そのままのきみを

 



「ハーニーぃ」




不意に、ずしりと肩が重くなった。


今日も家に持ち帰った作業で忙しい。
いろいろとブラックな噂の絶えないこの業界の事情は知っていたつもりだったけど、いざ自分がなってみると思っていた以上に大変だ。

平日は帰ってお風呂入ってご飯食べたらすぐ寝ないと次の日が辛いし、休日は休むのに精一杯で遊びに行く気にもなれない。
でも今更転職なんて面倒なことする気にはならないし、死ぬほどブラックなわけじゃないし。

何より、この今後ろにくっついてる男の分まで私が働かないといけないし。
パソコンの画面とにらめっこをしながら、耳元で響く低音ボイスに返事をする。




『…見ての通り忙しいんだけど、何』


「それあと何時間かかるんだ。構ってくれなきゃやだ」


『……』




ご飯もお風呂も済ませたしこれさえ終わればもう寝れるのだけど、追加でこの人の相手をするという仕事が増えたらしい。
松野家の次男、松野カラ松。


同棲を始めたのは2年前。
ニートなのは知ってたしそれを承知で付き合ってはいたけど、同棲してからもニートでいられるとは思わなかった。
もともとヒモ願望のある男だとは思ってたけどほんとにヒモになるとは。この人に常識を求めた時点で間違っていたか。
最近になってようやくアルバイトを始めてくれたから多少の進歩はしたけど、今でも家計はキツキツ。
私には常に金も時間もない。

その主な原因であるこの男は、金だけでは飽き足らず私から更なる時間を奪う気らしい。




『…カラ松、わがままになったよね』




ふと、反射で思っていたことを口に出した。


もともとカラ松は頼るより頼られたいタイプの人間だ。
人にお願いするよりもされたい方。頼まれたら何でも引き受けてしまう人。
良く言えば人一倍優しい人間で、悪く言えば気の弱い男だ。

だから彼の方からぐいぐい迫って来るなんてことは滅多にない。表現がオーバーだからそう見えることはあっても、実際のところは断られたら潔く引き下がるか諦めることが多い。
少なくとも、付き合ってから同棲してしばらくの間はそんな印象だった。

しかし数ヶ月前くらいからだろうか。ここ最近は特にひどい。家で仕事をしていれば「構って」と駄々をこね、帰りが遅い日には「遅すぎる」「ずっと待ってたのに」などとぶつくさ文句を言い、休みの日はそれこそ一日中くっついて離れなくなった。
付き合う前と比べれば驚く程の豹変ぶりだ。


ただそれは家で二人でいるとき限定のようで、外へ出掛けたり親や兄弟がいたりすると、以前と変わらない彼がそこにいる。




「わがままなオレは嫌か?」


『そんなことはないけど…ちょっと気になっただけ。何かあった?』


「…留衣が言ったんじゃないか」


『なんて?』




いつもにこにこハイテンション、常に頭のネジが数本外れているのが彼だと思っていたのに、今ここにいるのはテンションも高くなければにこにこどころか口角が上がってすらいないカラ松。


不機嫌なのか、むすっとしている彼の頭を撫でたら手に擦り寄ってきた。




「素のオレのこと、好きだって」




背中に抱きついたまま、カラ松が私の肩に顔を埋める。




『そんなこと言ったっけ…いつの話?』


「付き合う前だ。仲良くなってしばらくしてから」


『ええ…何年前の話、それ』


「分からない…けど、嬉しかったからよく覚えてる」




――オレはどうも格好つけたがるところがあるんだが、
留衣は格好つけてないオレのことを好きだと言ってくれた。


顔を埋めたまま話すカラ松に記憶の糸を辿る。そんなこともあったような気がしなくもない。
つまりだ、今カラ松がわがままなのはいつかの私のせいというわけか。自業自得ってやつ。


そもそも格好つけている自覚はあるんだなとか、そんな細かいことまで覚えててくれるんだなとか、この数秒で考えたことはいろいろあったけれど。
結局最後に考えたのは、あれだけ格好つけたがりの彼が全てを捨てて甘えてくるのなら、今の私が唯一持ってると言ってもいいこの僅かな時間を彼のために使ってもいいかなってことだった。




『…分かったよ。
この仕事は明日に回す。締切明後日だから』


「…! 大丈夫なのか?」


『カラ松が言い出したんでしょ?』


「そうだけど…」




あれだけしつこかったくせに、いざ受け入れたら戸惑う彼に笑ってしまった。

欲しがったものを与えられることに慣れていないカラ松。
私がここでやっぱり仕事を優先すると言ってもきっと彼は引き下がるのだろう。なんだかんだ言いつつそういう人だ、この人は。
だから私から言わないといけない。




『…言ってたんでしょ、わたしが。素のカラ松が好きだって』


「!」




言った当時は多分わがままなカラ松のことを“素”と形容したんじゃないと思うけど、まあ今となってはそれも含めて“素”のカラ松ってことで。
わがまま言われるのも悪くないと感じてしまっている以上、その言葉は今でも嘘にはならない。


私の言葉にカラ松は心底嬉しそうな顔をして、さっきよりもきつくきつく私を抱きしめた。




「ハニー愛してる、世界で一番愛してる」


『はいはい…いちいち大袈裟だよ』


「…なあハニー、キスしてくれないか」


『わたしから?…いいよ』




唇突き出して、目をぎゅっと瞑って。
「初めてするんじゃないんだから」と笑ったら彼が目を開けて何か言いたそうにしたから、言わせる前に唇で塞いだ。




「ん……ぅ、留衣…」


『…なに』


「……したい、んだが…」


『……さすがにそれは無理。明日平日』




わざとらしくリップ音を鳴らせて唇を離す。久しぶりの深いキスが相当お気に召したようで、カラ松の太い眉は下がり気味で目も潤んでいた。

懇願する彼の言い分は理解できたが、聞けるわがままにも限度がある。
「すぐ調子乗るんだから」と呆れたら、耳と尻尾が垂れ下がった犬のようにしょげた。




『…土曜の夜に出直して』


「!」




瞬間、声にならない叫びをあげて私を抱きしめるカラ松。
本当、格好つけてないときは分かりやすいんだから。


そういう表情がころころ変わるところを何年か前の私は“素”と形容したんだっけと、彼の腕の中で今更ながら思い出していた。







今も昔も愛してるよ


(ほら、もう今日は寝るよ)
(ん……あと少しだけこのまま…)





END.