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握った手のひらが、やけに熱い気がした。
『そんなに驚くことだった?』
知らない人が行き交う道の真ん中、赤色に光った信号を確認して足を止める。
心がざわついている俺とは対照的に、横に並んだ明華は随分と落ち着いていた。
「いや…。何と言うか、あまりそのようには見えなかったから…」
『最初っから挙動不審だったでしょ?』
「それは…突然俺が来たからかと……」
出会った当初のことを思い出す。
初対面で俺に話し掛けられた明華はその場で固まって、瞬きを忘れたみたいに目を見開いて俺を見ていたのを覚えている。
その後もしばらくは疑心暗鬼といった風な感じで。後から理由を聞いて、俺はそれで納得したつもりだった。
でも明華曰く、慌てたり焦ったりしたのは架空の人間が目の前に現れたことだけによるものじゃなかったと。
俺という“好きな人”が急に自分の家に来て、どう接すれば良いのか分からなかったからああなった。別の誰かだったらきっともう少し落ち着いて対応できていた。
俺のことを“好き”だったからこそ、考えたことがたくさんあった。
『困らせちゃったみたいでごめんね。でもレンのこと好きなのは最初っからだし、気にせずにこれからも今まで通りで大丈夫。
もしわたしのことで嫌だと思うことがあったらすぐ言って。改めるから』
――この指輪も、今ので嫌になったら着けなくていいからね。
淡々と話すその横顔から、いつもなら分かりやすい明華の感情が今日は上手く読み取れない。
彼女の欲しがったこの指輪は“ペアリング”というものらしい。そういえば店員がそのようなことを言っていた。
基本的に恋人や夫婦がお揃いで買って身に着けるもので、友達同士で着けることはあまりない。特に薬指には“恋愛”の意味合いが強く、婚約指輪や結婚指輪は大半の人が左手薬指に着ける。
右手の薬指はその影響なのか、付き合っている二人が揃いの指輪をすることが多いとのこと。
ただ絶対にそうしなければいけないというものではなく、今回買った指輪もそういう意味を持たせる気はない、と明華は言った。
『別にレンと付き合いたいわけじゃないの。わたしが一方的に好きなだけで、レンにどうこうしてほしいわけじゃないから。
…実を言うと、指輪のことは前々から考えてたんだ。結局薬指にしちゃったのはワガママのうちだけど……』
もし前触れなく突然帰ることになったら。お別れする暇もなく、急に向こうに飛ばされたら。
もう二度とこちらへは来れないかもしれないし、ここで過ごした記憶も残っているか分からない。そんな中、物理的に“何か”を持ち帰ることができていたとしたら。
先程俺が想像したのと同じことを考えている様子の明華が、自分の右手に光るそれを見つめる。
『わたしのこと思い出してくれるかなって……そう、思ったの』
きらり。
日に当たって反射したその光を、見逃しはしなかった。
「…明華、俺は君を忘れない。忘れるはずがない」
『……!』
「今突然向こうに帰ったとして、そのとき指輪があってもなくても……俺は君を忘れない」
ぐるぐると考えていたことを放棄して繋いだ手を強く引く。
出先で腕に収めることが出来ない代わりに、少し屈んでしっかりと目を合わせた。
「もし万が一持ち帰れなかったら、向こうで似たものを買い直す」
『…、うん』
「だから泣かないでくれ。君は俺に喜んでほしいと言ったが、俺も明華に笑っていてほしい」
俯いて右手で顔を隠してしまった明華の頭を撫でる。“これ”が、彼女の俺への単純な贈り物ではないことを理解した。
忘れるはずがない。君と出会った証拠が、たとえこの指に残っていなかったとしても。
信号が緑色に変わる。
小さな手を引いて、周りの人が歩き始めた道の真ん中を二人でゆっくりと進んだ。
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