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『わたしより贅沢させてくれる家なんかいくらでもあるし、わたしより可愛い女の子のファンだってたくさんいる。
杏寿郎はそっちの方がいいかもしれないけど、でも、わたしが最初に見付けたんだから……』
明華が口を尖らせてどこか拗ねたような物言いをする。これまで十日間、彼女が見せたことのなかった表情。
思わず食べていた手を止める。
俺の存在を知られたくない理由が俺のためであることは分かっていたが、半分は明華の我儘だった?それも「俺を取られたくないから」?
俺がこの世界に居ることを誰かに知られたら、誰かが俺を奪いに来るのだろうか。
それとも、俺が明華以外のことを知って自ら「彼方の方が良い」と出て行くかもしれないという意味なのか。
どちらにせよ、つまるところ、
「明華は俺を“独り占め”したいのか?」
『……まあ、…厚かましいけど』
「ははは、そうか!」
可愛らしい我儘に笑ってしまう。
俺が好きだから、俺を誰にも取られたくないのか。君の拗ねる理由がそれか。なんて可愛いのだろう。
明華の怒った顔を見たことがなかったが、まさか初めてがこれだとは思わなかった。
「可愛いなあ、君は」
『…!』
手を伸ばせば撫でられる位置に頭があったから、その小さな頭に手を乗せる。
数秒もしないうちに分かりやすく頬が紅く染まったから、俺はまだ“本の中の俺”のまま居られているのだろう。
「君はすぐ照れるな。全部顔に出ている」
『それは……仕方ないというか…』
「好きだから仕方ないか?それもそれで愛い」
『…なに、突然』
「この前のお返しだ」
『! もう……』
顔を背けつつも手を払わないあたり、やはり喜んでいるのだと思う。抱き締められるのが好きと言っていたのもあるけど、俺が近付いたり触れたりすると照れるのが見てて分かるから。
自然と自分の顔が綻ぶのを感じる。ここまで全面的に「好き」を示されて、愛らしく思わない方が難しい。
ずっと帰るのに躍起になっていたからこれほど彼女に目を向けたのは初めてだったが、改めて見ると余計に何故この子が俺のことをこんなに好いているのかよく分からない。この可愛らしくて心根の優しい女の子が、本の世界の住民である俺にこれほどの好意を寄せる理由は何なのだろう。
直接聞かない限り詳しい理由は分からないが、とりあえず今は彼女の心配を杞憂だと言ってやることを優先した。
「俺はこの少し狭い食卓も、寝床も、明華が近くにいて安心できるから気に入ってるぞ?
これ以上の贅沢をしたいとも思わないし、君以外と知り合いたいとも特に思わない」
明華が許してくれるのなら、帰り道が見つかるまでこの家で過ごしたい。
ここはすでに安全な場所だと分かっているし、贅沢ができるからという理由で知らない家に移りたくもない。
明華の言う“可愛い女の子”がどんな子のことを示しているのかはよく分からないが、あいにく俺は色恋沙汰に疎いし興味もないので、このままで何も問題ない。そもそも、こちらでそのようなことをしたところで最終的に俺だけ向こうに帰るのなら意味がないだろう。
「だから君は、思う存分俺を独り占めするといい!」
『……そう…』
「なんだその微妙な反応は」
『いや、うざがられるかと…』
「そんなことはない!大丈夫だ!」
明華の“我儘”がそれなら是非叶えるといい。どのみち俺の存在は広まらない方が良いのだから、むしろそっちの方が俺としても都合がいい。この世界で俺のことを知っているのは明華だけで、帰るまでそれが変わらなければ余計な騒ぎにもならず平和にやり過ごせるだろう。
頭を撫でていた手を引っ込める。
下ろした腕を追うように明華の視線が動いたから、また寝る前にでも撫でてやろうと一人微笑んだ。
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