逆鱗に触れる


ドォン、と大きな音が聞こえ、ぐらりと船が揺れた。


「……何、今の。」
「何か爆発したような音がしたわねぇ。」


船内の奥にある書庫。
そこへナマエはナースの一人と本を取りに来ていた。
目的の本を二人で探していた……その最中の爆発音。

恐らく、別の海賊に襲撃されたのだろうとナースは表情を引き締める。

ならば、非戦闘員である自分たちは早く白ひげの所へ行かなければならない。
戦闘が始まった際、戦えない者たちは白ひげの所へ集まることになっているのだ。


「お母さん、行きましょう!」
「えぇ、急がないと……。」


そう言って、ナースはナマエの手を取り、慌てて書庫を出た。
……その時だった。


「こんなところにいたのか!」
「さぁ、早く非難するぞ!」


廊下にいたのは3人の男。
自分たちを探しに来てくれた船員なのだろうか?
“助かった”なんて、ナースがその船員たちの後へ着いて行こうとすると……。

ピタリ、とナマエが足を止めた。

必然的に、手を繋いでいたナースの足も止まる。


「……お母さん?」
「おい!早くしろ!!」
「甲板じゃもう戦闘が始まってるんだぞ!」


船員に急かされてもなお、動こうとしないナマエ。
ナースが振り返れば、じっと3人の船員を見つめるナマエの姿。
その顔に笑みはなく、ナマエにしてはむしろ鋭ささえ覚える。

そんな奏を、ナースが困惑したような表情でみていると……。
一拍おいた後、ナマエはにっこりと笑みを浮かべ小首をかしげた。


「……貴方たちは誰かしらねぇ?」
「―――……え?」


ナースが驚いたような顔を浮かべ、船員たちは……ニィと笑う。


「……何言ってんだ“オフクロ”。息子の顔忘れちまったのか?」
「あらあら、残念だけれど……あなたは私の息子じゃないでしょう?」


“母親が、息子の顔を見間違える何てことあり得ないもの。”
そう言って笑うナマエに……。
ただ、ひたすらナースは驚いたように目を見開いた。
白ひげの船には約1600人の戦闘員が乗っている。

ナマエは、その全員の名前と顔を覚えた上で“息子”と呼んでいるのだ。

全員を同じように愛し、慈しむ様に一人一人の成長を見守っているナマエ。
そのナマエが“息子”である彼らを見間違うはずがない。
ならば、この男たちは……?


「……これだけ大所帯なんだ、バレねぇと思ったんだが……。」
「流石、白ひげの“奥方”だけはあるなぁ。」


ニヤニヤと、笑みを浮かべた男たちの手には、ギラリと光る刃。
迷うことなく自分たちに向けられたソレに、ナースが息をのむ。
まさか、敵船のクルーがここまで潜り込んでいただなんて、と。


「さぁ、そっちの綺麗なナースを殺されたくなけりゃ……一緒に来てもらおうか?」


狼狽えたナースを庇うようにして一歩前にでたナマエ。

その姿は……白ひげの名に恥じぬよう、凛としていた。










逆鱗に触れる










敵に連れられ、ナースとナマエは甲板へと連れてこられた。
白刃が舞い、銃弾が飛び交う戦場と化したモビー・ディックの甲板。
眼をぎらつかせた男たちが命の削り合いをしている場所。

ただ、やはりというべきか。
その甲板に倒れているのは敵船の男達ばかりで。
ソレを見て、船内から出てきた男はチッと舌を打つ。

最初から実力の差などは解っていた。
四皇と恐れられる白ひげだ、簡単には崩せない。

だからこそ、ナマエを捕えた。

噂に聞く、白ひげの妻。
あの白ひげが溺愛しているという女。
その女を盾にすれば、きっと手も足も出ないだろう。
……なんて、そんな甘い考え。


「オラ!行くぞ!!」
「……っ!」
「大丈夫よ、もう少しの辛抱だからねぇ。」
「お母さん……。」


後ろ手に縛られ、首元にナイフを突きつけられた状態で甲板を歩きだす。
下手に動けば、その磨き上げられたナイフがいとも簡単に喉を斬り裂いてしまうだろう。

船べりに沿うように歩いて行けば、もちろん戦っている人間の眼にも止まるわけで。


「……っおふくろ!?それにナースか!?」


それにいち早く気付いたのは、一番近くで戦っていたジョズ。
驚いたような声に、白ひげの船員たちがバッとそちらへと振り向いた。
皆が一様に目を丸くさせる。


「な……っマジか!!」
「おふくろ!!」
「おい、ナースもいるぞ!」
「てめぇらぁあ!!何してやがんだ!!」


ざわり、と白ひげの船員たちの間に動揺が走る。
無論、隊長格の人間もそれに気付くわけで。
捕えられたナマエとナースを見て…ぶわり、と広がったのは殺気と覇気。

ナマエとナースと捕える男たちを睨み付ける目には……憤怒の色が見えた。


「動くなよ!!動けば殺す!!」


チャキッ、とナマエの頭に当てたのは銃口。
ナースはそれに動揺し、白ひげの船員たちはグッと歯を食いしばる。
徐々に、喧騒が止んでいく。


「ははっ……お前が白ひげの女に違いないみてぇだなぁ。」
「……えぇ、そうですよ。だから、この子は離してあげてくれませんか?」
「お、お母さん!!何言ってるのよ!」


にこり、とこの場においても笑顔を浮かべていられるのは流石白ひげの妻というべきか。
少しも動揺していないそのナマエの姿に、ぴくりと眉を動かしたのは敵船の男で。
余裕、といったナマエの態度が気に入らないのだろう。
グリッと銃口をさらに強くおしつけた。

