現実は想像よりも飛躍していた

 



『あと10分で焼けますね』




チョコレートの香り漂うキッチンの、オーブンの中を眺めながら。
一言そう零せば、後ろで一緒に後片付けをしていた人物が「そうだなァ」と笑った。




「おれらの分まで用意してもらっちゃって悪いなァ、咲来ちゃん」


『むしろこんな時間までお付き合い頂いて…本当にありがとうございます、サッチさん』


「ん〜?咲来ちゃんの頼みならそれくらいお安い御用よ」




時計を見れば深夜1時を回ったところ。船番以外の人はすでに就寝済み。

こんな時間に何故キッチンでお菓子を焼いてるかって、そんなのはもちろん明日がバレンタインデーだからであって。
サッチさんがいるのは、キッチンの使用権を彼が握っていて尚且つ料理を教わるには一番適している人だからで。


特殊な技術を必要とせず、そこそこ簡単に焼けて見栄えもするという理由でチョイスしたのはガトーショコラ。
オーブンに入っているのは、本日ホールで二個目のそれ。




「エースの分だけでも良かったんだぜ?」


『そんなの明らかすぎて絶対ダメです。他の隊長さんにもあげたいですし』


「律儀だなァ……まーあいつら相当喜ぶと思うけどな。手作りのお菓子なんて他に用意してくれる人いないだろうし?」




この船に乗って二度目のバレンタイン。
前回は初めてでよく分からなくて、上陸した島でよさげなチョコレートをお世話になっている人の数分購入した。

船長にはもちろん一番高くて良い品を。隊長さん達にはその次のを。他の皆さんには申し訳ないけど、人数が多すぎて大したものは買えなかった。
それでも手持ちのお金で出来る限りの用意をして当日を迎えた。


朝から大きな紙袋を持って、出会う人出会う人に配る作業。
あげた人のほとんどに驚かれたのを覚えている。なんでも船に乗っているナースさんは毎回船長くらいにしか用意しないらしく。そんな事情を途中で知ったところでどうしようもなく、結局全部予定通りに配った。
その中で、今回のバレンタインは気合を入れようと思ったきっかけの人。それがエース隊長だった。



――“チョコケーキ、ホールで。どう?”

“…ホールで?”

“エースなら絶対それで喜ぶから。おれが保証する!”



あの日一番喜んでくれたのが彼で。そこで要するにわたしは、彼の笑顔に“やられた”のである。
まず間違いなく食料を手に入れた喜びだったとは思うがもうそんなものは関係ない。出来るなら今回も喜んでもらいたい。そしてあの笑顔を、もう一回、目の前で。

事前に相談して事情を知っていたサッチさんが背中を押してくれた。




『できた!』




焼き上がりを示すメロディー。熱いからおれがやるよとさり気なく気を利かしてくれるサッチさんがケーキを取り出してテーブルへ。
あとは冷めるまで待ってから切り分けて、粉砂糖をふってクリームを添えれば隊長さん達の分が完成。初めてにしてはなかなかの出来のように見える。




「美味そうじゃないの。明日が楽しみだな!」


『美味しいといいのですけど…』


「美味いに決まってんだろ〜?咲来ちゃんから手作りチョコなんておれらも幸せだなァ」


『そんなこと、』




ないですよ、と言おうとしたと同時に。


――ガタン、

ドアの方向から不自然な物音がした。




『えっ、何?……あ、』


「……ありゃー…食欲センサーが反応したか…」


「げっ」




二人揃った視線の先に、見覚えのあるオレンジ色。
捉えた瞬間にどくんと心臓が波打った。




「わ、悪ィ!別におれ邪魔するつもりじゃ…!」


「…あー。咲来ちゃん、こうなったらもう今渡しちまえ」


『えっ!?』


「本当は起きてからちゃんと渡したかっただろうが……っておいこらエース逃げんな!!」


「ぅぐっ!?」




慌てるわたしを放置して、立ち去ろうとしたエース隊長を捕まえてこちらに連れ戻すサッチさん。
そのまま彼をわたしの前につき出すと、あろうことかサッチさんは「頑張れよ」と言い残して出て行ってしまった。


