東海道-石薬師宿→庄野宿→亀山宿
庄野宿に入った二人が歩いて行くと、【鈴鹿川の女人堤防】が見えてきた。
庄野宿は鈴鹿川の自然堤防の上に発達した町でもある。この場所は鈴鹿川と安楽川の合流点でもあり、その辺りを汲川原という。合流点では、しばしば川の氾濫が起きて人命が失われた。
伝説によると村人たちは堤防を築く事を神戸藩に願い出たが、藩は堤防ができると対岸の城下町に浸水の恐れがあるとして許可を出さなかった。そこで人々は処罰を覚悟の上工事に踏み切ったが、村人の菊という女性が、
工事に関わった男たちは打ち首になり村が全滅する恐れがあるから私たち女だけで堤防を作りましょう
と、二百人余りの女性だけで堤防を作る事になったという。その工事に掛かった年月は六年。完成はしたもののそれが藩主の知るところとなり、先頭に立った菊たちは処刑処分を下された。しかし、家老の嘆願によって寸でのところで助命され、女たちの志に対し金一封が贈られたらしい。
「女という者は強い生き物だと思いません?」
「村の為に働いたというのには感心するがな。しかし、これは言い伝えであり確信はないに等しい。わざわざ男のするような事をする女は強すぎて守る気も起こらん。俺にとっての女は素直で可愛げのある生き物でいい」
「それって私に対する嫌味ですか? いいじゃないですか。強い女がいる事で男は出世していくんですから」
「俺は登り詰めるところまで登ったからな。出世という言葉など必要がないのだ。従って、後はお前を俺好みにしていくだけだ」
「風……千景さんの好みの女ってよく分からないんですけど。私を千景さん好みにするって事は、私はまだ好みの女になっていないという事ですよね? よくそんな私を選んでくれましたよね?」
「初めから俺好みでは面白くはない。徐々に好みの女に作り上げていくのがいいのだ」
「性格悪いって言われません?」
「何とでも言うが良い。俺は己のこの性格を気に入っている。西に着くまでにはお前は俺の好みの女になっていよう。楽しみだな……」
風間はニンマリと笑みを投げ掛けながら歩いて行く。
千鶴は少しずつだが自分好みの女に近付いてきている――
風間はその感触を毎夜楽しみながら感じていた。
二人が歩き続けていると、空一面にどんよりとした厚い雲が広がってきた。それを見ていた風間が小さな舌打ちを起こす。
「白雨が来るな……」
白雨とは昼間の夕立の事である。そのどんよりとした雲を勢いよく流すかのように少し強めの風が吹き始め、その流れに沿って鉄を感じさせる匂いが千鶴の鼻孔を突いてきた。
「あそこの茶屋で雨宿りをするぞ」
「で、でも、まだ雨は降ってないですから先を歩きましょうよ」
「この先には雨宿りできる場所は少ない」
風間は千鶴の意見を突っぱねると手を握り締めて、目の前にある茶屋に飛び込んでいった。と、同時に、その厚い雲からは大粒の雨が降り始めていた。
「かなり降りましたね」
ようやく雨も止み、再び歩き始めた風間と千鶴。雨宿りをしていた茶屋には、鬼の仲間である忍びの者が待機していた。
歩いて行く最中に茶屋は多く点在していた。と、いう事は、風間はその忍びとの待ち合わせがあの茶屋であったのだという事である。それに、その忍びは風間に大きな巾着袋を渡していた。つまりあの茶屋は、これからの旅費の受け渡し場所であった訳である。
「忍びの者との待ち合わせ場所だったんなら、そう言って下されば良かったのに……」
千鶴がポリポリという音を口元から放ちながら風間に問いかける。その茶屋で雨宿りをしている間、千鶴はあるものを見つけていた。それは、この庄野宿の名物である小さな米俵に詰められた焼き米であった。
この焼き米は、米を籾のまま煎り上げて押しつぶした後で籾殻を除いたもので、そのまま食する事もでき、湯を注いで食べる事もできる保存食でもあった。
「全く、お前はそういうものを見るとすぐに涎を垂らす癖があるな」
「涎なんか垂れていません。美味しそうだなって見ていただけですし、買って下さいなんて一言も言っていません」
風間が旅費の入った巾着を受け取って千鶴の方に振り向くと、そこには口をだらしなく開けて小さな米俵を見つめている姿が視界に入った。
欲しいのか?
