いのち


 



今日は珍しく、騒がしくないと思ったら。




「一松兄さんの猫が死んじゃったんだって」


『…そうなの』


「だから今日はウチ来ない方が良いかもよ。兄さん、すっごく落ち込んでるから」




学校の帰り道、いつものように六つ子の家に寄ろうとしたところでトド松に出くわす。
私を見つけるなりぱあっと明るくなる彼が、今日はそうじゃなかった。


一松の可愛がっていた猫が死んだらしい。
帰宅した彼の服がやたらと汚れていたので理由を聞いたら、路地裏で猫が死んでいるのを見つけたから空き地に埋めてきたと。
見るからに落ち込んでいる様子だったためそっとしておこうと兄弟の中で話がまとまり、今は家に一松しかいないらしい。

持っていく予定だったお菓子を入れた袋を手に、くるりと体を反転させる。
空き地の場所はわかる。行く場所はその時点ですでに決めていた。




――




『一松、いる?』




数十分後。私は再び松野家を訪れた。




「いる、けど」


『入ってもいい?』


「…うん」




お母さんにドアを開けてもらって、一松のいる部屋へ。
いきなり入るわけにもいかず、ノックをしてから襖を開ける。

部屋にはソファーに寝転がった一松がいただけだった。他には誰もいない。




「それ…」


『トド松から話聞いてたから。勝手にごめんね』




私の手にはお菓子ではなく、花束。
一松の友達にあげようと思って買ってきたものだった。
それを見るなり体を起こす一松の目は赤い。




「…わざわざ買ってきたの?」


『まあね。空き地ってあそこの空き地でしょ?
埋めたとこって見ればわかる?』


「……俺も、行く」




着替えたのだろうか、服が汚れている様子はない。
のろのろと起き上がった一松は私の手を握って、そのまま一緒に家を出た。




――




「…ここ」




空き地に着くなり、一箇所だけ不自然に土が盛り上がっているところを一松は指さした。
周りには特に何もない。季節柄、花も咲いていない。

持っていた花束をそこに置く。人間の墓のように花を供える場所なんてなかったから、ただただ地面に置いただけだった。
しゃがみこんで手を合わせる。


一松が猫のことで落ち込んで、兄弟にまでそれが伝わっていたのは記憶の限り今回が初めてだ。
彼は野良猫を可愛がっているから、身近にいた猫が死ぬという経験はこれが初めてではないと思う。
だからこそこんな事態になっているのは何か理由があるんだろうと思って、私は花まで買ってきた。

思い違いならそれはそれで別にいい。
でも、彼の目は明らかに泣き腫らしていた。




「ありがとう留衣…花って、高いんでしょ?」


『そうでもないよ』


「…こいつね、子猫の頃から知ってたんだ」




隣にしゃがんだ一松が、ぽつりぽつりと話し出した。


小さい頃に可愛がっていた野良猫が産んだのがこの猫。
産まれた瞬間は見ていないけど、あるとき母親となったその猫が連れてきたときから知っている。

母猫はそれから間もなくして死んでしまったけど、代わりに子猫が懐いてくれた。
母親の代わりに育ててみせると、子供ながらにそう思ったらしい。




「母さんは俺が猫を可愛がってたの知ってたからそれとなく協力してくれたよ。
さすがにこの年になって猫しか友達がいなくなるなんて思ってなかっただろうけどね」




ひひ、と一松は笑ったけど、目が笑っていないことくらいすぐにわかった。

野良猫の寿命は約10年。飼い猫と比べるとやはり短い。
平均寿命に比べれば長生きした方だと彼は言った。事故で死ななくて良かったとも言った。
その後黙り込んだから何も言わずに頭を撫でたら、彼はぼろぼろと泣き始めた。




「留衣の前だから、言うけど…っ、僕にとっては、こいつは、親友だったから、」


『うん』


「あんなにずっと一緒にいたのに、俺は猫じゃないから、話を聞くこともできなくて、
だんだん弱ってくこいつ見ても、どこが悪いとかどこが痛いとか、何もわからなくて、」


『うん』


「医者に行って診てもらったけど、老衰だから仕方がないって言われて。
最後くらい何かしてやりたかったんだけど、何して欲しいかなんてわからなくて、…ああ俺、友達なのに何もできないんだって思って」




――そもそも、こいつが俺のことを友達だと思ってたかなんてわからないけど。
泣きながら話す一松の背中をさする。




『何もできないのは、人間も同じだと思う』


「!」


『現にわたしには、今の一松を癒す術がない』


「…!」




涙を零しながら、一松がこちらを見る。


一松の悲しみを取り除けるのは、きっと目の前に眠っている“友達”しかいない。
そして私は、その死んだ“友達”の代わりにはなれない。生き返らせることもできない。どうやっても、だ。




『言葉が通じたところでどうにもならないよ。
仮に一松が猫でこの子の言葉がわかったとしても、どうにもならないことだってあるよ』


「……」


『むしろさ、』




弱ったこの子を医者に連れて行ったりとか、
エサを買ってきてあげたりとか、
頭を撫でてあげたりとか、

今こうして、お墓を作ってあげたりとか。




『そういうことは、一松が人間だからこそできたんじゃない?』


「…うん」


『どっちにしてもこの子は幸せだったと思うよ。だって一松に懐いてたんでしょ?
ずっと先だとは思うけど、また会えるよ』




ぽんぽんと頭を撫でたら、一松は「そうだといいな」と笑った。
作り笑いじゃないことくらい、見ればわかった。




『そろそろ帰ろうか?寒くなってきたから』


「…俺はね、留衣」


『うん?』


「ずっと猫になりたいって思ってたけど、…今も思ってるけど。
最近、人間で良かったって思うんだよ」


『そうなの?』




立ち上がろうとしたところへ割り込むようにして一松が話し始める。
知り合った当初から猫になりたいと言い続けてきた彼らしくない話だった。

唐突に始まったそれに耳を傾ければ、彼は柔らかく笑う。




「アンタと、長くいられるから。
10年でお別れなんて、僕、絶対に嫌だよ…」




――留衣は、すぐにはいなくならないでね。

縋るように背中にしがみつく彼がとても小さく見える。




『順調にいけばあと50年は一緒にいられるよ』


「うん、うん……」


『…だから泣かないで、一松』




そんなにしがみつかなくても、私はここからいなくならないから。






いのち

(飽きるほど隣にいるよ)




END.








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