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「(………)」




何度か細い指で唇をなぞられる。
数秒後、至近距離で明華が満足そうに微笑んだ。


もし俺が此処に残ったら、この先もこういう日々が続いていくのだろうか。
一緒に寝て一緒に起きて、一緒に食卓を囲んで。明華が仕事の日は夜にたくさんお喋りして、休日はときどき出掛けたりして。罪悪感が消えることはないだろうが、彼女と過ごす日常はきっととても美しくて幸せなものだ。
向こうの世界に帰ってからでは、まず間違いなく得られないものだろう。

――どうしてそれを、俺の大事な使命と天秤に掛けなければいけないのだろうな。




「明華」


『ん?』


「キスしてもいいか?」


『…いちいち聞かなくていいよ』




甘い香りが鼻を掠める。ときどき明華から香ってたのは“これ”だったか。


何かを決めるのに自分がこんなに迷っているのは珍しいなと、
出しあぐねている答えを飲み込むように、明華の唇を奪った。




――




「明華!明華……」




横で寝ていた彼女のことを揺り起こす。




『ん……なに、どうしたの…』




おそらく休日に起きるには早過ぎる時間。会議の結果今日は買い出しのみの予定になったので、こんな時間に起きる必要はどこにもないが。
俺の慌てぶりに明華もただならぬものを感じたようで、眠そうだったがすぐに体を起こしてくれた。




『どうしたの、具合悪い?』


「いや、そうではなくて……いや確かに、さっきまで頭が痛かったんだが…」




――今は大丈夫だ、それより。

彼女の両肩を掴んで、まだ目覚めきっていないその瞳と視線を合わせる。




「急に……思い出したことが、…あって」




歯切れの悪い言葉。
それが何を意味しているかは、寝起きの明華でも何となく感じ取ったようだった。


平和に思えた小鳥の囀る音が、今だけは綺麗だと思えなかった。











END.







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