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明華が困っている。
『次は〜あっちのドアを……』
夕餉を食べ終えて一息ついてから、俺はこの家のあちこちの扉を開閉させられていた。
先日から明華の様子がおかしい。おかしいと言っても極端なものではないが、「俺が帰ること」に対して目に見えて悩むようになった。
それまでは気に掛けている程度で自分から話題に出したり積極的に帰らせようとしたりすることはなかったのだが、この数日は違った。昨日は朝から外に連れ出されたし、今日はこれだ。
なんでも扉を開けたらそこが異世界だったという作り話が存在するのだとか。それを真似してとりあえず試してみようと明華が言い出したので、家の中にある開けられる扉を開けては閉めてを繰り返した。
「(これで帰れたら驚きだが……)」
居間の扉から風呂の扉、さらには押し入れまで。扉という扉を全部開けた。
方法そのものも疑問だが、そもそも俺は扉から出てきたわけではないのでこれで帰れるとはあまり思えなかった。この家に来たのも成り行きだし、出会ったのが明華じゃなければ別の場所へ行っていたはず。明華の家の扉と俺がここへ来た通路に関係があるとは思えない。
とはいえ絶対にそうではないと言い切れるものでもないので、ひとまずは彼女の指示に従ってみる。
最後に玄関から一度外へ出た後もう一度家に入り、特に何も起こらないのを確認してから明華は手に持っていた紙に何やら書き込みをした。
『やっぱりだめか〜…』
「そのようだな」
がっかりした様子で明華が自分の部屋に戻る。俺もそれに着いて行った。
明華は俺が先日言った何気ない一言を聞いて以来、ずっと困っている様子だった。ここ数日の変化もそのせいだと見てまず間違いない。
来週俺と行きたい場所があると言っていたのに、そのために休みも入場券も取ったと言っていたのに、何故だかこの数日は今までで一番俺を元居た世界へ帰そうと奮闘している。
あれに大した意味はないから気にしないでくれと言ったもののあまり効果がなかったようだ。
どうしてそんなに帰したがるのだろう。俺が帰りたがっているから協力してくれるのならまだ分かる。でも、俺は来週の予定があるその日までは付き合うと言っているのに。
金がないからとか邪魔だからとか、そういう理由の方がまだ分かりやすくていい。明華の場合はそうではない。
出会った日からずっと俺がここに居ることを“嬉しい”と形容してくれていたのに、何で今になってさっさと帰らせようとしてくるのか。
「…明華、俺のこと嫌いになったか?」
『えっ!!?そんなわけないですけど!!?』
「……ならいいが」
どこかで俺が“俺”らしくないことをしたかな、とは考えた。明華の中ではきっと“理想の俺”が出来上がっていて、それを壊さないうちは多分好いたままでいてもらえる。
問題は俺はその“俺”のことを知らないから、何をしたらまずいのかが全く分かっていないこと。知らない間に何か変なことを言ってしまって嫌われたのか。そう考えて確認を取ったが違うらしい。彼女の反応は本心に見えた。
「(やはり気を遣わせているだけ……か)」
布団に腰掛けた彼女は浮かない顔をしてスマホを触っていた。おそらくまた違う“帰り方”を探しているのだろう。
このままいくと明日か明後日に出掛けようと言い出してくるに違いない。昨日そんなようなことを言っていたから。
行き先は俺の関係のありそうな場所を手当たり次第、といったところか。その方法も全く可能性がないわけではないから否定はできないが、正直前回俺の家を探そうとして失敗しているからどうなんだろう、とは思う。
もちろん試してもらえるのであれば有難い。でもそんなに無理して予定を詰め込んでまでやって欲しいとは思わない。
経験上、俺を連れて外へ出ることは結構な負担になると分かっているから。
「…そういえば、君は俺に“何でも言ってくれ”と言ったな?」
『え?あ、うん』
「じゃあお願いがあるんだが」
スマホを見ていた目がこちらを向く。
俺を帰すために明華に無理をさせるのも、浮かない気分のまま来週の“その日”を迎えるのも、どっちも嫌だ。
困っているところをさらに困らせる可能性があるが、両方を回避するには多分こうするしかない。いや、俺にはこれくらいしか思いつかない。
スマホを握っていた手の細い手首を掴み、視線が合うように少し屈む。
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