「行ってらっしゃい」





『…行くのね』


「ああ」




ドアを開けて、より一層大きく聞こえるようになった雨の音が耳に入っては抜けていく。
「持って行って」と傘を渡すが、「返せないぞ」と戻された。

それでもいいからと無理やり押し付けるように持たせれば、ありがとうと受け取ってくれた。




『忘れ物はない?』


「ああ……架音は、今日は部屋でゆっくりしてろ」


『…うん』




私が小さく頷けばその人はくるりと背を向けた。
綺麗な黒髪に黒いコート、雨のせいで暗い背景にコートの赤色の雲模様がよく映える。


行ってらっしゃいと言おうと口を開きかけたところで、その人がまたこちらに振り向いて開きかけた口が閉じる。
何かと思えば、「忘れ物」と彼は軽く笑った。




「出かけるときは見送りとキスだったな」


『……、…ばか』




こんな時にそんなこと、と思うが3日ほど前に言われた「いつも通り見送ってくれ」を思い出して文句を飲み込む。


“いつも通り”少しかがんで目を瞑る彼に軽く口付ける。ちゅっ、と雨音でかき消されそうなリップ音。
そして“いつも通り”行ってらっしゃいと言おうともう一度口を開いたのに、声が喉の奥で引っかかったように出てきてくれなかった。

必死に声を出そうとしてパクパクするも、なかなか音にならない。




「……架音、泣いてるのか」


『っ、……』


「オレのために泣いてくれるのか?」


『別に…』




泣いてなんか、と強がる私の目からは言葉とは対照的にボロボロと雫が落ちていく。
「ごめんな」と優しく抱きしめられてさらに涙が出てきて、気がつけば彼の腕の中で大泣きしていた。

――こんなの“いつも通り”じゃない。
この人だって困ってる、私も一応忍なんだから、これくらい。言い聞かせて、何度も目をこすりながら泣き止んだ。
彼を見上げる私の目はきっと真っ赤だろうけど。




「架音、ありがとう」


『ううん…』


「ひとついいか?
最後に、お前から愛してるだけ聞きたくなった」


『……いつも言ってたっけ?』


「今お前が泣いたのは?」


『………』




「交換条件だ」と珍しく悪戯っぽく笑う彼に私が折れた。


――愛してる
――オレもだ
何度、何度このやり取りをしただろう。

赤い瞳と目が合う。
いっそこのまま、殺してくれればいいのに。
いつかそんなことを言ったら、「そんなのは駄目だ」と断られた。お前には生きて欲しい、と。


背を向けようとする彼に「もう1回だけ」とキスをねだって今度は私が目を瞑る。
フッと笑った彼から唇にキスをもらって、目を開ける。



――言わなきゃ、今度こそ、ちゃんと。




「行ってきます」


『…行ってらっしゃい、イタチ』




もうこの人は、帰って来ない。




バタンとドアが閉まる。
さよならはいらないと彼は言っていた。
また会えるからと、でもすぐには来るなよと。
長い間会えなくなるが、オレも頑張るからお前も頑張れと。



唇に残る僅かな熱だけを感じながら、その場に膝から崩れ落ちて、

これ以上ないくらいに、ただひたすら泣き続けた。








それは“いつも通り”で、でもそうではなくて


(天気も心も土砂降りの一日)


END.