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『(とうとう来週で一ヶ月)』
手に仕事の資料を持ちつつも、頭ではそんなことを考えていた。
杏寿郎が来てから三週間が過ぎた。来た当初はまさかこんなに長引くとは思いもしてなかった。
一ヶ月って、もうそれ軽く同棲じゃん。絶対に旅行のレベルじゃない。海外のバカンスか何かかな。
実態はそんなに気楽なものじゃなくて、「いつ帰れるのか本人も分からない謎の異世界ツアー」なんだけど。
『(どうにもできないからあれなんだけど、炎柱を一ヶ月も借りてて大丈夫なのかな……)』
あまりに長くなってきたので、「向こうの世界」のことも本格的に心配になり始めた。
こっちは生活費さえどうにかなればそんなに悪い影響はない。
気になるところがあるとすれば他人にバレたら面倒事になりそうなことと、身分証がないから病院等に行くときに困りそうなことくらいか。
特に後者はそのうち当たりそうな壁だけど、今のところは何事もなくやり過ごせている。
そんなこんなで大きな事件が起こっていないこちらからすると、そろそろ心配になるのが彼の元の世界のほう。
柱が一人、約一ヶ月不在。鬼殺隊は大丈夫だろうか。あんまり大丈夫じゃない気がする。
単純に人ひとり消えているという点でもさぞかし心配されていることだろう。
もしこれが“各世界で時間の流れが異なる”タイプの異世界トリップで、こっちでは一ヶ月経ったけど向こうでは一日しか経ってなかったみたいなパターンだったらそんなに深刻な事態ではない。が、実際そういうことがあるのだろうか。
あるとしたら、杏寿郎がこの世界で食べたもの、見たもの、体験したこと…それらはどこへ行ってしまうのだろう。
そして何より一番気に掛かっているのが、こちらでいうところの「無限列車編」のことだった。
『(もし杏寿郎がこっちにいる間に全部終わってたら……杏寿郎は、死を回避したことになるの?)』
紙の上の文字列を目でなぞったところで、内容など頭に入ってこない。
もしも彼がここにいる間に、あの戦いが始まったら。“帰り方”が判明した後もあえてこちらに残っていたら。
いやむしろ、何ならもう終わっている可能性すらある。向こうで起こっていることなんてこちらは知りようがないのだから。
彼が死ぬはずだった戦いに彼が参加しなかったらどうなるのだろう。もしやこれが神回避ってやつ?
異世界にいたら知らない間に生き延びてました――なんてことはあるのだろうか。
そうなればファンである私は嬉しいけど、彼の世界のことを考えるとそんなに上手くいくのかという疑問が出てくる。
『(無限列車の任務に杏寿郎が行かなかったとしたら、きっと別の柱が駆り出されるわけで……そうなったら、その人が代わりに死ぬ可能性があるんじゃ?
そしたらその人が本来死ぬところで杏寿郎が死ぬのかな…。でも義勇さんみたいな生存する柱だった場合はどうなるんだろう?物語が変わる…?)』
今杏寿郎がこちらにいるのにすでに「無限列車編」が進んでしまっている場合、もしくは今後そうなる場合。
考えられるルートはいくつかある。まず初めに、杏寿郎の代わりに別の柱が犠牲になる場合。
そうなったらその人が本来進む予定だったルートを杏寿郎が辿ることになるのかもしれない。どこかで死ぬのならそこで杏寿郎が死ぬ。生存するのなら杏寿郎が生きたまま最終回を迎える可能性が出てくる。
ただどちらにせよ、「炎柱の書のくだりはどうなるのか」とか、「周囲の人間に影響が出るんじゃないか」とか、新たな別の疑問が湧く。
次に、杏寿郎の代わりに出向いた柱が力及ばず他の人を巻き込んだ場合。
炭治郎くん達の身に何かあればその後の展開に関わってくる。バッドエンドの可能性も否めない。
逆に善戦して大勝利を収めた場合はどうなるんだろう。それはそれで無惨様がブチ切れそうで、ちょっと怖いんだけども。
どのルートを辿ったところで結局「本来の物語とは違うものになる」ことに変わりはなくて、そうなると最終回が変わってくる可能性が十分にある。
間違いないのは、“あの物語の通りに進めば無惨を倒すことができる”という事実だけ。
杏寿郎の死も、あれがあったからこそ炭治郎くん達は強くなろうと決意したわけで。
『(あれは“必要な死”……だもんね)』
…やっぱり、いくら考えたところで仕方がないかな。
無限列車の件がなくても、彼がいないせいで本来出なかったはずの犠牲者が出ているかもしれない。重要な戦力なんだから、早く帰してあげないと。
手に持っていた資料には、いつの間にか小さく皺が寄っていた。
――
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