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『正直、この場所に執着はないよ。杏寿郎よりずっと簡単に、自分の世界を捨てられると思う』
「…!」
『どうせこの先もただ平凡に生きてくだけだし…。強いて言うなら、急に消えたら親には申し訳ないかな……』
「それは…そうだろうな、当然のことだ」
『でもわたしももう大人だし、親の手は離れてるから…』
「…何か、他の理由が?」
家族、友人、仕事仲間。明華の人生に関わっている全ての人々。
それは俺がどう頑張ったところで、向こうでは用意することができない。
てっきり此処を離れられない主な理由はそれだろうと思っていたのだが、どうやら違うようだ。きつく抱き締めていた身体を離し、明華の頬を撫でる。
「鬼が怖いか?それなら、俺の家に居れば安全だ」
『…ううん』
「食事の心配なら要らないぞ?小遣いも俺が稼いでやるし、遠慮することはない」
『ううん…』
「スマホは…使えないな……。こればかりは俺にはどうしようも…」
『ううん、そういうのじゃないの』
思い付くことをぽんぽんと口に出してみるものの、どれも当てはまらないようで。首を振り続ける明華の表情は変わらない。
否定はするのに一向に答えを言わない彼女を見ていたら、あるひとつの解に辿り着いた。
「俺には言えないこと…か?」
『うん……ごめんね』
俯いて目を伏せた彼女に、頬を撫でていた腕が力なく垂れる。
「どうすれば頷いてもらえるだろうか?俺では頼りないか?」
『違うの……杏寿郎に着いてくことは、別に怖くないの』
「念のため言っておくが、俺が君を途中で捨てるなんてことは絶対に有り得ないからな?」
『…うん、ありがとう』
明華が目を合わせてくれない。
この調子だと理由を聞き出すのは難しそうだ。思い付くことをひたすら並べていけばそのうちどれかが当たるかもしれないが、それだと無理やり聞き出すような形になってしまう。
話したくないであろうことは見れば分かった。そもそもつい先程、俺には言えないことだと言っていたじゃないか。彼女に拒否されることに慣れていなくて動揺が隠せない。
連れて帰るのは諦めた方がいいのか。
無意識に握った拳に目をやったら、ふと明華の身体が震えていることに気付いた。
「明華…?」
『…ごめんね……』
「…、明華」
ぽたり。その頬から伝った雫が明華の服に落ちる。
そんなつもりはなかったのだが、目の前にある事実に胸が罪悪感でいっぱいになった。
「(泣かせてしまった……)」
小さな身体を抱き寄せる。
何かしらの理由があって明華は俺と共に行くことができない。その選択を彼女は申し訳なく、そして悲しく思っている。
俺に着いて行くことそのものが嫌なわけじゃない。きっと彼女も、本当は俺と行きたいと考えてくれている。出会ったときからずっと俺を大事にしてくれていた人だ。
一体何が邪魔しているのだろう。俺にはどうすることも出来ないのか。出来ないから、教えてくれないのか。
何故教えてくれないのか、それすらも分からない。
――ずっとこうしていたら、明華の考えていることが分かるようにならないだろうか。
そんな非現実的なことを思いながら、腕の中で震えている彼女のことを強く抱き締め続けた。
もしも我儘を言えるなら
(君と共に、生きてみたかった)
END.
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