男のその行動に、更に殺気が充満する。


「……おい、ババア。口の利き方に気を付けろ。すぐに殺してやっても良いんだぞ?」
「私は丁寧にお願いしたつもりですよ。この子を離してくれないかしらねぇ。」
「っお母さんに何かしたら許さないわよ!!」
「黙れクソ女ぁ!!」


少しだけ、ナースの喉元に突き付けられたナイフが皮膚に触れる。
血こそ出ていないものの、もう少しでも動けばその綺麗な肌に傷がついてしまうだろう。
ソレを見たナマエがいささか眉を顰め……もう一度、男へと声を発した。


「やめてくださいな。人質なら私一人で良いでしょう?」
「うるせぇなぁ……いい加減黙れババア!!」
「!」


ガッ、と。
男が拳銃の柄でナマエの頭を殴りつける。
横殴りにされたソレはナマエの側頭部へと強くあたり……。
その軽い体が吹き飛ばされる。


「お母さん!!」
「……っ。」


船べりへと体を打ち付け、くたりと動かなくなったナマエ。

ナースが悲鳴のように声を上げて、男の腕を振りほどいてナマエへと駆け寄る。
ぽろぽろと溢れる涙を拭うこともせず、すぐに診断を始めた。

そんな二人の姿に、ハッと嘲笑を浮かべたのはナマエを殴りつけた男。


その時、男は気付いた。


戦場と化していたモビー・ディックの甲板が、静かになっていることに。
一切の音が無くなり、聞こえるのは波の音だけという静寂。

不思議に思い、あたりを見廻せば……ジッと、白ひげの船員たちが行動を停止させ、こちらを見据えていた。

白ひげの船員たちの行動を停止させることに成功した。
そのことに一瞬笑みを浮かべたものの……その表情はすぐに怪訝な物へと変わる。


その隊長を含む船員たちは……誰一人、絶望した表情をしていないのだ。


人質を取られたなら。
狼狽えたり、顔を青ざめたり……普通ならばそうなるはずなのに……。
誰一人動揺することなく、ただ只管ジッと、自分たちを見据えている。
怒りの表情を浮かべる訳でもない、全員がまるで感情が抜け落ちたかのような無表情で。
ただ、その瞳だけが異様なほどギラギラと光っている。

……暗闇の中でヒタリと獣に見据えられているかのようだ。


「な、なんだよ……。」
「……てめぇ、やっちゃいけねぇことをしちまったねい。」


マルコが、ぽつりとつぶやく様に声を発した。
無表情に徹したまま、その眼だけをギラつかせて。


「何を……。」
「手を出した。」


ドン、と。
船が大きく縦に揺れた。
モビーを中心に、海が波紋を広げる。

ひっ!と、声を上げたのは男の仲間。

ドン…ドン…ドン、と。
ゆっくりと、一定の間隔をあけて響く地鳴り。
まるで足音の様なソレは、徐々に甲板へと近づいてくる。


「な、なん……」
「この船でもっとも尊いものに。」
「は……?」
「この船で、一番大事されてる者に。」
「一体、なんの……。」

「手ぇ、出しちまったなぁ……。」


ニィ、と……その口元が歪み、いびつな笑みを作る。
それはまるで、無理矢理に怒りを押し込めたような。
今にも理性が飛んでしまいそうになるのを、無理に押し留めているような。
それはマルコだけではない。
他の隊長格の人間も、同じように男を見据え……歪な笑みを浮かべている。
ぞくり、と男の背を走った悪寒。

ドン…ドン…ドン。その間も音はどんどん近づいてくる。

ブルリ、と。
この異様な光景に、カタカタと男の体が震えはじめた。
本能で感じ取った恐怖。
違う。この音は“足音の様な”じゃない。
まるで地鳴りのようなコレは……本当に、足音なのだ。

ギィ、と船内へ続く大きな扉が開く。


「冥土の土産に教えてやろうか?」
「……っ。」
「てめぇが手を出したのは……。」
「あ……あ、ぁ……っ。」
「親父の、唯一無二の“宝”だよい。」


ズドン、と甲板へと足を踏み出す。
それだけで、船が、海が揺れる。

ぬっと。その扉から顔を出したのは……“世界最強の男”。

老いても尚、その威厳衰えぬ“白ひげ”。


「……し……しろ、ひ……。」
「……。」


倒れて気絶したナマエを見つけた目が、きゅうと細くなる。
次いで、ぶわり、と溢れだしたのは重い覇気。

そんな白ひげを目の前に。
ガタガタと男の体の震えが止まらない。

全てにおいて、格が違う。
自分が、手を出して良い相手ではなかった。

そうやって後悔しても……もう、遅い。





「……俺の“宝”に手ぇ出した奴ぁ、誰だ……?」





白ひげの……瞳孔の開いた目が。
ぎょろり、と男を見下ろした。















(……ん……?)
(起きたか。)
(あなた……?)
(どこか痛むところはねぇか?)
(……えぇ、大丈夫ですよ。あぁ、あの子は……。)
(……安心しろ、ナースなら怪我一つねぇよ。)
(嗚呼、よかった……。)
(グラララ……ったく、肝が冷えたぜ。)
(ふふ……ごめんなさい、あなた。)

白ひげの“宝”。
決して触れてはならないもの。

触れることを許されたのは。
彼の子供たちだけ。


逆鱗に触れる END
2015/04/20



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ゆめうつつ