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「ん……」
すっかり聞き慣れた異世界の音がして目を覚ます。
腕の中にいた明華が、もぞもぞと右手を伸ばしてその音を止めた。
『ふあ……あ、ごめんね、まだ寝てて』
薄暗い部屋の中、体を起こした明華が目を擦るのが頭上に見える。
彼女は何度か優しく俺の頭を撫でると布団から出て行った。
「(…大事にされている)」
まだ温もりの残る布団を握り締めて再び目を閉じる。
ぱたぱたと廊下を駆ける明華の足音をぼんやり聞き流しながら、昨日のことを思い出していた。
「行ってらっしゃい」
『うん、行ってきます』
しばらくして再び戻ってきた彼女を寝転がったまま抱き締めて見送る。随分とだらけた挨拶になってしまったな。
それでも嬉しそうに笑ってくれる彼女に俺も安心する。
一週間経ったが、まだ帰れる気配は微塵もない。一体いつになったら俺は元の世界へ戻れるんだ。
明華とはだんだん打ち解けてきたのでその点は良いことと思うが、さすがにずっとこのままというわけにはいかない。明華にだって生活があるのだし、俺を置き続けるのもそのうち難しくなるだろう。
ここを追い出されたら行く先がない。それまでには帰らなくては。
「(あの様子だとまだしばらくは許してくれそうだが…。明華が仕事に行っている間に、何か手掛かりくらいは見付けておきたい)」
――とはいえ、どうしたらいいのかは全然分からないんだけどな。
寝返りを打ったら、布団で一緒に転がっていたくまのぬいぐるみと目が合った。
明華はどうやら相当に俺を好いてくれているみたいだから、何か試したいことを思いついたら相談すればすぐに協力してくれそうだ。
そして案としてひとつ、この週末にやってみたいことをすでに思いついている。明日も俺がまだここに居たら買い出し終わりにでも聞いてみよう。
少し図々しい頼みなので聞いてもらえるかは分からないけど、お礼の抱擁ならいくらだって――
「(…明華が好きなのは、本当に“俺”なのか?)」
ぬいぐるみと見つめ合っていたら不意にそんなことが頭を過って、はたと動きを止める。
明華は俺のことを好きだと言ってくれる。初日からずっとそうだ。特に昨日は面と向かってたくさん褒めてくれた。
けれどその対象は、実のところ“俺”ではなく“書物の中の俺”なのでは?
「優しい」のはもしかしたら俺にも感じてくれていることかもしれない。容姿も彼女の持っている“グッズ”を見る限りそんなに変わらないと思う。
でも、「困ってたら助けてくれる」のは?「体を張って守ってくれる」のは?俺がここに来て明華にしてやったことだろうか?
いつも明るくてニコニコ、…“いつも”と言えるほど、俺は彼女と時間を共にしたか?
芯が通ってて真っ直ぐ、…そんなことを言わせるような出来事がこの一週間の中にあっただろうか?
使う技がかっこいい、…俺はこの世界でまだ一度も刃を振るってはいない。
冷静に考えてみれば、明華の言う「好き」は俺がもらうべき言葉ではなかった。俺は勝手に自分に宛てたものだと思い込んでいた。何なら彼女本人もそのつもりで言っている。
でも違う。あれは“書物の中の俺”に向けた言葉だった。昨日のだってそうだ。
理由もなしに初対面の人間をここまで好いてくれるわけがない。こんな簡単に若い娘が知らない男を部屋に上げるわけがない。
明華は俺が「煉獄杏寿郎だから」ここに置いてくれているんじゃないか。彼女もそう言っていた。何を勘違いしていたのだろう。
「(“俺”を、必要としてもらわなければ)」
布団から勢いよく飛び起きる。
自分が書物の中の俺とどの程度一致しているのかは分からないが、ここにいる時点で間違いなく書物とは違うことをしている。
いつかどこかで違えるのではないか。明華に「やっぱり違う」と言われるんじゃないか。
明華が好きだと言ってくれる理由のすべてが書物の俺であることは、今の俺にとってかなり危険なのではないか。
そうでなくとも赤の他人に食わせ続けることが嫌になる可能性は大いにある。居てくれるだけで嬉しいとは言うけども、慣れたらそうも思わなくなるかもしれない。
この状況で路頭に迷うことは避けたい。明日相談しようとしていることも彼女の協力なしでは難しい内容だ。
日除けを開けて外の光を取り込む。
部屋から出てさっさと洗顔を済ませると、早速掃除機のある居間へと向かった。
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