他に誰もいない静かなキッチンに、突然取り残されたわたしとエース隊長。
遠ざかっていくサッチさんの足音、咄嗟に追いかけることもできなかった自分。

硬直、ひたすらに硬直。




「あの、その…勝手に覗いちまって悪ィ……。
取り込み中っぽかったから部屋に戻ろうと思ったんだけど、刀がドアにぶつかっちまって…」


『そ、そんな、別に大丈夫です……』


「……えっと…」


『……、…』




面白いくらいに会話が続かない。それもそのはず、わたしが一方的に追いかけてるだけで話したことなどほぼ皆無なのだから。そもそも向こうからしたら知らない人レベルでもおかしくない。

徐々に漂い始める気まずい空気。こうなったらもう、サッチさんの言った通りにするしかないのか。
頭が真っ白でそれ以外の方法が思いつかない。

慌てて冷蔵庫から冷やしておいたケーキを取り出す。切り分けずにそのまま飾りつけをしてあった、ホールのガトーショコラ。




『あ、あの!これ!良かったら!』


「え?」


『エース隊長のために作りました!』


「お、おれに?」


『はい!!』




お皿を両手で持って突き出す。サッチさんは絶対喜ぶとか言ってたけど、憧れの人にバレンタインにホールケーキ手渡しって正直どうなんだろう。なんて今更考えてももう遅い。

どくん、どくん。
静かに隊長の様子を伺えば反応に困っている様子の彼。それもそうだ、こんなもの突然貰っても。
顔を上げたら初めて見た至近距離のエース隊長に一層鼓動が速まった。




「…ほんとに、おれに?」


『はい、サッチさんが、これならエース隊長喜んでくれるって』


「サッチが?」


『はい。隊長は覚えてないかもしれないですけど、去年バレンタインでチョコあげた時に喜んでくれたのが嬉しくて。今年も喜んで頂きたくて、その、サッチさんに相談して』


「そう、か…なんだ、そうか……ありがとう咲来!すげー嬉しい!」


『…へ、』




にこにこしながらケーキを受け取ってくれた隊長。その口から発せられたのは確かに自分の名前。
普段ほとんど関わりがないのに覚えてくれていた事実にしばらく固まってしまった。




「…あれ?名前間違えた?咲来であってるよな?」


『え、あ、ごめんなさい、あってます』


「だよな。おれが間違える訳ねェし…」


『……?』


「えっ、あっ、いや、何でもねェ!
あのー…、さ。もし咲来が良ければ明日一緒に食わねェ?」


『…へっ?』


「おれお前のこと全然知らねェから、話してみたいっていうか…えーと……」


『わたしと…?』


「おう。…ダメか?」




お皿を持ったまま首を傾げるエース隊長。何ですかその、反則的な可愛さと破壊力は。
迷いなくブンブンと首を振ったら、今度は安心したように笑って。またどくんと心臓が高鳴って、落ち着かない。




「良かった。お前サッチと仲良しだから断られるかと思った」


『まさかそんな、エース隊長からお誘いを頂けるなんて思ってませんでした…』


「おれはてっきりサッチと過ごすもんだと…咲来って昼間も夜中もあいつと喋ってるから」


『……え、何で知ってらっしゃるのです』


「えっ!?い、いや、たまたま通りがかってな!?」


『そう、ですか』




どくどくどく。鳴り止まない鼓動は彼には知られてないと願う。
夢、みたいだ。エース隊長に顔と名前を覚えて貰えていたなんて、今こうして話せているなんて。
しかもまた明日、一緒に話せる予約まで出来たなんて。


目先の小さな幸せでいっぱいいっぱいのわたしが、彼の言動のおかしさに気付くはずもなく。
扉の影でこっそり身を潜めていた互いの協力者だけが、その事実に肩を揺らしていた。








(まだ、気付かない)







END.