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周りの住民に迷惑が掛からないようなるべく静かに腕立てや腹筋をしてみたり、合間に漫画の続きを読んでみたり。
一日というものはこんなに長かっただろうかと、そう考えながらもどうにか迎えたその日の夜。

聞いていた時刻を優に回っていたので、今か今かと待っていたというのに。




『ただいま〜煉獄さん!ケーキ買ってきたから後で食べよ!』




遅れて帰宅した中藤と言えば、俺がいるのを確認すると何やら嬉しそうに小さな箱を見せてきた。




「…何だ、また何か買ってきたのか?」


『うん!一人暮らしだから滅多に買わないんだけど、煉獄さんと食べたくて』




上機嫌な中藤は箱を持ったまま、さっさと部屋の奥へと歩いて行った。…なんだ、せっかく抱き締めてやろうと思ったのに。
その小箱を台所の“冷やす箱”の中に仕舞ったので俺の前を素通りした理由には納得したが、少々気に食わなかったので後ろを着いて行って背中側から抱えるように抱き締めた。




『わ』


「今日の飯と風呂と、そのケーキとやらの礼をしていない」


『…律儀だなあ』




「無理しなくていいよ」と続ける中藤に「無理はしていないと言っただろう」と口を尖らせる。衣食住すべてを世話になっといてこれくらいしか返すものがないのに、それすら断られては俺の立場がない。


しばらく腕の中でじっとしていた彼女の体温に、何故だろう、このとき俺は酷く安心した。




『すぐお風呂入って夕飯の準備するから、ちょっと待っててね』


「ゆっくりでいいぞ」


『すぐ入ってくる!』




腕から抜け出した中藤は、俺の言い分を無視してどたばたと上着を脱いだり荷物を片付けたりし始めた。そんなに慌てなくて良いのに。
俺はあとは飯を食べて寝るだけだから急いでくれているのだろうが、疲れているだろうし風呂くらいゆっくり済ませて欲しい。


しかし心のどこかで早く出てこないだろうかと矛盾した気持ちを抱えながら、昼間読んだ漫画を時間潰しにもう一度読み直していた。




――




『これ、普通は特別な日に食べるものなんだけど』




今日の夕餉は「ぱすた」だと言って皿に麺を盛り付けたものを出された。中藤はそれが好きらしくよく食べているらしい。食べたことのないものだったが、海老が入っていて美味かった。

夕餉を食べ終わると、帰宅したときに見せられた小さな紙の箱を中藤が食卓まで持ってきた。箱を開けると中から綺麗に飾り付けられた菓子が出てくる。こちらでは有名な洋菓子らしい。
“ケーキ”というそれは二人分あって、「どっちがいい?」と聞かれたが食べたことがなかったのでどちらが良いのかは分からなかった。片方は白く、片方は茶色い。茶色い方は昨日貰った“チョコレート”の味がすると言われた。




『わたしはいっつもチョコ買っちゃうんだけど、たまには違うのも食べたいしどっちでもいいよ。
とりあえず両方食べてみる?』


「うむ、よく分からないが食べてみたい。食べるのがもったいない菓子だな」


『何かをお祝いするときに買うことが多いんだ。一番多いのは誕生日かな』




「どうぞ」と促されたので用意された食器を使って小さく切り分ける。ぱすたを食べたときも戸惑ったが、時代が違うと食器も違うんだな。慣れないものを使うとどうも動きがぎこちない。
ケーキは思っていたより柔らかく、注意しないと横に倒れそうだった。




「…ん、うまい」


『そう?良かった』


「どうして買ってきたんだ?今日は特別な日ではないのだろう?」


『深い理由はないよ。煉獄さんにちょっとでも美味しいもの食べてほしくて』




「喜んでもらいたかったから」、と目の前の彼女が緩く笑う。

何もした記憶のない人間にここまで好かれるのが初めてだったので、何と返せば良いのか迷った。
あまり俺に金を使うなとはすでに言ってある。その上でこうなっているのだからこれ以上言うことがない。
見る限り本人も楽しそうだし、これが彼女にとって喜ばしいことなら無理に止める方が迷惑なのかもしれない。

とはいえ、そうなると。




「俺は君に、無限に甘やかされてしまうな……」


『ダメなの?』


「君がそうやって楽しそうにするから、止めるにも止められなくなってしまう」




どっちも美味しかったと言うと、中藤はじゃあ半分ずつ食べようかと言ってケーキを小分けにする。俺の分だと言って渡された“半分”は、彼女のそれより一回り大きい。
「好きでやってるから」と何度か言われた言葉を彼女はもう一度繰り返した。初対面で言われて実感は湧かなかったが、こうやって態度で示されると本当なんだなと思う。


煉獄家に長男として生まれて、鬼殺隊になって。柱になって。
甘やかされて育った記憶はない。いつだって必死に生きてきた。それが当たり前だった。
だから、こんなに何もなくのんびりと過ごしたのは生まれて初めてで。

それだけでも拍子抜けしているのに、中藤はいろいろと俺に尽くしてくれてしまう。見知らぬ世界で衣食住が確保されているだけで十分ありがたいのに、彼女はそれ以上のことをしてくれようとする。


ずっといたら元の生活に戻れなくなりそうな予感はすでにしていた。――この場所は、俺には甘美過ぎる。
早く、帰るための手掛かりを探さないと。




『明日と明後日は家にいるから、帰り方について考えようね』


「! ああ、頼む」


『ここにいる間のご飯とか、生活費とかは全部わたしが出すから。
煉獄さんは気にせず、帰る方法を探すのに専念してね』




何かできることがあれば手伝うから。
そう微笑む彼女はどこか寂しそうで、胸の奥がちくりと痛む。


空になった皿を片付けに立ち上がった彼女の後ろ姿を、複雑な思いを抱えながらしばらく見つめていた。






さな背中


(君は、)




END.







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