1


 



『おはよう、一松』


「お、はよ……」




この人と待ち合わせるといつも心臓が飛び出そうになる。


前から約束していた猫カフェへ行くことになった。
毎日昼にだらだら起きて活動を始めるこの兄弟の中では、誰かが朝早くから出かけるなんてまず有り得ない。特に、猫と戯れるくらいしかやることのない僕みたいな人間は。

だから目覚ましをセットして寝る時点で今日のことがバレた。僕が早起きする理由なんてほぼ確実に留衣が絡んでいる。
仕方なく昨晩の時点で正直に全部吐いてきた。変に隠して着いてこられても困るし。




「おい留衣!今度俺ともデートしてくれよ〜!」


『分かった分かった』




待ち合わせは家の前。バレるのが前提の待ち合わせ場所。
誰も着いてこないのを確認するというのも兼ねている。やはりというか、おそ松兄さんが窓から叫んだのを皮切りに残りの兄弟も似たような事を叫んでいた。

僕のせいでしばらく忙しくなるであろう留衣は特にそれを気にする様子もなく、慣れたように手をひらりと振り返す。
他の兄弟とも二人で出かけることくらいざらにある留衣だから今更だとは思うけど、妬いていないと言えば嘘になる。それでも、今日留衣のことを独り占めできることには違いないから、今は気にしない。




『今日は90分のコースを予約してるんだ』




留衣が歩きながら隣で説明を始めるけど、今日の留衣が特別可愛いのでそっちにばかり気が向いてあんまり内容が頭に入ってこない。留衣はズボンを履いていることが多いから、こういうリボンのついたワンピースといった服装は見慣れていない。どうしよう、めちゃくちゃ可愛いんですけど。

何より、その可愛すぎる留衣が僕のためにわざわざ時間を空けて支度をして、更には店の予約までしてくれたことが身に余るほどの幸せだった。




「……手、繋ぎたい」


『いいよ』




幸せに幸せを重ねる。留衣は優しいから、こんな僕の頼みでも無理難題を言わない限りは全て快諾してくれる。
距離が縮まったからか、留衣からふわりと甘い香りがした。香水だろうか。
揺れる睫毛は長い。自分の隣に並ばせるには勿体無いと分かっているけど、留衣の優しさに甘えたい気持ちの方が大きい。

スマホで道を確認しながら歩く留衣にただただ着いて行く。電車で隣の駅に移動してしばらく歩いたところに目的地はあった。




「いらっしゃいませ!」


『予約してた木下です』




カラン、とドアに付いていた鈴が鳴った。気付いた店員が出迎えてくれる。

店に入るとすぐ、ここの“売り”が目に入った。




『可愛い〜!!一松!猫いっぱいいる!!』


「…思ったよりたくさんいるんだね」




店内には猫、猫、猫。軽く10匹はいるであろう猫達が店のあちこちにいた。
猫カフェは以前から気になってはいたものの一人で行く勇気がなかったため今回が初めて。留衣も来たことがないと言っていた。
見るからにはしゃいでいる留衣とそこまで顔には出せない僕、対照的だけど気持ちは似ているはず。


テーブルに案内されてメニューを渡される。
向かい合わせに座った留衣が「好きなもの頼んで」と笑った。




『どうしたの?』


「……いや、別に」




留衣と繋いでいた方の手を眺めていたら留衣に首を傾げられた。留衣の手と僕の手がくっついて離れなくなっちゃえばいいのに、なんて毎回手を離すときにそう思う。末期だろうか。

店内の猫はさすがにお店のウリにされているだけあって、どの子も綺麗に手入れされていた。いつも僕が構っている路地裏の猫とは違う。
猫に負担が掛からない程度なら一緒に遊べるとのことなので、注文した品が届くまで遊ぼうと言う留衣。留衣の隣に屈んだら、早速猫が寄ってきた。




「…よしよし」


『さすが一松、手慣れてるねえ』


「そんなことない…ほら、留衣のとこにも来るだろ」




カフェにいるせいかどの猫も人懐っこい。留衣のそばにも猫が寄ってきた。
目をハートにして猫を撫でる留衣と気持ちよさそうにゴロゴロと鳴く猫を交互に見る。
撫でる人間と撫でられる猫、猫側に嫉妬したのは今回が初めてだった。




