彼の名前の半分はエンジェルで出来ています
最初に見た時は変な人かと思った。
『…えっ、十四松?』
「あれっ!留衣さんじゃないっすか!」
「こんちわ!」と元気よく挨拶してきたのは、帰宅途中の道でちょうど目の前を横切ろうとしていた十四松だった。
別に私は十四松を“変な人”とは思わない。確かに彼からは初対面の時から多少ネジが飛んでいるような印象は受けていたが、見ただけで変な人だとは思わない。
瞬間的に“変な人”認定したのにはちゃんと訳がある。
『…なんでそんなびしょぬれなの?』
何故か彼が頭から靴の先まで全身ずぶ濡れだったからだ。
服はもちろん髪の毛からも水が滴っているし、その証拠に彼が通ってきた道にはボタボタと水が落ちた跡が残っている。
しかも格好は野球のユニフォームという、水とは特に関係のなさそうな服装。
なお、今の季節は春先であるとする。決して真夏ではない。
「川泳いでた!」
『ごめんちょっと意味が分からない…』
野球のユニフォームを着て手にはバットも持っているのに、どうして川を泳いでいたのだろうか。ボールが飛んでって川に落ちたから?とも思ったけど、それにしたってずぶ濡れが過ぎる。まるで海にでも入ってきたような濡れ方だ。
…いや、この際なんでずぶ濡れなのかの詳細は破棄しよう。十四松の言動が奇天烈なのは今に始まったことではない。どちらかというと、彼のこの後の方が重要だ。
『寒くないの?風邪引くよ?』
「言われてみれば、ちょっと寒い気がする!」
『言わんこっちゃない……ウチ寄ってく?シャワー浴びてけば?』
「いいんすか!?」
「やったー」と喜ぶ十四松の隣に並んだら、なんだか彼の服がドブ臭かった。まさかあのあんまり綺麗じゃない川を泳いでたんじゃあるまいな。十分有り得る話だけど。
玄関で脱げるものは脱いでもらって、タオルでできるだけ水分を取ってから十四松を風呂場に押し込む。
この年になって一人暮らしの自宅の風呂にこの年の男性を入らせることになるとは思わなかった。
『服は洗って乾燥機かけるけど、多分乾かないからタオルと一緒にジャージ置いとくね。下着はないけど服が乾くまで我慢してもらえる?』
「あざーっす!」
お風呂場からシャワーの音。当然、この家の風呂を私以外が使うのは十四松が初めてである。
まあ彼だからこそすんなり入れてあげたのだけども。他の兄弟だったら悩んでいるところだ。
第一、「お風呂入っていけば?」なんて言葉をまだ出会ってそんなに経っていない同年代の異性には普通言わない。十四松だから、お互いに変な疑いをしないと見越したわけで。
本を読みながら彼が上がるのを待っていたら、数十分後にお風呂場から十四松の声が聞こえた。
「留衣ー!!服ありがとー!!でもちょっとやばーい!!」
『やばい?入らなかった?』
「すげーギリギリで入ったー!けどち○こが丸わかりでやばーい!!」
『…あー……ごめん、もうそれ以上のサイズの服ないからその上からタオル巻いてくれる?』
「わかったー!!」
ドア越しに聞こえる十四松の声はくぐもっている。
「やばい」と形容される姿はなんとなく想像がついた。私にはぶかぶかなジャージを渡したつもりだったが、彼にはぱっつんぱっつんだったのだろう。仕方がない、私は女な上にチビで、対して十四松はかわいいけど男の人だし。
数分後にドアが開く音がして、腰部分にタオルを巻いた十四松が出てきた。
「おれ今めっちゃ変な格好してない!!?!?」
『大丈夫、わたししか見てない』
ジャージにタオル。普通に考えて変としか言いようがない。申し訳ないが、あと数時間の辛抱だ。
暇つぶしにテレビでも見ようか、なんて言いながらリモコンのボタンを押したけど、あんまり楽しそうな番組はやっていなかった。
『夕飯までには間に合うだろうから、ちょっと待っててね。…あ、髪乾かしてないね。ドライヤー持ってくるよ』
「お願いしやっす!」
そこそこの年齢の男性と自宅で二人きり。それでも全く抵抗がないのは、十四松の人柄が手伝っているのか。
初期から私にはとても懐いてくれてるし、自分も世話焼きだから彼の相手をするのは楽しい。
洗面所からドライヤーを持ってきて十四松を後ろ向きに座らせる。他の兄弟とお揃いの短髪は思っていた以上に柔らかくてびっくりした。
「あーーーー、ちょう気持ちいい〜〜」
『そう?』
「おれ今留衣と一緒の匂い!」
『? ああ、シャンプー?』
「うん!でも留衣、違う匂いもする」
髪を乾かし終えたと同時にくるりと反転して飛びついて来た十四松に一瞬驚く。持っていたドライヤーが床にぶつかってガタリと音を立てた。
彼が抱きついてくるのは常に突然で、今もそのタイミングはよく分かっていない。
「これ何の匂い?」
『んー?これ?』
「留衣からいい匂いする。でも、シャンプーじゃない」
『…ああ、香水かも』
「こーすい?」
首元に鼻を寄せる十四松の髪の毛が当たってくすぐったい。この年齢だとセクハラに当たると思うけど、彼だから何とも思わなかったしむしろ可愛かったから頭を撫でることしかしなかった。
“いい匂い”で思い当たるのはいつも朝に付けている香水くらい。正直、昨晩のシャンプーの香りなんて大して残っていないと思うけど。十四松は鼻が利くのだろうか。
「それ付けたら、おれも留衣とお揃いになれる?」
『まあ…なれるんじゃない?』
「おれ、それ欲しいなあ……」
すり寄ってくる十四松はまるで犬みたいだ。こういう時は普段の狂人っぷりは感じない。
香水を欲しがる十四松に、「いつか同じの買ってあげるよ」とその場しのぎをしながら乾燥機が終わるのを待つ。
分厚いユニフォームだから結構時間かかるだろうな。
「……ここで寝ていい?」
『いいよ。終わったら起こしてあげる』
私の肩口で目を閉じる十四松が湯冷めしないよう、上から布団をかける。
特に興味もないバラエティ番組とニュース番組しか流れていないテレビの電源を落とした。…さて、どうしようか。しばらく私はここから動けない。
結局アラームをセットして一緒に寝ることにした私が次に目を覚ました時には、変な体勢と十四松の体重で体中を痛める羽目になった。
彼の名前の半分はエンジェルで出来ています
(ただいマーーーッスル!)
(おかえり……えっお前なんで今日そんな綺麗なの?)
(風呂入ってきた!)
(は?)
(留衣の家で風呂入ってきた!)
(は!!?)
END.
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