2




――




「明華!」


『えっ……何? うわっ』




その日の夜、風呂から上がった明華を見付けるなり腕の中に収める。
急に大声を出したからか彼女は驚いた様子だった。




『な、何かあった?』


「そういうわけではない!!」




苦しめないよう力加減に気を付けながら細い身体を抱き締める。

今の俺ができるのはとりあえず「これ」だ。掃除機なら朝のうちにかけた。風呂も明華の帰る時間に合わせて事前に済ませた。
できれば他にも何かしたいと思ったが、勝手にやってかえって迷惑になるのは避けたかったので何も手を出せなかった。時間も体力も有り余っていたというのに。




「なあ明華、やはりもう少し俺に仕事を任せてもらえないだろうか!」


『え、掃除機だけでも十分……ごめんね、暇だった?』


「そういうわけじゃないのだが、もっと君の役に立ちたい!!」


『…今立ってるよ?』


「これだけでは忍びない!そうだ、抱擁以外にも俺にやってほしいことはないか!?」


『えっと……?』




バスタオルを被ったままの彼女を見て髪の毛を乾かしてやろうかと考える。こちらの世界には早く髪を乾かせる道具があるが、後ろ側は自分ではやりづらかったから。家事じゃなくても明華の助けになれれば何でもいい。

試しに聞いてみたら「それはありがたいけど…」とどことなく歯切れの悪い返事が来て、余計なお節介だったかと反省する。が、明華は別の理由で言葉を濁していたようだった。




『急にどうしたの?…やっぱり、何かあった?』


「!」




彼女が俺を見上げて首を傾げる。…うむ、唐突過ぎて不自然だっただろうか。

隠すほどのことでもないと思い、「君に嫌われたくないんだ」と今朝考えていたことを吐露した。




「君が俺を好きなのは、書物の中の俺が好きだからだろう?ここで出会った俺のことを好きになったわけではないはずだ」


『それは……まあ、そうだけど…』


「だから俺は、今ここにいる“俺”を好きだと言ってもらえるようにしなくてはならない!
そうでないと、君がここに俺を置いてくれる理由がなくなってしまう」




彼女の両肩に手を置いて目を合わせる。
何故だかは分からないが、彼女のその肯定の言葉が胸の奥のどこかにちくりと刺さった。


視線を交えたまま何かを考えていた様子の明華が、数秒後にふっと笑って目を細める。




『…漫画と変わらないと思うから、嫌いにはならないよ』


「どうしてそう言い切れる?俺は今、漫画とは違うことをしているだろう」


『杏寿郎が嫌われたくないって思ってくれてるうちは、絶対嫌いにならない』




呼び慣れていない俺の名を紡ぎながら明華が軽く首を振る。
声は穏やかだったが、その言葉で彼女がきっぱりと断定してくれたことは分かった。




『わたしはどっちかと言うと、杏寿郎がここに居たくないって思わないか心配してる』


「思うわけないだろう?こんなに良くしてもらってるのに」


『…それならいいけど』




無用な心配をしているらしい彼女が、少し安心したように息を吐いてからこちらにもたれかかってくる。
俺に遠慮しがちな明華に“頼られた”気がして嬉しくなった。風呂上がりでまだ温かいその身体を抱き寄せる。甘えたいならもっと甘えてくれていいのに。




「ところで君、さっき俺の問いをはぐらかしただろう。ほんとは俺にもっとやってほしいことがあるんじゃないのか?」


『……まあ、否定はしないけど』


「何だ、言ってみろ」


『言わない』


「何故」


『…秘密』




それよりご飯にしよ、と明華が俺の身体を押し返したので大人しく離れた。…うーん、彼女が遠慮なしに頼ってくれるのはまだ先になりそうだな。もう少し親しくなれたらまた何か任せてもらえるだろうか。それまでは地道に努力するとしよう。


食卓に並べられた皿には、今日も見たことのない美味しそうな料理が盛り付けられていた。






想世界の自分


(架空の俺は君の料理が食べられなくて残念だな!!)
(そんな大したものじゃないけど…)





END.







<<prev  next>>
back