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『救世主……?』




唐突に出てきた単語に、涙で重い睫毛を持ち上げて目を瞬く。




「そうだ!救世主だ!!」


『…よく……意味が、分からないんだけど……』


「うむ、まあそうだろうな!」




決して明るい気分ではない私とは対照的に、陽気に笑ってみせる彼。
「続きは中で話そう」「立ち話をさせて済まない」と言って杏寿郎が私から離れる。


帰宅したら「鬼滅の刃」を片手に気まずそうにしている煉獄杏寿郎が玄関にいてどうしようかと思ったけど、事情を知っても本人は思ったより元気そうだった。




「簡単に言えば、俺と共に来て、俺を含めた“死ぬ予定の人間”を救う方法を一緒に考えてほしい」




リビングに移動して彼の話を聞く。


杏寿郎が帰るまであとどのくらい時間があるのか分からない。その間に「鬼滅の刃」をどうにか読み込んで記憶を持ち帰ることは可能かもしれないが、自分が“死ぬ予定の人間”であるために持ち帰ったところで意味を成さない可能性がある。
それに今日初めて見た本の内容を今から頑張って覚えるより、私が一緒に来てくれた方が圧倒的に早くて間違いもない。記憶に不安があった場合にももう一人が覚えていれば補うことができる。


一緒に来て、一緒に意見を出し合って、一緒に一人でも多くの人を救う道を考えてほしい。
そしてその中に、もし自分達の幸せもあるのなら――。




「まだ途中までしか読めていないのだが、この少年……竈門少年のことは知っている」


『あ…そうなんだ』


「うむ、一度会ったきりだが。この漫画が本当に俺の世界そのものであるのかは、彼に聞くのが早そうだ」




「今のところ“俺”があまり出てこなくて判断ができていない」と杏寿郎が続ける。確かに彼の出番は九割が無限列車編だから、単行本だけ読むのだと分かりづらいかもしれない。
炭治郎くんに会っていてなおかつまだ死んでいないから、今の向こうの時間軸は炭治郎くん達が蝶屋敷で修行をしているあたりだろうか。


ちなみにどこまで読んだの、と聞いたら「ちょうど俺が死んだところまで」と返ってきた。




「結末を知らないのだが、物語の通りに進むと未来は明るいのだろうか?」


『ああ……うん。一応めでたしって感じで終わるよ』


「…そうか。それなら、明華が来てくれればもっと良い方へ変わるやもしれん」




ぽん、と頭に手を乗せられる。

死ぬ人間や怪我をする人間が減らせるのならそれに越したことはない。助けられた命の数だけ悲しむ人が減り、傷付くことを回避できた分だけ戦力を確保できる。
物語の通りに進んでいたら負けていた戦いも、ものによっては勝利に変えられるかもしれない。

言われていることは理解できるけど、だからといって頷けるかと言われると話は別。
安易に返事ができなくて思わず黙り込む。数秒間の沈黙の後、杏寿郎が私の髪の毛を優しく手で掬った。




「…何故君と出会ったのか、この本を読んでいてふと思ったんだ。
俺が君を、向こうへ連れ帰るためだったんじゃないか……って」


『え…』


「本の中の俺は鬼に勝てなくて死んだ。何もなければ、きっと俺も同じ運命を辿ったのだろう。
でも“俺”は此処で君と出会った。そして違う未来を作れる可能性を得た。
君は俺の未来どころか、俺の住む世界の未来を変えられる……俺はこの“救世主”を連れ帰る役目を担っていて、必然的に、此処へやって来たのではないかと」




――だって、君が好きなのは「煉獄杏寿郎」だったからな。
目の前で、美しい色をした瞳が細められる。




『二周目……ってこと?』


「二周目?」


『輪廻転生とか、平行世界とかって言葉があると思うんだけど…。漫画の中の杏寿郎が、一周目の杏寿郎で』


「今の俺が二周目、か。なるほど」




大切な人が死なない世界を目指して、同じ世界を何度も繰り返す。ファンタジーではよくある設定だ。
この杏寿郎が何周目なのかは知らないけど、死んだ世界線の杏寿郎を参考に彼が別の行動をとれるのであれば、これはそういった類の展開だと捉えても良いのかもしれない。




『………』


「すぐに答えを出してくれとは言わない。
ただ、俺が君の手を掴める機会は一度だけだと思うから……決断が早い分には、その方が助かる」




――その“機会”が訪れた時に、君が手の届く範囲に居なかったらどうしようもないが。
杏寿郎が私の手を取って軽く握った。




『……。とりあえず、お風呂入ってくるね』


「ああ。ごゆっくり」




ちゅ、と右手にしていた指輪に口付けられる。
気を付けないと長風呂になっちゃいそうだなと思いながら、一人お風呂場へと向かった。







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