君の優しさが掴めない


 



「(あ、死にたい)」




僕の鬱は定期的にやって来る。


ふと、なんとなく、自然に「死にたい」と思うことが度々ある。
眠いとか腹減ったとか、そういうのと同じような感覚で死にたいと感じることがある。

自分がこの世界で底辺にいることは前から知ってたし自分のことをゴミだとも思っている。
生きる気力は特にない。生きたいとも思わない。なんで生まれてきたのかもよく分からない。
とはいえ未だにこの通りピンピンしてるので、実際に死ぬことを試みたことはないし死んでもいない。死んだところでそれはそれで迷惑がかかることを知っている。
生きてても迷惑、死んでも迷惑。今すごく死にたいけど、死ぬことはできない。


この発作が出たら僕はとりあえずその辺をうろつく。で、路地裏にいる猫に構ってもらう。
撫でているうちにある程度は落ち着くから、そうしたら家に帰る。

でも最近、親友の猫以外で無意識に探している人がいる。




「(留衣、…)」




唯一、家族以外で心の拠り所である人間。唯一、この発作の時に一緒にいてくれる人。
留衣は優しいから、こんなやつの隣にも黙って座っていてくれる。時々撫でてくれて、その手が本当に落ち着くのだ。

最初に発作がバレて以来ずっとこの人にどうにかしてもらっている。こんなゴミの世話、頼んだって留衣くらいしか引き受けてくれないだろう。




「(確かそろそろこの道を……)」



――来た。


曜日を確認して、留衣の帰る時間からここを通る時間を逆算して彼女を待つ。
完全に末期。軽いストーカー。自覚はある。

留衣が家に来ている時だったら良かったけど、今日は違ったからこちらから偶然を装って出くわしに行くしかない。




『あれ、一松じゃん』


「…どーも」




滅多に出歩かない自分とこんな道のど真ん中で出会うなんて偶然が出来すぎている。留衣は気付いてるんだかいないんだか知らないが、今のところは気付いてなさそうな素振りを見せる。

自宅へ帰る共通の道を二人で並んで歩く。他には誰も通らない、寂れた細い道。
「猫でも見に行ってたの」と笑う留衣には適当に頷いておいた。




『一松も帰るんだよね?じゃあここで、』


「……待って」




ここから先は分かれ道。バイバイと言いかけた留衣の服を掴んで引き止める。




「行かないで……」




ぎゅっと掴んだ留衣の服にしわが寄った。
留衣の顔を見ることができなくて、俯いた状態で返事を待つ。

いくら引き止めたいからってそこまでする必要はないのに、
なんでだろう、涙が勝手に零れて地面へと落ちていく。




『ウチおいで、一松』




ぽんぽんと頭を撫でられたので顔を上げた。
留衣は僕と手を繋ぐと、ゆっくりと彼女の家に向かって歩き始める。

泣きながら歩く僕と、それを引っ張る留衣。
本当、成人済みの男のくせして情けない。




――




『落ち着いたね』




留衣の家に上がってそのまんま部屋に一直線、留衣に縋ってひたすら気の済むまで泣く。
その間ずっと背中をさすってくれたり頭を撫でてくれたりしながら、留衣は僕が落ち着くのを待つ。
嫌がる素振り一つ見せずにこの一連の流れを毎回こなしてくれるものだから、甘えてしまうのも正直仕方ないと思うこともあって。




「……僕って何で生きてると思う?」


『うーん、わたしも自分が何で生きてんのかよく分かんないしなぁ』


「留衣もなんとなく生きてるの?」


『そうだねぇ、生きてるから生きてるって感じ。でも死にたいとは思わないよ。
一松が死にたいって思うなら、生きたいって思える理由があるといいんだけどね』


「………、」




生きたいと、思える理由


何かを言いかけて、でも躊躇って口を閉じる。
そんな僕を横目に見ていた留衣が、思い出したようにポケットからケータイを取り出した。




『そうだ!最近この近くに猫カフェがオープンしたんだよ!ちょうど一松に見せようと思ってたとこだったんだ〜。
一松猫好きだからこれどう?これ行けるなら生きたいって思わない?』




「わたしが奢っちゃる」と言って笑う留衣が渡してきたケータイの画面には、“猫カフェ”とやらの店内の写真が表示されていた。
タッチパネルを操作してスクロールしながらそれを眺める。その辺にいる野良猫とは違って、綺麗に手入れされて可愛らしい首輪をしている猫達。




「…連れてってくれるの?」


『いいぞ〜、わたし一松のためなら頑張ってお金貯める!あっでも毎日はキツい』




泣いていたせいで腫れぼったい目を擦っていたら「あんまり擦ると赤くなるよ」と言われた。
伸びてきた細い指が僕の目元を軽く拭う。指先が冷えていたのか、少しだけひんやりした。


この人、本気で猫カフェが僕の生きる理由になると思っているんだろうか。まあ実際、冗談半分なところもあるだろうけど。
猫は大好きだし猫カフェも行ってみたいけど、そのために生き続けられるなら今こんな発作は起きていない。

生きたいと思える理由。生きたいって考えたことがあまりないから難しい。
でも、“死にたくない”理由ならさっきなんとなく思い浮かんだ。




「留衣と一緒に、これからも行けるんなら……多分、生きたいって…思う」




だんだん細くなっていく声。目が合わせられない。
さっき言いかけてやめた言葉を、思い切って伝えたつもりだった。


それなのに、留衣は。




『じゃ〜決まりだね!今度空いてる日教えてね〜』


「…はぁ……。留衣、俺の言いたいこと分かってないでしょ」


『ん?』


「……。
別に猫カフェじゃなくてもいいの。僕は留衣と一緒にいれるならどこでもいいって、そう言ってるの!」


『…ほー、つまりそれはわたしが生きる理由ですってか』


「引いた?」


『いや?むしろ嬉しいよ』


「!」




こっちはいっぱいいっぱいなのに、全然態度を崩さない上にさらりとそう言いのけた留衣に呆然とする。この人、本当に分かってるんだろうか。




「……自分が他人の生きる理由とか、重くない?留衣はなんでそう…簡単に喜んじゃうかな」


『誰かの生きる糧になれるなんて光栄だと思うけどね。しかも一松でしょ?わたしめっちゃ喜ぶわ』


「………」


『で、わたしはそれを生きる糧にすればいいわけでしょ。わたしの生きる理由もできたね!まさにウィンウィン!
名案だよ一松〜!』


「……ほんっと留衣って分からない。こんなゴミを糧にしてどうすんの」


『ゴミでもなんでも一松はかわいいからそれでいいです〜』


「事あるごとに僕をかわいいって言うのやめてくれる…」


『一松はいつでもかわいいよ!』


「………、もういい」




ぐりぐり撫で回してくる留衣が本当に嬉しそうにするものだから、とても頑張って告白したこちらとしては拍子抜け以外の何物でもない。

こんなゴミのために時間を浪費して、挙句そのゴミの生きる理由に抜擢されて喜んじゃうなんて。留衣も違う意味でどうかしてる。
容赦のないその優しさが僕をどんどん沼底へ落としていく。いっそのこと、その限界すら知りたくなってきた。




「アンタが死んだら追いかけるからね、留衣」




思っていたよりも低い声が出た。

これにはさすがの留衣の顔も引き攣るだろうと思ったのに、彼女は「じゃあ長生きしないとねぇ」なんて能天気な返事を寄越しただけだった。






君の優しさが掴めない


(この日から、発作の症状が軽くなった)
(でもこの人がいなくなったら、どうなるんだろう)




END.






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