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『ふう……』
湯船に浸からないよう、長い髪をクリップでまとめる。
今頃彼は漫画の続きを読んでいるだろう。あの後、もう隠してもしょうがないと思って読んでいい許可出しちゃったし。
それにしてもまさか勝手に部屋を漁られるとは。あの人の性格上、相当な罪悪感があったんじゃないかと思う。
処分しようと思えばできた「鬼滅の刃」を部屋に放置していたのは、まず間違いなく探されることがないと踏んでいたからだ。…それくらい、私と一緒に帰りたいと考えてくれたんだろう。
――杏寿郎、自分が死ぬって分かってもあっさり受け入れてそうだったな。
『(もともと“生”に執着のない人だとは思ってたけど……)』
なんせ死ぬ間際に「俺がここで死ぬことは気にするな」なんて言葉が出てきちゃう人だ。
分かってはいたけど、いざ目の当たりにすると悲しかった。鬼殺隊の隊士はきっと、みんな似たようなものなんだろうけど。
自分よりも若い子が、重い覚悟を背負って生きている世界。そんな覚悟で生きていかなければならない世界。
変えられるのなら変えてあげたい。力になれるのならなってあげたい。でも、本当に上手くいくだろうか?
私に、誰かの命を預けられるほどの力量があるのだろうか?
『(わたしが……お館様くらい頭が良くて、しっかりしてて、的確に指示を出せるのなら話は違ったけど…)』
着いて行くこと自体は別にいい。杏寿郎に手を差し伸べられたらきっと反射に近い感覚で掴むと思う。
後で親にも友達にも職場の人にも申し訳なく思うだろうけど、彼の手を取ったことそのものを悔やむことはしない。
今不安なのは、状況が「ただ着いて行くだけ」ではなくなったことだ。
『(着いてったら話を捻じ曲げることになるのは確実……っていうか、そうしないとまず杏寿郎が死んじゃうわけで。
でも一回話を変えたらその後の展開が分からなくなるし、そんなに上手い具合にみんなが生き残るようなハッピーエンドって作れるの?
…あれ、でももう杏寿郎がいろいろ知っちゃってるから、わたしが行かなくても結局話は変わっちゃう…?)』
考えれば考えるほど頭がこんがらがる。着いて行ったら話が変わっちゃうことを気にしてたけど、もしかしてもうすでに手遅れだったりする?漫画が杏寿郎に見付かった時点で詰んでた?ついでに、刻々と時間が過ぎていることにも気付く。
ご飯待たせちゃってるから、考え事はほどほどにしないと。
急ぎで頭を洗っていたらふととあることが思い浮かんで、バタバタと忙しなく風呂を出る。
『杏寿郎』
「…ん、上がったか」
夕餉だな、と彼が本を閉じる。読んでいたのは9巻だった。
ご飯の支度をし、席に着く前に一度自分の部屋へと向かう。持ってきたものを取り出してテレビをつけると、振り返った先で杏寿郎が驚いた顔をしていた。
『まだ…あんまり、心の整理はついてないんだけど。でもどっちの道を選ぶにせよ、見てほしいものがあって』
「その道具、そういえば名前を知らなかったな。大きなスマホのような……」
『テレビっていうの。スマホとはちょっと違うんだけど…』
リモコンで画面の切り替えをし、「ディスク再生」を選択する。テレビに関しては触らないように言ってあったから、ここで使うことになるとは思っていなかったのだろう。
私も“これ”を見せる気はさらさらなかったのだけど。今は事情が変わった。
黒い画面にロゴが浮かび、何度も見たことのある映像が流れ始める。それはもう、見過ぎてほとんど暗記してしまっているくらいに。
『死ぬっていう事実は知られちゃったからね。
わたしのことは置いといて、杏寿郎が今後どうするか考えるときに、絶対にこれが役に立つと思う』
見やすいように机と椅子を移動して、二人してテレビに目を向ける。ちらりと隣を見ると初めてちゃんと見るテレビの映像に釘付けになっている杏寿郎がいた。
こんなの、家に帰ったら見れないからね。見てる本人が画面の中にもいるっていうのはなかなか珍しいことだと思うけど。
何度も何度も見たのに、セリフも展開も全部わかりきっているのに、
なんでだろう、いつ見ても、何度でも泣けるな。
「なるほど、本で読むのとはまるで違う。喋っていないのに自分の声がするというのは不思議な感覚だが……音や動きが加わるとより分かりやすく、実に“俺”らしい最期だ。…もしや君は、俺の死に様に惚れたのか?」
『……、うん』
「はは、そうかそうか。他に見せ場がなかったから気になっていたんだ。それなら、一度死んだ甲斐もあったものだな!」
ズビズビ泣いている私の肩を抱いて、隣で笑う杏寿郎。画面には動かなくなった「彼」の姿が映り、哀しくも美しい音楽が流れている。
物語の通りに世界が回ることを確認できたら、おそらく彼は未来を変えるために動くだろう。誰かが死ぬのを知っていて放っておける人じゃない。
もし書き換えられた物語の別の場所で死ぬことになったとしても、もともと死ぬ予定だったところをパスすることで一人でも多く助けられるのならそれでいいと、杏寿郎はきっと考える。
映像の方が動きが分かりやすくて参考になると思ったからこれを見せた。彼がこの“死”を回避しようと考えたとき、必ず役に立つと思って。
情報提供のために見せただけだったけど、本人がいる状態で改めて見直したせいか、最後に何度か映る彼の亡骸が今まで以上に悲しく感じた。あれが放っておいたら辿る予定の彼の道だ。
あれはあれで本人にとっては満足のいく最期なのだろうけど、現時点で杏寿郎が生きているからこそ、IFの世界を強く考えてしまう。
『(…助けたいな、この人のこと)』
他人の命を大事にする割に自分の命にはさして興味がない彼を、今この状況で、私以外に誰が救えるだろうか。
回された腕の指に揃いの指輪が光る。――これでも私、この人の恋人なのに。
“煉獄杏寿郎”を見送る主人公の想いを綴った主題歌が、憂いを帯びた音で部屋に響いていた。
貴方の辿る道
END.
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