のものは一切持つ事をしないからである。だからその他にも手拭いは常備してあるのだが、千鶴はそれらにこの香りは一切つけてはいない。その上に、泊まりの会合には必ず天霧を同行させる。これもまた千鶴の差し金でもある。しかし、天霧に見張られていようと、手拭いの香りを嗅いで千鶴の事を忘れさせないようにしようと、風間には他の女と戯れようという気は一向になかった。
「全く、嫉妬深い女になったものよ……」
小さな文句言葉を放ちつつも、風間の表情からは満更ではなさそうな雰囲気がある。それを見ていた天霧は柔らかな笑みを浮かべて唇を揺らした。
「それ程、愛されているという事ですよ」
「ふん、そのような事、言われなくても分かっている」
風間がようやく千鶴を妻に娶った事が嬉しい天霧にもようやく幸せが訪れた。それは千姫の護衛である君菊を妻にする事ができたのだから。ただ、二人は違う主に仕える身である為に共には暮らしてはいない。しかし、二人の愛の絆は、もしかすると風間と千鶴よりも強いのではないのだろうかと思われるくらいにしっかりと繋がりを見せていた。
「今回の会合は京で行われるのであったな」
「ええ、そうです」
「お前も久し振りに会えるのではないか?」
「ああ……そういえばそうですね。今回の会合には新しい鬼の一族の長も出席をされると聞いております」
「ふん、話を逸らしたな」
「はい、何の事でしょうか?」
風間は千鶴との愛を見せびらかすが、この天霧はそういう事を決してしない。従って、風間が君菊の話を振ったとしても、天霧はさり気なく返事をしてその話題をすぐに終わりにしてしまうのだ。
風間が色褪せた有松染めの手拭いを見つめていた天霧が、思い出したかのように袂から自分が持っている手拭いを取り出した。
「それは確か、西の里へ来る道中の時に千鶴さまが土産に持って帰られたものでしたね。この手拭いはかなりしっかりしていて、私も今でも使わせて頂いているのですよ」
風間が天霧の手の中にある有松染めの手拭いを見つめる。そういえば確か、千鶴は皆に土産に買っていくと言って店に走って行ったような覚えがあった。その後に風間にも手拭いを買っていてくれたのだが、他の者たちに土産として渡した手拭いの柄を見たのは、天霧の手の中にあるそれが初めてである。
風間の手拭いの模様は人目鹿の子絞り。そして千鶴のも風間と同じ模様である。天霧の模様はというと、唐松縫い絞りといわれるもので、かなり落ち着いた柄であり、おそらく君菊と同柄であるに違いない。そうでなければ、この天霧が何年も経った今でも土産として渡されたものを後生大事に身につけている訳がないのだから。
「風間のその手拭いはかなり色褪せているのですね」
天霧が風間の手の中にある手拭いと自分のそれを見比べながら唇を揺らす。それを言われた風間も自分のものと天霧のものを交互に見比べた。すると確かに、天霧の有松染めの手拭いは何年も経った今でも鮮やかな色をしているのに対し、風間のそれはかなり薄れていた。
今までの風間であれば、何でも新品のものでなければ気が済まない性質であったが、この手拭いは初めて、自分が本当に愛した女からの初めての贈り物である為になかなか処分する事ができないでいる。それに、千鶴もまた、風間と同じ模様の手拭いを後生大事に持っている。
愛という感情と共に、この手拭いには大切な思い出がたくさん詰まっているのだ。
風間が手拭いを袂にしまいながら独り言のように呟いた。
「形あるものは色褪せてはいくが、俺たちの思い出は日に日に濃くなるばかりで褪せる事がない……」
それを天霧が聞いていたのか否かは定かではない。しかし、風間の背後では優しくて柔らか味を感じる吐息が吐き出される音が微かに響いてきていた――。
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