と聞いてみると、風間の方に振り向いた千鶴が輝いた笑顔を浮かばせる。その笑みを見た瞬間に、風間は茶屋の主に小さな米俵の金を払ってしまっていたのであった――。
庄野宿を過ぎ、亀山宿へと歩いて行く。長い上り坂を歩いて行くと亀山の町並みが見えてきた。
亀山宿は、江戸時代石川主殿頭(とものかみ)六万石の小さな城下町であり、宿場としては規模が小さい。その中の亀山城は粉蝶(こちょう)城と称される程の華麗な姿を旅人達に見せていた。二人は亀山神社などを巡りながら先を歩いて行った。
「千景さん、今日はどこまで歩くんですか?」
千鶴の質問はどこへやら――風間は、千鶴の口元から自分の下の名前を呼ばれた事に頬を緩める。
「ふっ……やっと俺の下の名を呼ぶのにも慣れてきたようだな」
「あの、質問の返事の意味が全く異なっているんですけど……」
すると、千鶴の問い掛けの言葉はしっかりと聞いていたのだろう。今度の風間は、千鶴のそれに対する返事をしていた。
「今日はここで泊まる。鈴鹿峠を控えているからな。あの峠も難所の一つだ。今宵は亀山宿で体力を蓄えておけよ」
「峠ですか……。いくら春が近付いてきているとはいえまだ寒いですから、山の上はもっと寒いんでしょうね」
両手に温かい息を吹きかけながら歩く千鶴。春だというのに今日はいつにも増して特に冷え込みも厳しかった。風間と千鶴が江戸を出立してからひと月が経とうとしていた。
もう暦の上では如月である。
「俺たちの住む西の鬼の里は南方だから春も早い。寒がりのお前にとっては打って付けの場所だ」
西の里がすぐ目の前にあるような風間の言葉に、千鶴が柔らかい笑みを浮かべた。
「江戸の冬も寒くて辛いものがありましたから暖かいのは好きです。西国と東国の暖かさはそんなに違うんですね」
「春は西からやって来る。しかし、長い間東国で暮らしていたお前がそんなにも寒がりとはな。普通は住み慣れた土地の気候に順応するものだが……。お前は変わっているのか?」
風間は変なものでも見るような目付きでマジマジと見つめてくる為、千鶴の顔は怒りを起こさせながら反論をしていた。
「変ではないですよ。鬼にも人間にも持って生まれた体質っていうものがあるんです。私は小さい頃から寒がりでしたし……」
「俺が今まで出会った鬼の仲間たちの中には、お前ほどの寒がりな奴はいなかったな」
風間の最後の言葉に千鶴は頬を大きく膨らませて、
「もう! 放っておいて下さい!」
とプンプンしながら歩いているが、寒さの為か少し身体を丸く屈め、相も変わらず両手には温かい息を吹き続けている。それを見た風間にちょっとしたからかい心が湧き出てくる。いきなり千鶴の両手を掴み上げ、軽く自分の暖かい息を吹きかけた。すると予想通り。千鶴の顔は一瞬にしてボッと炎のような赤色が燃え出した。
「な、ななな何するんですかっ!?」
「顔だけかもしれんが温もったのではないか?」
「もうっ! からかうのもいい加減にして下さい!」
面白そうに小さな声を立てて笑う風間と、恥ずかしさの余りに顔を真っ赤にさせながらも怒り続ける千鶴はその日、亀山宿で身体を休める事となった。
夜、風間に抱かれて眠ろうとした千鶴ではあったが、なかなか寝付く事ができない。風間に印をつけられた箇所が燃えるように熱いのがその理由だ。
私は千景さんにどうされたいのだろう?
脳裏に疑問符を浮かび上がらせた千鶴の両手が自然と風間の背に回される。その仕草に驚いた風間が閉じていた両目を大きく見開かせた。
「どうしたのだ、千鶴?」
「い、いえ……何かこうしてみたいと思っただけです……」
千鶴の徐々に変化し始める行動に風間が満足げな笑みを浮かべる。そして抱き返した風間は、千鶴の額に自分の唇を押し付けながら、再び両瞼をゆっくりと閉じるのであった――。
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