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「いらっしゃいませ〜!」


『予約してた中藤です』




見知らぬ人の目と声に少しばかり緊張しながら、明華に続いて店に入る。

視線は常にやや下の方。すれ違う人に顔を見られないように、出掛けるときはなるべく掴んだ明華の腕の辺りを見るようにしている。帽子を被っていることも相まって視界は狭くなるが、足音や気配で周囲の様子は分かるので今のところ特に大きな問題はない。
一番気を付けるべきなのはやはり明華が誰かと喋っているときだろうか。彼女と面と向かって話していればその隣に居る俺のことは嫌でも目に入る。
今回も店の人が何やらしている間、案内されている間、何もない床や壁の方を向いて誤魔化していた。




「此処は…」


『完全個室じゃないけど、壁があるから隣の人からは見えないでしょ?』




席に着き、店員が去ったのを確認してから顔を上げる。


仕事から帰ってきた明華に連れられて来た店で、まず目についたのは机の真ん中に設置された円形の網。そこだけ穴が開いていて一段低くなっている。
それが何なのかはよく分からなかったが、明華が手拭きを使い始めたので俺も倣って手を拭いた。

軽く周りを見渡すと、確かに両側に仕切りがあって隣の客と区切られている。この前入った店にこのようなものはなかった。
これなら店員にだけ気を付けていれば良さそうだ。真後ろの廊下側には何もないが、通り掛かるだけでは俺の顔は見えないだろう。

立て掛けてあった品書きを手に取って、俺に見えるように明華がそれを机で広げる。




『今日はこの、食べ放題のコースにしようと思って』


「食べ放題…?」


『そう。これだったら100分間、ここに書いてあるものが食べ放題なの』




ぐるりと明華の指が品書きの上をなぞる。

彼女曰く、ここは“焼き肉”のお店だそうで。客は机の真ん中にある金網の上で肉を焼いて食べるらしい。言われてよく見てみれば金網の向こう側に炭が見えた。これに火が着くのか。
今日はその中でも「食べ放題」という、一定の金を払えば時間内でいくらでも食べて良い形式のものを頼もうと思ってここへ来たとのこと。そんな形態の飯の食べ方があるのか。俺の元いた世界では聞いたことがない。

見せられた品書きにはいろいろな種類の肉が載っており、どれも美味そうだ。よく見たら野菜や汁物もある。これが“食べ放題”。
俺からすれば夢のような話だが、書かれていた値段を見て眉を顰めた。




「3500円……これは一人分の値段だろう?二人で7000円もするじゃないか」


『焼き肉だしそんなもんだよ。もっと高いとこもいっぱいあるし』


「この前の弁当が14個も買えるじゃないか」


『どうして唐揚げ弁当換算なの…』




明華が呆れたような声を出す。

俺はともかく、明華はこの“食べ放題”は必要ないんじゃないか。そんなに食べるとはとても思えない。ましてや制限時間付きで。
彼女は「付き合ってくれる?」という言い方をしたが、どう考えても俺のためにここを選んでくれたとしか思えなかった。明華だけならこの値段で数日は過ごせるんじゃないだろうか。
あれは俺に気負わせないようにするための優しい嘘だったんだな、と今更理解する。


まだ注文前だから今なら別のものを頼むことができるはずだ。
品書きの前の方に戻ろうとしたら、紙を捲ろうとした手に小さな手が重ねられてドキリとした。




『もしかして安いのにしようとしてる?』


「えっ!い、いや…」


『もう、分かりやすいんだから』




今日は食べ放題なの!と元の場所に戻された。…駄目だったか。
そしてさっさと店員を呼ぶための呼び鈴を押して明華が注文を始める。食べ放題の真ん中のコースを二人分。
俺はあまり人前で声は出せないので、その後は彼女が肉の絵を指さして何やら頼んでいるのをただ眺めていただけだった。




『焼き肉なんて友達とはそうそう行かないし、最近全然食べてなかったからたまには行きたかったの。レンが着いて来てくれて助かってるんだから』


「それは嘘ではないかもしれないが、君はいつも食べ放題を頼んでいるのか?」


『大勢で来るときにたまーに頼むくらいだけど…レンにいっぱい食べて欲しかったんだもん』


「まったく、やっぱり俺のためじゃないか」




店員はすでに去った後。もう注文してしまったから取り消せはしない。ここまで来てようやく本音を、というのは少しずるいな。
まあそもそも昨日俺が盛大に腹を鳴らしたのが原因なんだが、あれは生理現象でどうしようもなかった。
それに明華がわざわざ“大盛り”の店ではなく“食べ放題”の店を選んだのは、きっと俺が元々よく食べることを知っているからで。だとすると昨日の件がなくてもそのうち連れて来られていたのではないかなと思う。彼女の性格からして。

俺を好きだと言ってくれるのは嬉しいし気遣ってくれるのも嬉しいが、余計に金を使わせてしまうのはやはり申し訳ない。
どうにか気持ちだけ受け取る方法はないだろうかと考えていると、どこか拗ねた様子の明華が少し俯いてから口を開いた。




『…迷惑だった?』


「そ、そんなことはない!とても美味そうだし、周りから良い匂いがする!食べるのが楽しみだ!」


『じゃあ値段なんか気にしないでよ。わたし、レンに喜んでもらえたらそれが一番嬉しい』




好きなんだから。

そう言ってむっとした明華を見て、何故だか妙に顔が火照った。







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