『美味しいもの食べながら猫眺められるなんて幸せだねえ』


「…うん」


『来て良かった?』


「そりゃそうでしょ」


『はは、連れて来た甲斐があったよ』




頼んでいた食事と飲み物が届いたのを見て席に戻る。目の前で、心底嬉しそうに笑う留衣。
この人は、なんでこう、そういう顔をするかな。僕なんかに向かって。




『あ、にゃんこ。一松の足元』


「ん…悪いけどあげられるものはないよ…」


『…ふふ』


「……、留衣も遊んで来たら?」




――アンタの金なんだからアンタが楽しまないと意味ないでしょ。
猫を撫でる僕を見て笑う留衣に照れ隠しでそう言ったら、彼女が「せっかくだしそうしようかな」と立ち上がる。


視線の先で、留衣の動かす猫じゃらしを捕まえようと前足を伸ばす猫。
同じことをしてるはずなのにどうしてこうも留衣がやると可愛いのだろう。たぶんずっと見ていても飽きないと思う。
できるのならみんなまとめて持って帰りたい。将来、留衣と一緒に猫を飼って暮らしたいなあ、なんて。




「お客様」


「………」


「お客様!」


「…!!えっ、あ、はい?」


「ご注文のケーキです、どうぞ。
…ふふ、彼女さんに見惚れてたんですね」


「えっ、いやあの…」




猫と遊んでいる留衣をぼうっと眺めていたら店員に気付かなかった。
指摘されて思わず顔が熱くなる。




「留衣は彼女じゃなくて…俺なんかには、勿体無いし…」


「あら、てっきりカップルかと。その様子だと片想い中なんですか?」


「……まあそんなとこです」


「でも脈アリみたいですね、頑張ってください!」


「へ?いや、そんなことは…」


「女の子って、好きでもない男の人とそう簡単に二人で出かけないですよ?
そうだ、一緒にお写真でもどうです?私が撮って差し上げますから」


「え…ちょ、」




若い女性の店員は戸惑う僕に構わずに留衣に声をかけに行った。留衣も留衣で喜んでスマホを差し出して、僕の腕を引っ張る。
二人して俺の意見は無視ですか、そうですか。でも満更でもない。猫を抱っこしてピースをする留衣の横で、僕も控えめにピース。




『一松がピースしてくれるなんて珍しーい』


「…アンタに合わせただけ」


『ねえ、一松と猫のツーショットもくれない?』


「はあ?」




抱いていた猫を僕に渡すと、留衣はスマホを構える。僕みたいなゴミを撮ってどうするんだか知らないけど、にこにこと笑う留衣には勝てなかった。




『はーいピースして〜』


「やだよ…」


『さっきしてたじゃん!ほら早く〜』


「………」


『おっけ!はい笑って一松〜!』




注文が多いと心の中で悪態をつきながらもとりあえず応える。笑うことはできなかったけど、留衣は「可愛く撮れた」と満足そうにスマホを眺めた。




『これ待受にしよ〜』


「は!?ちょっ、聞いてない…!」


『一松めっちゃ可愛いよ?大丈夫!』


「全然大丈夫じゃないから!こんなゴミ待受にすんな…!!」




スマホを奪うべく留衣ともめる。よりによって留衣のスマホの待受だなんてとんでもない、恥ずかしさと申し訳なさとその他諸々でもれなく僕が死ぬ。
「せめてさっきの二人で撮った方にして」と妥協案で乗り切ろうとした。




『こっち?』


「そうそれ…、……!」




ひとつ手前で店員に撮ってもらった写真を見せてくる留衣。その写真を見てとあることに気付いたけど、気にしない素振りをする。

溜め息を吐いて「そっちにしてよ」と言ったら、「待受にわたしは要らないんだけどなあ」とぼやく留衣。僕こそ要らないでしょ。
一連の流れを見ていたらしいさっきの店員が、隙を見計らってこっそり僕に耳打ちする。




「すっごく良い感じじゃないですか」


「……ありがとうございます」




ウインクをして去っていく店員。一応、いつもこんな感じなんですけどね。

「ケーキ来たよ」と伝えたら留衣が目を輝かせて席に向かったのでその後を追う。
僕が幸せになれるとしたらこの人の隣しかないんだと、名も知らぬ店員のお節介で改めて思い知った。






君の隣で 
僕は笑えていた



(俺、アンタの隣だとあんな顔してるんだ)




END.






<<prev  next>>
back