東海道-四日市宿→石薬師宿
翌朝目覚めた千鶴は、身体も気持ちも悶々としていて落ち着く事が出来ない。首元には昨夜風間によって赤い牡丹の花弁のような痣がいくつも付けられていた。風間は一通りの口付けを終えるといつも千鶴を抱き締めて眠りに就く。いつもなら千鶴も共に眠りに落ちていくのだが、昨夜は何故か身体が火照り続け、なかなか眠る事が出来なかった。目の前で規則正しい寝息を起こしている風間を見つめながら溜め息を吐き、そっと風間の黄金の髪の毛を手で優しく梳かしていた。
サラサラと音を立てるように指と指の間を流れていく。柔らかくて心地良く、そして何かしら言いようもない感情が千鶴の心の中に着火し始めた。
男女の行為をした事がない為に不安はあるが、抱いて欲しい――
こうして抱きしめられるだけでは満足ではなくなり始めている――
下半身の中枢が疼く――
そこからの疼きが抱いてほしいと伝えろと命を下してくる――
でも、それが言えない――
何度目かの溜め息を吐き終え、ゆっくりと両瞼を閉じていった千鶴が眠りに落ちた後、風間が緋色の目を薄っすらと開き千鶴の寝顔をずっと見つめていた――。
四日市宿を出立した二人は次の宿場、石薬師宿へと向かって行った。その途中には間の宿、日永の追分(伊勢参宮道の分岐点)があった。
このような間の宿は、本宿よりもかなり割安で宿泊出来る為、旅人には人気のある宿場でもあった。
「私たちも間の宿で泊まれば安くつくんじゃありません?」
朝、旅籠で金を払っていた風間の巾着の膨らみを見ていた千鶴がそのような提案を伝える。風間の金の入った巾着は知らない間に膨らみや萎れを繰り返していた。が、最近は一宿毎に泊まったり船に乗ったりしたせいだろうか。その巾着が萎れるのがかなり早く感じていた。しかし、金に関しては困りもしないのか、風間は間の宿ではできるだけ泊まりたくないと言い張った。
「高いのが良くない、安ければ良いというものではない。俺は値段に関係なく泊まる場所が薄汚いのは好かんからな」
「だから安くて綺麗な宿を探せばいいじゃないですか」
「ふん、宿はいつも忍びたちが用意してくれているのを知っているだろう? あいつらとて、頭領の俺とその妻のお前に安くて小汚い宿を提供する訳がなかろう」
「私はまだ、か……じゃなかった、千景さんの妻じゃありませんたら!」
「馬鹿が……ここまで来れば我が妻も同然だ。そろそろ鬼の頭領の妻として自覚を持て。西に着いてからでは遅い」
良い所のお坊ちゃまの風間は一通りの文句を垂れると、
「金の心配なら必要はない。行くぞ……」
と言って、頬を膨らます千鶴の手を引いて行く。その大きな手の感触に千鶴の心臓がドクドクと早鐘を打ち出していた。
落ち着いて――
ただ手を握っているだけじゃない――
それでも、その手の感触に慣れるまでにかなりの時間を費やし、その間の千鶴の心臓は早鐘を打ち鳴らしたままの状態であった。
日永の追分を過ぎ、内部(うっぺ)川を渡ると、旅人の間では急坂で知られている杖衝坂(つえつきさか)まで辿り着いた。
この坂は【古事記】によると、日本武尊が東征の帰途、ここで自分の剣を杖代わりにして登ったという所らしい。そして、この坂を有名にしたのが芭蕉である。彼が江戸より伊賀への帰途の中、馬に乗ってこの坂を登ろうとした時、余りの急坂で落馬したという。その時に詠んだ句が残されている。
徒歩(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな
確かに芭蕉の句の通り、ここはかなりの急坂である。昨夜からあまり眠れていない千鶴は近くに落ちていた木の枝を杖代わりにしてヨロヨロと登って行くが、横の風間は全く苦にならない様子で規則正しい動きで両足を交互に前に出していた。
「いつもながら軽快ですね……」
ゼイゼイと息を切らしながら嫌味をぶつけてくる千鶴に不敵な笑みを送る風間に多少の苛立ちが身体中に刺激を与えてきた。
「これしきの道など、鬼には何の障害にもならん」
その後の二人は杖衝坂を登り切り、【血塚社】という社の場所に到着をした。この場所で、あの日本武尊が坂で怪我をして、足から流れ出た血を止めたのだという。
「三重という名がつけられたのには理由がある」
急坂を登り切っても息を荒げない風間が落ち着いた声音で言葉を放つ。それに対して、
「ど、どんな理由なんですかぁ……」
と、既に足腰が立たなくなっている千鶴が問いかけた。
「日本武尊のこの時の足の怪我が重傷だったらしくてな。三重に曲がってしまった事に由来するのだそうだぞ」
「へ、へえ……そうなんですかぁ……し、知らなかったぁ……」
この時の千鶴の姿は、日本武尊のように足ではなかったが、腰が三重に降り曲がりそうなほどになっていた――。
その後は風間が千鶴の歩調に合わせて進み続け、次の宿場である石薬師宿に到着をした。
石薬師は、宿場の南外れにある石薬師寺の門前に開けた町である。この東海道では最も小さく静かな宿場である。その静かな町の中を二人も黙ったまま通り過ぎる。その途中で源範頼を祀っているという【御曹司社】に立ち寄った。
この【御曹司社】に祀られている源範頼は源の頼朝の弟であり、武道や学問に優れていた。しかし、源義経と同じく、頼朝に謀反の疑いをかけられて抹殺されるという悲しい運命をたどったのだそうだ。
源頼朝の霊らしきものを見た事がある千鶴が身震いを起こす。生きていても残酷な男であり、死んでもなおそれは健在であったのだ。そのような千鶴の気持ちを解すかのように、風間が社の中のある場所に誘っていた。そこには【樺桜】という桜の木がある。それは源範頼縁のものである。
源範頼が平家追討の為に西へ向かう途中、石薬師寺に戦勝を祈り、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに差したところ、それが芽を吹いて育ったのだそうだ。
「この樺桜は【逆さ桜】として有名なのだ」
確かに、この樺桜。根元から枝分かれをしていて桜の木にしては奇妙な形をしている。
「こういうものを見せられると、現実味を帯びるな」
あまり伝説上の話を信じない風間も、その桜の木をまじまじと見つめながら少しだけ納得の色を顔の表面に浮かばせていた。
「次の宿まで歩くぞ」
「では、次の宿で泊まるのですか?」
「ああ……そうする事にしよう」
【御曹司社】を出た二人は、庄野宿を目指して歩いて行った。
- 93 -
*前次#
ページ: